歴史年表
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1243年
- 中国:淳祐3年
- 日本:寛元1年
- 琉球:舜馬順煕6年
【琉球】
長崎の渡宋者一行,「流球」に漂着(『漂到流球国記』).
1260年
- 中国:景定1/中統1年
- 日本:文応1年
- 琉球:英祖1年
【その他】
モンゴル帝国,フビライ即位.
1261年
- 中国:景定2/中統2年
- 日本:弘長1年
- 琉球:英祖2年
【琉球】
この頃,英祖王が極楽山に墓を築く(浦添ようどれ).
1265年
- 中国:至元2年
- 日本:文永2年
- 琉球:英祖6年
【琉球】
この頃(咸淳年間,1265~78),僧禅鑑浦添に極楽寺を建立.
1266年
- 中国:至元3年
- 日本:文永3年
- 琉球:英祖7年
【琉球】
大島諸島(奄美),中山に入貢.
1271年
- 中国:至元8年
- 日本:文永8年
- 琉球:英祖12年
【中国】
モンゴル,国号を元と称す.
1274年
- 中国:至元11年
- 日本:文永11年
- 琉球:英祖15年
【日本】
文永の役(元寇).
1279年
- 中国:至元16年
- 日本:弘安2年
- 琉球:英祖20年
【中国】
元朝,南宋を滅ぼす.
1281年
- 中国:至元18年
- 日本:弘安4年
- 琉球:英祖22年
【日本】
弘安の役(元寇).
1291年
- 中国:至元28年
- 日本:正応4年
- 琉球:英祖32年
【琉球】
世祖(フビライ),楊祥率いる6000の軍を「瑠求」に派兵するが失敗(『元史』).
1293年
- 中国:至元30年
- 日本:永仁1年
- 琉球:英祖34年
【東南アジア】
マジャパヒト王国成立.
1296年
- 中国:元貞2年
- 日本:永仁4年
- 琉球:英祖38年
【琉球】
成宗(テムル),張浩に命じて再び「瑠求」に派兵するが失敗,130人余を捕虜にして引きあげる(『元史』).
1299年
- 中国:大徳3年
- 日本:正安1年
- 琉球:英祖41年
【その他】
オスマン朝成立.
1314年
- 中国:延祐1年
- 日本:正和3年
- 琉球:玉城1年
【琉球】
この頃から三山対立.
1338年
- 中国:至元4年
- 日本:延元3年
- 琉球:西威2年
【日本】
足利尊氏,室町幕府を開く.
1339年
- 中国:至元5年
- 日本:延元4年
- 琉球:西威3年
【その他】
英仏百年戦争(~1453).
1351年
- 中国:至正11年
- 日本:正平6年
- 琉球:察度2年
【中国】
紅巾の乱(~1466).
【東南アジア】
アユタヤ朝成立.
1368年
- 中国:洪武1年
- 日本:正平23年
- 琉球:察度19年
【中国】
明朝成立.
1369年
- 中国:洪武2年
- 日本:正平24年
- 琉球:察度20年
【中国】
明の太祖(洪武帝),楊載を大宰府に遣わし,倭寇禁止と朝貢を要求.
1370年
- 中国:洪武3年
- 日本:建徳1年
- 琉球:察度21年
【その他】
ティムール朝成立.
1371年
- 中国:洪武4年
- 日本:建徳2年
- 琉球:察度22年
【日本】
懐良親王,祖来を使者として明朝に入貢する.
1372年
- 中国:洪武5年
- 日本:文中1年
- 琉球:察度23年
【琉球】
10.30[9.22]明の太祖(洪武帝),楊載を遣わし琉球に朝貢をうながす.
【中国】
明の太祖,倭寇対策として浙江・福建沿海の9ヶ所の衛に命じて,海舟660艘を建造する.
1373年
- 中国:洪武6年
- 日本:文中2年
- 琉球:察度24年
【琉球】
1.23[洪武5.12.29]中山王察度の弟の泰期等が入貢.
1374年
- 中国:洪武7年
- 日本:文中3年
- 琉球:察度25年
【琉球】
12.2[10.28]中山王察度,弟の泰期等を遣わし入貢.大統暦および幣帛を下賜される.
【中国】
市舶司(泉州・明州・広州)を廃止し,海禁を厳格化し倭寇に備える.
1375年
- 中国:洪武8年
- 日本:文中1年
- 琉球:察度26年
【琉球】
1.26[洪武7.12.24]明の太祖(洪武帝),琉球に刑部侍郎の李浩を遣わし,陶器約7万・鉄釜約1000をもって馬を購入することを命じる.
1376年
- 中国:洪武9年
- 日本:天授2年
- 琉球:察度27年
【琉球】
4.19[4.1]李浩等,琉球より馬40匹・硫黄5000斤を購入して帰る.中山王察度,弟の泰期等を遣わし入貢.
1377年
- 中国:洪武10年
- 日本:天授3年
- 琉球:察度28年
【琉球】
2.[洪武10.1]慶賀のため,中山王察度が弟の泰期等を遣わし,馬16匹・硫黄1000斤を貢す.
1378年
- 中国:洪武11年
- 日本:天授4年
- 琉球:察度29年
【琉球】
5.31[5.5](中山)使節が入貢.
1382年
- 中国:洪武15年
- 日本:弘和2年
- 琉球:察度33年
【琉球】
2.18[2.15](中山)王弟の泰期等が,馬・硫黄を貢す.明の太祖(洪武帝),路謙に進貢使を琉球まで送らせる.路謙,明に帰り三山の抗争を報告.
1383年
- 中国:洪武16年
- 日本:弘和3年
- 琉球:察度34年
【琉球】
2.3[1.1](中山)使者の亜蘭匏等,(山南)使者の師惹等が入貢.2.5[1.3]中山に鍍金銀印が授けられる.
1384年
- 中国:洪武17年
- 日本:元中1年
- 琉球:察度35年
【琉球】
1.8[12.15](山北)使者の摸結習等が入貢.
1.23[1.1](中山・山南・山北)使節が入貢.
6.19[6.1](中山)使者の阿不耶等が入貢.
【中国】
倭寇・海賊対策として沿岸に城塞を建設する.
1385年
- 中国:洪武18年
- 日本:元中2年
- 琉球:察度36年
【琉球】
2.10[1.1](中山)慶賀使節が方物を貢す.
2.14[1.5]山南・山北王に駝紐鍍金銀印が授けられ,中山・山南へ海船各1隻が授けられる.
1386年
- 中国:洪武19年
- 日本:元中3年
- 琉球:察度37年
【琉球】
2.3[1.4](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
1388年
- 中国:洪武21年
- 日本:元中5年
- 琉球:察度39年
【琉球】
1.10[12.1]慶賀のため(山南)使者の耶師姑等が方物を貢す.
2.8[1.1](山南)王叔の汪英紫等が入貢.
2.20[1.13](山北)使節が入貢.
3.4[1.26](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
10.16[9.16]慶賀のため(中山,山北)使者の甚模結致等が方物を貢す.
1389年
- 中国:洪武22年
- 日本:元中6年
- 琉球:察度40年
【琉球】
中山王(察度),完玉之を高麗に派遣.
【朝鮮】
高麗,報聘使の金允厚等を琉球に派遣.
1390年
- 中国:洪武23年
- 日本:元中7年
- 琉球:察度41年
【琉球】
2.11[1.26]慶賀のため(中山)使者の亜蘭匏等,(山北)李仲等が方物を貢す.
宮古・八重山はじめて中山に入貢(『八重山島年来記』).
中山王(察度),高麗へ使者派遣.
1391年
- 中国:洪武24年
- 日本:元中8年
- 琉球:察度42年
【琉球】
3.27[2.22](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
9.29[9.1]慶賀のため(山南)使者の耶師姑等が方物を貢す.
中山王・山南王が寨官の子弟らの国子監入学を許可される(『南雍志』).
1392年
- 中国:洪武25年
- 日本:元中9年
- 琉球:察度43年
【琉球】
5.24[5.3](中山)使者の渥周結致等が入貢し,日孜毎・濶八馬・仁悦慈が官生として国子監に入学.
12.1[11.17]慶賀のため(中山)使者の察都等が方物を貢す.
12.27[12.14](山南)使者の南都妹等が入貢.従子の三五郎尾・寨官の子の賀段志等は官生として国子監に入学.
この頃,閩人三十六姓下賜.
【日本】
足利義満により南北朝統一.
【朝鮮】
高麗滅亡.李成桂,朝鮮(李氏朝鮮)建国.
1393年
- 中国:洪武26年
- 日本:明徳4年
- 琉球:察度44年
【琉球】
3.1[1.18](中山)使者の麻州等が入貢.
5.27[4.17](中山)使者の寿礼結致等が入貢.あわせて寨官の子の段志毎が官生として国子監に入学.
7.5[5.26](山南)使者の不里結致等が入貢.
1394年
- 中国:洪武27年
- 日本:応永1年
- 琉球:察度45年
【琉球】
2.25[1.25](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
1395年
- 中国:洪武28年
- 日本:応永2年
- 琉球:察度46年
【琉球】
1.22[1.1](山北)使節が入貢.
【琉球】
2.[1.](山南)使者の耶師姑等,(中山)亜蘭匏等が入貢.
4.26[4.7](中山)使者の亜撤都等が入貢.
1396年
- 中国:洪武29年
- 日本:応永3年
- 琉球:武寧1年
【琉球】
2.19[1.10](山北)使者の善佳古耶等,(中山)程復等が入貢.
5.27[4.20](中山)使者の隗谷結致等,(山南)呉宜堪弥結致等が入貢.
12.24[11.24](山北)使者の善佳古耶等,(中山)蔡奇阿教耶等が入貢.あわせて中山王,寨官の子の麻奢理・誠志魯は官生として国子監に入学.
1397年
- 中国:洪武30年
- 日本:応永4年
- 琉球:武寧2年
【琉球】
3.2[2.3](中山)使者の友賛結致等,(山北)恰宜斯耶等,(山南)渥周結致等が入貢.
1398年
- 中国:洪武31年
- 日本:応永5年
- 琉球:武寧4年
【琉球】
1.3[洪武30.12.15]使者の(山北)恰宜斯耶等,(中山)友賛結致等が入貢.
1.26[1.8](山北)使節が入貢.
3.19[3.1](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
4.17[4.1](中山)使者の鴉勒佳稽等が入貢.
4.29[4.13](中山)使者の阿不耶等が入貢.
1400年
- 中国:建文2年
- 日本:応永7年
- 琉球:武寧5年
【琉球】
中山王(察度),朝鮮へ使者を派遣(『朝鮮王朝実録』).
1401年
- 中国:建文3年
- 日本:応永8年
- 琉球:武寧6年
【日本】
日明貿易始まる(一時中断をはさみ1547年まで).
1403年
- 中国:永楽1年
- 日本:応永10年
- 琉球:武寧8年
【琉球】
3.14[2.22]慶賀のため(中山)使者の三五郎亹等が方物を貢す.
3.31[3.9]慶賀のため(山北)使者の善佳結致等が方物を貢す.
4.5[3.14](中山,山南)長史の王茂,使者の渥周結致等が入貢.
8.25[8.8]明の成祖(永楽帝),辺信と劉亢を遣わし琉球に物品を与える.
【中国】
浙江・福建・広東に市舶司を設置.
【琉球】
琉球船が武蔵国六浦に漂着(『南方紀伝』).
1404年
- 中国:永楽2年
- 日本:応永11年
- 琉球:武寧9年
【琉球】
3.31[2.21]中山の武寧,三五郎亹を明に派遣し,察度の訃を報告,武寧の襲封を請う.明の成祖(永楽帝),行人時中を冊封使として中山に遣わす(冊封の始め).
4.27[3.18](山北)使者の亜都結致等が入貢.
5.20[4.12]成祖,冊封使を派遣し汪応祖を山南王に封ずる.同年,(山南)使者の隗谷結致等が入貢.
5.23[4.15](中山)使節が入貢.
11.29[10.27](中山,山南)使節が入貢.
【日本】
日明間で勘合貿易始まる.
1405年
- 中国:永楽3年
- 日本:応永12年
- 琉球:武寧10年
【琉球】
4.7[3.9]謝恩のため(中山)使者の三五郎亹等が入貢.
4.29[4.1](山北)赤佳結制等が入貢.
5.10[4.12]慶賀のため(中山)使者の養埠結制等が方物を貢す.
5.16[4.18]謝恩のため(山南)使者の泰頼結制等が方物を貢す.
【中国】
鄭和の南海遠征(第1次 ~1407).以降,第7次まで派遣.
1406年
- 中国:永楽4年
- 日本:応永13年
- 琉球:尚思紹1年
【琉球】
1.16[永楽3.12.26]慶賀の使節(中山,山南,山北)が方物を貢す.
3.21[3.2](中山,山南)使者の三五郎亹等が入貢.あわせて寨官の子の石達魯等6人は官生として国子監に入学.
【中国】
永楽帝,足利義満に海寇討伐の功績として白金千両などを下賜.
【琉球】
尚巴志,中山王武寧を滅ぼし,父思紹を王とする(第一尚氏王統始まる).
1407年
- 中国:永楽5年
- 日本:応永14年
- 琉球:尚思紹2年
【琉球】
4.8[3.1](山南)使者の泰頼結制等が入貢.
5.18[4.11](中山)使者の三五郎亹等が入貢.中山王尚思紹より武寧の訃を知らせ,武寧の世子と称して襲封を請うための使者が入貢.成祖,冊封の詔を授ける.
鄭和の南海遠征(第2次 ~1409).
1408年
- 中国:永楽6年
- 日本:応永15年
- 琉球:尚思紹3年
【琉球】
4.22[3.26]謝恩のため(中山)使者の阿勃吾斯等,〓(くさかんむり+曳)達姑耶等(山南)が方物を貢す.
1409年
- 中国:永楽7年
- 日本:応永16年
- 琉球:尚思紹4年
【琉球】
4.25[4.11](中山)慶賀の使節が方物を貢す.
7.10[5.28](山南)使者の阿勃吾斯古等が入貢.
【中国】
鄭和の南海遠征(第3次 ~1411).
1410年
- 中国:永楽8年
- 日本:応永17年
- 琉球:尚思紹5年
【琉球】
4.8[3.5](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
5.16[4.13]慶賀のため(中山,山南)使者の乃佳吾斯古等が方物を貢す.
7.6[6.5](中山)模都古等が官生として国子監に入学.
7.31[6.30](中山)使者の阿乃佳結制等が入貢.
1411年
- 中国:永楽9年
- 日本:応永18年
- 琉球:尚思紹6年
【琉球】
1.18[永楽8.12.24]慶賀のため(中山)使者の三五郎亹等が方物を貢す.
4.25[4.3](中山)長史の程復等が入貢.
7.16[6.26]謝恩のため(中山)使者の模都莆等が方物を貢す.
12.9[11.24](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
中山王相の子の懐得と寨官の子の祖魯古が官生として国子監に入る(『南雍志』).
【日本】
足利義持,明との国交を断絶する.
1412年
- 中国:永楽10年
- 日本:応永19年
- 琉球:尚思紹7年
【琉球】
1.3[永楽9.閏12.17]慶賀のため(中山)使者の泰勃奇等が方物を貢す.
4.1[2.20](山南)使者の阿勃吾斯古等が入貢.
5.26[4.16]慶賀のため(中山)使者の坤宜堪弥等が方物を貢す.
1413年
- 中国:永楽11年
- 日本:応永20年
- 琉球:尚思紹8年
【琉球】
2.16[1.16](中山)使者の甚麻之里等が入貢.
3.3[2.2](中山)使者の恭勃奇等が入貢.あわせて寨官の子の鄔同志久・周魯毎・恰那晟其が官生として国子監に入学.
5.20[4.21](中山)使者の三五郎亹等,(山南)吾是佳結制等が入貢.
9.11[8.17](山南)使者の鄔剌誰結制等が入貢.
【中国】
鄭和の南海遠征(第4次 ~1415).
1414年
- 中国:永楽12年
- 日本:応永21年
- 琉球:尚思紹9年
【琉球】
1.8[永楽11.12.12]慶賀のため(中山)使者の威巴魯等が方物を貢す.
10.18[閏9.5](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
山南王汪応祖,兄達勃期に殺されるが,諸按司が連合してこれを討ち他魯毎が山南王となる.
【日本】
将軍足利義持,尚思紹へ「りうきう国よのぬしへ」の文書送る(『運歩色葉集』).
1415年
- 中国:永楽13年
- 日本:応永22年
- 琉球:尚思紹10年
【琉球】
4.28[3.19](山南)使者の鄔是佳結制等が入貢し,襲封を請う.
5.27[4.19](中山,山北)使節が入貢.
6.19 [5.13] 冊封使の陳季芳来琉し,他魯毎を山南王に封ずる.
【琉球】
9.27[8.25](中山)使者の宜是結制等が入貢.
12.16[11.16](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
1417年
- 中国:永楽15年
- 日本:応永24年
- 琉球:尚思紹12年
【琉球】
5.14[4.28](中山,山南)使者の甚謾志里等が入貢.
9.16[8.6](中山)使者の亜勃結制等が入貢.
10.23[9.14](中山)使者の鄔梅住尼九等が入貢.
【中国】
鄭和の南海遠征(第5次 ~1419).
1418年
- 中国:永楽16年
- 日本:応永25年
- 琉球:尚思紹13年
【琉球】
3.11[2.14](中山)長史の懐機等が入貢.
6.5[5.2](琉球)使節が入貢.
12.3[11.6](中山)使者の阿乃住等が入貢.
1419年
- 中国:永楽17年
- 日本:応永26年
- 琉球:尚思紹14年
【琉球】
2.17[1.23](中山)使者の鄔梅住尼九等が入貢.
5.17[4.23](中山)使者の農巴魯尼等が入貢.
7.31[7.9](中山)使節が入貢.
シャム(暹羅)へ遣船(以後1570年まで58回).
【日本】
対馬,朝鮮の襲撃を受ける(応永の外寇).
1421年
- 中国:永楽19年
- 日本:応永28年
- 琉球:尚思紹16年
【中国】
金陵(南京)より北京に遷都.
鄭和の南海遠征(第6次 ~1422).
1422年
- 中国:永楽20年
- 日本:応永29年
- 琉球:尚巴志1年
【琉球】
10.24[10.9](中山)使者の模都古等が入貢.
1423年
- 中国:永楽21年
- 日本:応永30年
- 琉球:尚巴志2年
【琉球】
9.14[8.10](中山)使者の阿不察都等が入貢.
1424年
- 中国:永楽22年
- 日本:応永31年
- 琉球:尚巴志3年
【琉球】
3.12[2.12](中山)思紹の訃を知らせる使節が入貢.
7.6[6.11](山南)使者の阿勃馬結制等が入貢.
8.31[8.8](中山)使者の鄭義才等が入貢.
9.29[9.7](中山)使者の安丹尼結制等が入貢.
1425年
- 中国:洪熙1年
- 日本:応永32年
- 琉球:尚巴志4年
【琉球】
1.12[永楽22.12.23](山南)使者の阿勃馬結制等が入貢.
2.18[2.1]冊封使の柴山来琉し,尚巴志を中山王に封ずる.
3.10[2.21](中山)通事の李傑等が入貢.
5.14[4.27]慶賀のため(中山)長史の鄔梅支等が方物を貢す.
8.14[閏7.1](中山)使者の佳期巴那等が入貢.
8.30[閏7.17]中山,慶賀のため王舅の模都古等を派遣する.
8.30[閏7.17]中山,進香のため長史の鄭義才等を派遣.中山,謝恩のため使者の実達魯等を派遣.
9.13[8.2](中山)使者の浮那姑是等が入貢.
中山,使者の佳期巴那等をシャムへ派遣.
中山,使者の浮那姑是等をシャムへ派遣.
[年代不詳]中山,使者の阿勃馬結制等をシャムへ派遣.
1426年
- 中国:宣徳1年
- 日本:応永33年
- 琉球:尚巴志5年
【琉球】
1.13[洪熙1.12.5](中山)使者の宋比結制等が入貢.
1.25[洪熙1.12.17]中山,進貢のため使者の浮那姑是等を派遣.
1.25[洪熙1.12.27]山南,進香のため使者の渭慈勃也等を派遣.
【中国】
7.5[6.1]内官の柴山を派遣し,尚巴志に皮弁冠服を授けること,生漆,磨刀石を銅銭で買いつけることを通達.
【琉球】
10.10[9.10]中山,使者の南者結制等をシャムへ派遣.
中山,慶賀のため使者の佳期巴那等を派遣.
1428年
- 中国:宣徳3年
- 日本:応永35年
- 琉球:尚巴志7年
【琉球】
1.30[1.14]中山,謝恩のため長史の鄭義才等を派遣.
7.5[6.1]中山,謝恩のため長史の梁回等を派遣.
10.10[9.2]中山,慶賀のため使者の漫泰来結制等を派遣.
10.10[9.2]中山,使者の浮那姑是等をシャムへ派遣.
11.1[9.24]中山,使者の実達魯等をパレンバンへ派遣.
【東南アジア】
ベトナム,黎氏大越国建国.
1429年
- 中国:宣徳4年
- 日本:永享1年
- 琉球:尚巴志8年
【琉球】
1.17[宣徳3.12.13]山南王他魯毎,進貢のため使者の歩馬結制等を派遣.
4.23[3.20]進貢のため使者の阿蒲察度等を派遣.
5.28[4.26](中山)使者の郭伯慈毎等,(山南)通事の梁密祖等が入貢.
11.6[10.10]慶賀のため使者の佳期巴那等を派遣.
11.6[10.10]使者の有南結制等をシャムへ派遣.
山南王,中山に滅ぼされ三山統一(『中山世譜』).
1430年
- 中国:宣徳5年
- 日本:永享2年
- 琉球:尚巴志9年
【東南アジア】
4.13[3.21]シャム,中山へ返礼の品を贈る.
【琉球】
7.17[6.27]山南王他魯毎,明より大統暦を賜る
11.3[10.18]使者の南者結制等をジャワへ派遣.
11.3[10.18]王相懐機,使者の歩馬結制等をパレンバンへ派遣.
11.3[10.18]王相懐機,使者の達且尼等をパレンバンへ派遣.
中山王,明に三山統一を告げ勅語を受ける.
【琉球】
宣宗の使者(柴山・阮漸)が来琉し,中山王に尚姓を与える.柴山,大安禅寺を建てる.
鄭和の南海遠征(第7次 ~1433).
1431年
- 中国:宣徳6年
- 日本:永享3年
- 琉球:尚巴志10年
【琉球】
1.5[宣徳5.12.22]使者の頭目阿普察都等,日本から屏風・生漆などを買い付けて帰国する際に与論島付近で破船.
4.30[3.19]謝恩のため使者の由南結制等を派遣.
5.21[4.10]謝恩のため王舅の郭祖毎等を内官柴山の船に乗せて派遣.
10.8[9.3]使者の郭伯茲毎等をシャムへ派遣.
10.11[9.6]慶賀のため使者の漫泰来結制等を派遣.
10.11[9.6]進貢のため使者の阿蒲察度等を派遣.
1432年
- 中国:宣徳7年
- 日本:永享4年
- 琉球:尚巴志11年
【琉球】
1.[宣徳6.12.]使者の夏礼久等を日本国対馬州からの来船に乗せて朝鮮へ派遣.
2.27[1.26]柴山来琉し,日本への書状を尚巴志に託す.
9.10[8.16]謝恩のため使者の物志麻等を派遣.
10.2[9.9]使者の由南結制等をシャムへ派遣.
10.23[9.30]使者の歩馬結制等をシャムへ派遣.
【日本】
足利義教,勘合貿易を再開する.
1433年
- 中国:宣徳8年
- 日本:永享5年
- 琉球:尚巴志12年
【琉球】
10.30[9.18]使者の均周佳等をシャムへ派遣.
10.30[9.18]使者の益沙毎等をシャムへ派遣.
11.14[10.3]使者の阿蒲察度等をシャムへ派遣.
柴山来琉し,千仏霊閣を創建する(「千佛霊閣碑記」).
1434年
- 中国:宣徳9年
- 日本:永享6年
- 琉球:尚巴志13年
【琉球】
4.16[3.8]使者の歩馬結制等が入貢.
4.[3.]謝恩のため使者の揚布勃也等を派遣.
5.27[3.29]使者の義魯結制等が入貢.
6.7[5.1]謝恩のため使者の南米結制等を内官の柴山の船に乗せて明へ派遣.
9.17[8.15]謝恩のため長史の梁求保等を明へ派遣.
10.28[9.26]使者の歩馬結制等をシャムへ派遣.
10.28[9.26]使者の阿普尼是等をシャムへ派遣.
1435年
- 中国:宣徳10年
- 日本:永享7年
- 琉球:尚巴志14年
【琉球】
2.17[1.20]進貢のため使者の伍是堅等を派遣.
10.3[9.12]使者の阿普尼是等をシャムへ派遣.
慶賀のため使節を明へ派遣.
謝恩のため使節を明へ派遣.
1436年
- 中国:正統1年
- 日本:永享8年
- 琉球:尚巴志15年
【琉球】
3.8[2.21]陪臣の程安等が入貢.
3.18[3.1]使者の漫泰来結制等が入貢.
9.8[7.28]長史の梁求保等が入貢.
11.2[9.24]謝恩のため使者の阿普尼(礼)是等を派遣.明帝より大統暦を賜る.
11.9[10.1]使者の欲沙毎等をシャムへ派遣.
【日本】
足利義教,尚巴志に進上物の礼状送る.
1437年
- 中国:正統2年
- 日本:永享9年
- 琉球:尚巴志16年
【琉球】
4.28[3.23]進貢のため長史の梁求保等を派遣.
9.15[8.16]使者の歩馬結制等をシャムへ派遣.
9.15[8.16]使者の欲沙毎等をシャムへ派遣.
1438年
- 中国:正統3年
- 日本:永享10年
- 琉球:尚巴志17年
【琉球】
10.22[10.4]慶賀のため長史の梁求保等を派遣.
10.22[10.4]使者の明泰等をシャムへ派遣.
10.22[10.4]王相懐機,使者の阿普尼是等をパレンバンへ派遣.
進貢のため使者の義魯結制等を派遣.
使者の歩馬結制等をジャワへ派遣.
1439年
- 中国:正統4年
- 日本:永享11年
- 琉球:尚巴志18年
【琉球】
4.19[3.6]補貢のため使者の阿普礼是等を派遣.
5.21[4.9]慶賀のため長史の梁求保等を派遣.
5.21[4.9]使者の欲沙毎等をシャムへ派遣.
6.5[4.24]進貢のため使者の歩馬結制等を派遣.
10.11[9.4]使者の李敬等が入貢.
【日本】
足利義教,尚巴志に進上物の礼の書状送る.
1440年
- 中国:正統5年
- 日本:永享12年
- 琉球:尚忠1年
【琉球】
11.10[10.16]進貢のため長史の梁求保等を派遣.
11.10[10.16]使者の楊布勃也等をジャワへ派遣.
王相懐機,使者の伍実佳勃也等をパレンバンへ派遣.
1441年
- 中国:正統6年
- 日本:嘉吉1年
- 琉球:尚忠2年
【琉球】
5.9[4.19]使者の阿普斯古等をジャワへ派遣.
7.23[7.6]進貢のため長史の梁求保等を派遣.
7.23[7.6]慶賀のため使者の達福期等を派遣.
7.23[7.6]長史の達福期等をジャワへ派遣.
【日本】
この年,島津忠国が足利義教から琉球を下賜されたとの言説伝わる(嘉吉附庸説).
1442年
- 中国:正統7年
- 日本:嘉吉2年
- 琉球:尚忠3年
【琉球】
10.13[9.10]慶賀のため使者の明泰等を派遣.
11.7[10.5]使者の阿普斯古等をシャムへ派遣.
11.7[10.5]使者の楊布等をジャワへ派遣.
1443年
- 中国:正統8年
- 日本:嘉吉3年
- 琉球:尚忠4年
【琉球】
冊封使の余忭・副使の劉遜来琉し,尚忠を中山王に封ずる(『中山世鑑』).
1444年
- 中国:正統9年
- 日本:文安1年
- 琉球:尚忠5年
【琉球】
3.19[2.30]長史の梁求保等が入貢.
5.5[4.18]使者の梁回等が入貢.
5.26[5.9]通事の蔡譲等が入貢.
8.6[7.23]使者の伍是佳美等が入貢.
1446年
- 中国:正統11年
- 日本:文安3年
- 琉球:尚思達2年
【琉球】
3.9[2.12]使者の阿普斯古等が入貢.
5.22[4.27]琉球国使節が入貢.
6.29[6.6]慶賀のため使者の伍是佳美等が方物を貢す.
1447年
- 中国:正統12年
- 日本:文安4年
- 琉球:尚思達3年
【琉球】
2.26[2.12]使者の程安等が入貢.
3.1[2.15]報喪,請封のため長史の梁球等が方物を貢す.
6.13[5.1]通事の蔡譲等が入貢.
1449年
- 中国:正統14年
- 日本:宝徳1年
- 琉球:尚思達5年
【琉球】
3.24[3.1]使者の梁同等が入貢.
9.16[8.30]中山使臣の馬権度等が入貢.
9.19[9.3]使者の蔡寧等が入貢.
1450年
- 中国:景泰1年
- 日本:宝徳2年
- 琉球:尚金福1年
【琉球】
1.25[1.12]使者の百桂尼等が入貢.
4.26[3.15]使臣の馬権度等が入貢.
9.29[8.24]使者の梁回等が入貢.
朝鮮人の丁禄・万年,臥蛇島に漂着(『朝鮮王朝実録』),見聞記を残す.
1451年
- 中国:景泰2年
- 日本:宝徳3年
- 琉球:尚金福2年
【琉球】
2.16[1.15]使者の王察都等,通事の李敬等の船に乗り帰国することを命じられる.
3.25[2.23]使者の王察都等が入貢.
5.3[4.3]使者の亜間美等が入貢.
国相懐機,長虹堤を築き,長寿寺建立(『中山世譜』).
【日本】
細川勝元,琉球使船の商品を押留.
1452年
- 中国:景泰3年
- 日本:享徳1年
- 琉球:尚金福3年
【琉球】
3.28[3.8]使者の亜間美等が入貢.
6.6[5.19]通事の李敬等が入貢.
10.6[9.24]通事の蔡譲等が入貢.
冊封使の陳謨・副使の薫守宏来琉し,尚金福を中山王に封ずる(『中山世鑑』).
1453年
- 中国:景泰4年
- 日本:享徳2年
- 琉球:尚金福4年
【琉球】
4.18[3.10]使者の呉斉等が入貢.
5.29[4.21]通事の馬俊等が入貢.
7.31[6.26]使者の蔡寧等が入貢.
9.18[8.16]通事の程鴻等が入貢.
志魯・布里の乱で,首里城が炎上し鍍金銀印など焼失.
漂流朝鮮人丁禄・万年を送還するため道安が朝鮮へ派遣される.
【その他】
オスマン帝国,コンスタンティノープルを占領.ビザンツ帝国滅亡.
1454年
- 中国:景泰5年
- 日本:享徳3年
- 琉球:尚泰久1年
【琉球】
3.16[2.18]琉球国使節入貢し,志魯・布里の乱を告げ襲封を請う.
9.26[9.5]使者の蔡寧等が入貢.
尚泰久即位.景泰年間,芥隠来琉し天龍寺・普門寺を建立.
1455年
- 中国:景泰6年
- 日本:康正1年
- 琉球:尚泰久2年
【琉球】
3.2[2.14]使者の梁回等が入貢.
4.6[3.20]琉球国王姪(使節)尚伯礼が入貢.
5.2[4.16]冊封使の厳誠・副使の劉倹来琉し,尚泰久を王に封ずる.
6.1[5.17]通事の馬俊等が入貢.
朝鮮に大蔵経を求める(使者道安).
1456年
- 中国:景泰7年
- 日本:康正2年
- 琉球:尚泰久3年
【琉球】
4.9[3.5]琉球国使節が入貢.
天尊廟,万寿寺の鐘鋳造.
【朝鮮】
久米島に朝鮮人の梁成・高石寿漂着(『朝鮮王朝実録』),見聞記を残す.
1457年
- 中国:天順1年
- 日本:長禄1年
- 琉球:尚泰久4年
【琉球】
3.19[2.24](中山)謝恩の使節が方物を貢す.
4.11[3.18]使者の程鵬等が入貢.
漂流朝鮮人の韓金光ら11人を送還するため道安が朝鮮に派遣され,そのまま帰化する.
1458年
- 中国:天順2年
- 日本:長禄2年
- 琉球:尚泰久5年
【琉球】
1.23[1.9]通事の程鴻等が入貢.
2.19[2.6]使者の呉是堪美等が入貢.
3.20[閏2.6]使者の衛農是等が入貢.
【朝鮮】
8.12[7.7]朝鮮国王李瑈,返礼の書簡を贈る.
【琉球】
護佐丸・阿麻和利の乱.万国津梁の鐘を首里城正殿に懸ける.
1461年
- 中国:天順5年
- 日本:寛正2年
- 琉球:尚徳1年
【琉球】
3.30[2.19]使者の王察等が入貢.
尚泰久,普須古・蔡璟を朝鮮に派遣.同年,尚徳即位.鬼界島,琉球国に背く.
【日本】
この春,島津忠国,琉球渡航を企図し一乗院に太刀を寄進.
1462年
- 中国:天順6年
- 日本:寛正3年
- 琉球:尚徳2年
【琉球】
3.25[2.25]使者の程鵬等が入貢.
4.9[3.10]琉球国使節が入貢.
5.25[4.26]冊封使の潘栄・副使の蔡哲来琉し,尚徳を王に封ずる.
肖得誠ら朝鮮人8人宮古島に漂着し,1か月滞在(『朝鮮王朝実録』),のちに見聞記を残す.
1463年
- 中国:天順7年
- 日本:寛正4年
- 琉球:尚徳3年
【琉球】
2.26[2.9]使者の崇嘉山等が入貢.
9.16[8.4]謝恩のため王舅の王察都等が進貢.
9.16[8.4]使者の呉実堅等をマラッカへ派遣(以降1511年まで20回).
9.16[8.4]使者の達古是等をスマトラへ派遣.
1464年
- 中国:天順8年
- 日本:寛正5年
- 琉球:尚徳4年
【琉球】
9.10[8.9]慶賀のため王弟の尚武等を派遣.
9.10[8.9]使者の亜斯美等をシャムへ派遣.
9.10[8.9]使者の達古是等をシャムへ派遣.
9.10[8.9]使者の読詩等をマラッカへ派遣.
1465年
- 中国:成化1年
- 日本:寛正6年
- 琉球:尚徳5年
【琉球】
9.5[8.15]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
9.5[8.15]使者の崇嘉山等をシャムへ派遣.
9.5[8.15]使者の阿普察都等をマラッカへ派遣.
通事金鏘,閩ではじめて暦法を学ぶ(『琉球国由来記』).
1466年
- 中国:成化2年
- 日本:文正1年
- 琉球:尚徳6年
【東南アジア】
4.23[3.20]マラッカ,琉球国王へ返礼の書簡を送る.
【琉球】
11.9[10.2]進貢のため長史の蔡璟等を派遣.
尚徳王,鬼界島に遠征し,凱旋して八幡宮を建立する.
琉使芥隠,将軍足利義政に謁見.天界寺に大宝殿を建てる.
1467年
- 中国:成化3年
- 日本:応仁1年
- 琉球:尚徳7年
【琉球】
9.7[8.9]謝恩のため正議大夫の程鵬等を派遣.
9.[8.]使者の鄔普察都等をスマトラへ派遣.
9.[8.]使者の沈満布等をマラッカへ派遣.
朝鮮にオウム,クジャクを贈り,返礼として方冊蔵経を贈られる(『朝鮮王朝実録』).
【日本】
応仁の乱(~1477).
1468年
- 中国:成化4年
- 日本:応仁2年
- 琉球:尚徳8年
【琉球】
9.1[8.15]進貢のため長史の蔡璟等を派遣.
9.1[8.15]使者の巴那仕古等をスマトラへ派遣.
11.2[10.18]使者の読詩等が入貢.
金丸,隠退する.
1469年
- 中国:成化5年
- 日本:文明1年
- 琉球:尚徳9年
【琉球】
2.7[1.26]使者の安遠路等をマラッカへ派遣.
9.20[8.15]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
9.20[8.15]使者の読詩等をシャムへ派遣.
尚徳王薨去.
【中国】
市舶司が泉州から福州に移り,この頃から福州の柔遠駅(琉球館)が入貢の拠点となる.
1470年
- 中国:成化6年
- 日本:文明2年
- 琉球:尚円1年
【琉球】
3.24[2.22]正議大夫の程鵬による賄賂事件おこるも赦される.
【東南アジア】
4.[3.]マラッカ,琉球国王へ返礼と琉球人の非行の是正を求める書簡を贈る.
【琉球】
10.1[9.7]謝恩のため長史の蔡璟等を派遣.
使者の安遠路等をマラッカへ派遣.
金丸,王位に就き尚円と号し,第二尚氏王統が始まる.
1471年
- 中国:成化7年
- 日本:文明3年
- 琉球:尚円2年
【琉球】
4.27[4.08]蔡璟の禁制衣服の私造事件おこる.
6.30[6.13]冊封使の官栄・副使の韓文来琉し,尚円を国王に封ずる.
【琉球】
9.[9.]通事の林昌等をマラッカへ派遣.
【日本】
室町幕府,島津氏に琉球渡海朱印状を所持しない貿易船の取り締まりを許可する.
【朝鮮】
申叔舟『海東諸国紀』を著す.
1472年
- 中国:成化8年
- 日本:文明4年
- 琉球:尚円3年
【琉球】
3.30[2.21]琉球国長史の梁応等が入貢.
10.21[9.20]使者の王達路等をマラッカへ派遣.
10.29[9.28]謝恩のため王舅の武実等を派遣.
10.29[9.28]使者の沈満志等をマラッカへ派遣.
[年代不詳]使者の王宝等をシャムへ派遣.
【日本】
島津氏,琉球国来聘の謝問使を送る.
1474年
- 中国:成化10年
- 日本:文明6年
- 琉球:尚円5年
【中国】
【琉球】
10.13[9.3]琉球国,謝恩のため正議大夫の程鵬等を派遣.
1476年
- 中国:成化12年
- 日本:文明8年
- 琉球:尚円7年
【琉球】
10.2[9.15]慶賀のため正議大夫の程鵬等を派遣.
10.2[9.15]謝恩のため長史の李栄等を派遣.
尚円王代に天王寺・龍福寺・中山国王廟が建立される.
1477年
- 中国:成化13年
- 日本:文明9年
- 琉球:尚宣威1/尚真1年
【琉球】
9.26[8.20]請封のため長史の梁応等を派遣.
尚宣威,王位につくが数か月にして尚真に位を譲る(『中山世譜』).明に襲封を請う.
金非衣ら朝鮮漂流民,与那国島で救助され,王府が朝鮮へ送還(『朝鮮王朝実録』),のちに見聞記を残す.
1479年
- 中国:成化15年
- 日本:文明11年
- 琉球:尚真3年
【琉球】
4.9[3.18]使者の李栄等が入貢.
10.11[9.26]謝恩のため王舅の馬怡世等を派遣.
[年代不詳]使者の倪実等をシャム,マラッカへ派遣.
[年代不詳]使者の泰刺等をシャムへ派遣.
1480年
- 中国:成化16年
- 日本:文明12年
- 琉球:尚真4年
【東南アジア】
4.11[3.2]マラッカ,遭難した琉球人を来航した琉球船に乗せて送還.
5.2[3.23]シャム,返礼の使者を琉球へ派遣.
【日本】
幕府,島津を介して琉球の来貢を催促.
1482年
- 中国:成化18年
- 日本:文明14年
- 琉球:尚真6年
【琉球】
4.23[4.23]蔡賓等5人が官生として国子監に入学.
5.13[4.26]進貢使節(琉球)の北京への上京人数を15人以内に制限する.
1483年
- 中国:成化19年
- 日本:文明15年
- 琉球:尚真7年
【琉球】
9.7[8.6]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
1485年
- 中国:成化21年
- 日本:文明17年
- 琉球:尚真9年
【琉球】
9.20[8.12]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
1486年
- 中国:成化22年
- 日本:文明18年
- 琉球:尚真10年
【琉球】
10.22[9.25]謝恩のため王舅の馬審礼等を派遣.
1488年
- 中国:弘治1年
- 日本:長享2年
- 琉球:尚真12年
【その他】
バルトロメウ・ディアス,アフリカの喜望峰に到達.
1490年
- 中国:弘治3年
- 日本:延徳2年
- 琉球:尚真14年
【琉球】
5.10[4.21]進貢使節(琉球)の北京への上京人数の制限が緩和され30人以内となる.
正使の嘉満度等をパタニへ派遣(『紅氏家譜』).
1491年
- 中国:弘治4年
- 日本:延徳3年
- 琉球:尚真15年
【琉球】
9.24[8.21]進貢のため正議大夫の梁徳等を派遣.
1492年
- 中国:弘治5年
- 日本:明応1年
- 琉球:尚真16年
【琉球】
円覚寺を建立し(1494年竣工),芥隠を開山住持とする.
【その他】
コロンブス,サン・サルバドル島に到達.
1493年
- 中国:弘治6年
- 日本:明応2年
- 琉球:尚真17年
【琉球】
9.30[8.20]慶賀のため正議大夫の梁徳等を派遣.
1494年
- 中国:弘治7年
- 日本:明応3年
- 琉球:尚真18年
【琉球】
円覚寺の宗廟(御照堂)を建立.
1495年
- 中国:弘治8年
- 日本:明応4年
- 琉球:尚真19年
【琉球】
9.4[8.16]謝恩のため正議大夫の鄭玖等を派遣.
1496年
- 中国:弘治9年
- 日本:明応5年
- 琉球:尚真20年
【琉球】
円覚寺の巨鐘を鋳造する.
1498年
- 中国:弘治11年
- 日本:明応7年
- 琉球:尚真22年
【琉球】
円覚寺の放生池に石欄と池橋がつくられ,国王頌徳碑が建立される.
正使の宋能等をパタニへ派遣(『鄭氏家譜』).
【その他】
ヴァスコ・ダ・ガマ,インドのカリカットに到達.
1499年
- 中国:弘治12年
- 日本:明応8年
- 琉球:尚真23年
【琉球】
9.7[8.3]進貢のため正議大夫の鄭玖等を派遣.
1500年
- 中国:弘治13年
- 日本:明応9年
- 琉球:尚真24年
【琉球】
八重山のオヤケアカハチ,反乱を起すが,中山軍に制圧される.長田大翁主が古見大首里大屋子となる.神職の大阿母職と永良比金職がはじめて置かれる.満挽与人が派遣されて八重山に駐在する.宮古の仲宗根豊見親がはじめて宮古頭職に任命される.土原豊見親が多良間島主に任ぜられる.
久米島の君南風を世襲とする.
1501年
- 中国:弘治14年
- 日本:文亀1年
- 琉球:尚真25年
【琉球】
9.20[8.9]進貢のため正議大夫の程璉等を派遣.
玉陵を築く.サシカヘシ松尾之碑文建碑建立.
八重山の慶来慶田城用緒を西表首里大屋子に任ずる.
1502年
- 中国:弘治15年
- 日本:文亀2年
- 琉球:尚真26年
【琉球】
円覚寺の前に円鑑池をつくり,経堂(弁財天堂)を建て朝鮮王李瑈から贈られた方冊蔵経を納める.
1503年
- 中国:弘治16年
- 日本:永正1年
- 琉球:尚真27年
【琉球】
10.27[10.8]琉球が派遣したマラッカへの使者の呉詩等を保護.
1504年
- 中国:弘治17年
- 日本:永正2年
- 琉球:尚真28年
【琉球】
8.21[7.12]進貢のため正議大夫の程璉等を派遣.
1509年
- 中国:正徳4年
- 日本:永正6年
- 琉球:尚真33年
【琉球】
9.2[8.18]進貢のため正議大夫の程璉等を派遣.
9.2[8.18]使者の勿頓之玖等をシャムへ派遣.
9.2[8.18]使者の佳満度等をマラッカへ派遣.
首里城正殿前の欄干に銘文を刻む(百浦添之欄干之銘).金銀のかんざしで身分を分ける.
1510年
- 中国:正徳5年
- 日本:永正7年
- 琉球:尚真34年
【琉球】
2.24[1.16]蔡進等5名が官生として国子監に入学.
9.21[8.19]進貢のため正議大夫の梁能等を派遣.
9.21[8.19]使者の王麻不度等をマラッカへ派遣.
【朝鮮】
日本人居留民による三浦の乱おこる.
【その他】
ポルトガル人,インドのゴアを占拠.
1511年
- 中国:正徳6年
- 日本:永正8年
- 琉球:尚真35年
【琉球】
9.4[8.13]進貢のため正議大夫の梁寬等を派遣.
9.4[8.13]使者の馬彼比等をマラッカへ派遣.
【東南アジア】
ポルトガル,マラッカを占拠.
1512年
- 中国:正徳7年
- 日本:永正9年
- 琉球:尚真36年
【琉球】
9.22[8.13]進貢のため長史の蔡遷等を派遣.
9.22[8.13]使者の益沙毎等をシャムへ派遣.
【その他】
この頃,ポルトガル人トメ・ピレスが『東方諸国記』を著す(1512~1515年に成立).
1513年
- 中国:正徳8年
- 日本:永正10年
- 琉球:尚真37年
【琉球】
9.5[8.7]進貢のため正議大夫の梁能等を派遣.
9.5[8.7]使者の馬参魯等をシャムへ派遣.
9.5[8.7]使者の栢古等をスンダへ派遣.
1516年
- 中国:正徳11年
- 日本:永正13年
- 琉球:尚真40年
【琉球】
4.30[3.29]正議大夫の梁能等が入貢.
10.8[9.13]進貢のため正議大夫の陳義等を派遣.
10.8[9.13]使者の栢古等をパタニへ派遣.
【日本】
備中の三宅国秀,琉球征服を図るが島津忠隆に討たれる.
1518年
- 中国:正徳13年
- 日本:永正15年
- 琉球:尚真42年
【琉球】
10.22[9.18]使者の麻美子等をシャムへ派遣.
10.22[9.18]使者の馬布度等をシャムへ派遣.
10.2[9.18]使者の麻美子等をスンダへ派遣.
1519年
- 中国:正徳14年
- 日本:永正16年
- 琉球:尚真43年
【琉球】
9.10[8.17]使者の馬勃度等をパタニへ派遣.
園比屋武御嶽石門・弁ケ嶽の石垣・石門建造される.
【その他】
マガリャンイス一行,世界周航.
1520年
- 中国:正徳15年
- 日本:永正17年
- 琉球:尚真44年
【琉球】
4.28[4.12]長史の金良等が入貢.
8.31[8.19]使者の馬勃度等をパタニへ派遣.
8.31[8.19]使者の馬沙皆等をシャムへ派遣.
1521年
- 中国:正徳16年
- 日本:大永1年
- 琉球:尚真45年
【琉球】
10.6[9.7]使者の椰末度等をシャムへ派遣.
尚真,種子島忠時に船一艘分の課税免除.
【その他】
コルテス,メキシコ征服.アステカ王国滅亡.
1522年
- 中国:嘉靖1年
- 日本:大永2年
- 琉球:尚真46年
【琉球】
5.27[5.3]慶賀のため王舅の達魯加尼等が方物を貢す.
6.6[5.13]琉球の進貢を再び二年一貢に制限する.
真珠湊碑文に仮名書きのミセゼルが書かれる.日秀上人,弥陀・薬師・観音を護国寺に奉安する.金武観音堂建立.首里の石門の東側へ国王頌徳碑が建てられる.
正使の馬参魯等をシャムへ派遣.
1524年
- 中国:嘉靖3年
- 日本:大永4年
- 琉球:尚真48年
【琉球】
4.11[3.19]補貢のため使者の鄭縄等が入貢.
日秀上人,浦添に石碑,那覇に夷堂,波之上に大日石堂を建立.六色の帕冠の制が制定される.
西塘,竹富首里大屋子に任命され,竹富島に蔵元や国仲御嶽をつくる.
1526年
- 中国:嘉靖5年
- 日本:大永6年
- 琉球:尚真50年
【琉球】
9.21[8.15]使者の馬蜜志驥等をシャムへ派遣.
9.21[8.15]使者の白達魯等をパタニへ派遣.
尚真王代,諸按司を首里に集住させる.前年の御礼として島津忠良に絹糸を贈る.この頃,崇元寺建立される.
蔡浩・蔡廷美・鄭冨・梁梓等4名が官生として国子監に入学(『欽定国子監志』).
【その他】
南アジア,ムガル帝国成立(~1858).
1527年
- 中国:嘉靖6年
- 日本:大永7年
- 琉球:尚清1年
【日本】
足利義晴,尚清に日明和解の仲介への礼状を送る.
1529年
- 中国:嘉靖8年
- 日本:享禄2年
- 琉球:尚清3年
【琉球】
3.20[2.11]使者の馬沙開等をパタニ派遣.
9.17[8.15]進貢のため長史の蔡瀚等を派遣.
9.17[8.15]使者の陶美等をシャムへ派遣.
【その他】
オスマン帝国,第一次ウィーン包囲失敗.
1532年
- 中国:嘉靖11年
- 日本:天文1年
- 琉球:尚清6年
【琉球】
9.[嘉靖11.8]冊封使の陳侃・副使の高澄来琉し,尚清を国王に封ずる.
1533年
- 中国:嘉靖12年
- 日本:天文2年
- 琉球:尚清7年
【琉球】
9.8[8.20]進貢のため正議大夫の梁椿等を派遣.
9.8[8.20.]使者の王金等をシャムへ派遣.
【日本】
三宅国秀の残党,再度琉球征討を図るが,島津氏これを阻止したことを琉球に通知.
【その他】
ピサロ,ペルー征服.インカ帝国滅亡.
1536年
- 中国:嘉靖15年
- 日本:天文5年
- 琉球:尚清10年
【琉球】
8.30[8.14]使者の馬三魯等をシャムへ派遣.
1537年
- 中国:嘉靖16年
- 日本:天文6年
- 琉球:尚清11年
【琉球】
9.23[8.20]進貢慶賀のため正議大夫の陳賦等を派遣.
9.23[8.20]使者の馬蜜子等をシャムへ派遣.
尚清王,与湾大親の謀叛の疑いを理由に兵を発して大島(奄美)を征圧.
1541年
- 中国:嘉靖20年
- 日本:天文10年
- 琉球:尚清15年
【琉球】
2.17[1.22]進貢慶賀のため王舅の殷達魯等を派遣.
1542年
- 中国:嘉靖21年
- 日本:天文11年
- 琉球:尚清16年
【琉球】
9.26[9.7]使者の賈満度等をシャムへ派遣.
10.25[9.17]中国人送還のため使者の呉羅等を派遣.
相良武任,琉球に種子島渡航船の抑留を依頼する.通商のため来琉中の明の商人陳貴,騒動をおこし,蔡廷美に捕われ,福州に送還される.
1543年
- 中国:嘉靖22年
- 日本:天文12年
- 琉球:尚清17年
【琉球】
3.5[2.1]進貢のため正議大夫の陳賦等を派遣.
10.25[9.28]使者の邁益沙等をパタニへ派遣.
【日本】
種子島に鉄砲伝来(1542年説もある).
1544年
- 中国:嘉靖23年
- 日本:天文13年
- 琉球:尚清18年
【琉球】
首里城東南側の城壁工事を始める.
1545年
- 中国:嘉靖24年
- 日本:天文14年
- 琉球:尚清19年
【琉球】
1.23[1.11]進貢のため長史の梁顕等を派遣.
1546年
- 中国:嘉靖25年
- 日本:天文15年
- 琉球:尚清20年
【琉球】
首里城東南側の城壁工事完成し,城壁が二重になる.継世門が築かれ,添継御門之北之碑文が建立される.
1547年
- 中国:嘉靖26年
- 日本:天文16年
- 琉球:尚清21年
【琉球】
3.27[3.7]進貢のため正議大夫の陳賦等を派遣.
【中国】
浙江巡撫の朱紈,倭寇の取り締まりを強化し,1548年に双嶼を攻撃.最後の日明貿易船派遣される.
1548年
- 中国:嘉靖27年
- 日本:天文17年
- 琉球:尚清22年
【琉球】
3.8[1.28]接回のため使者の馬普度等を派遣.
1550年
- 中国:嘉靖29年
- 日本:天文19年
- 琉球:尚清24年
【琉球】
11.16[10.8]使者の邁志刺等をシャムへ派遣.
1551年
- 中国:嘉靖30年
- 日本:天文20年
- 琉球:尚清25年
【琉球】
9.15[8.16]進貢のため正議大夫の蔡廷会等を派遣.
1554年
- 中国:嘉靖33年
- 日本:天文23年
- 琉球:尚清28年
【琉球】
3.13[2.10]探問のため使者の賈満度等を派遣.
11.30[11.6]使者の馬沙皆等をシャムへ派遣.
那覇港に屋良座森城が築かれ,碑文が建てられる.
1555年
- 中国:嘉靖34年
- 日本:弘治1年
- 琉球:尚清29年
【琉球】
2.1[1.10]進貢のため正議大夫の梁顕等を派遣.
1556年
- 中国:嘉靖35年
- 日本:弘治2年
- 琉球:尚元1年
【琉球】
倭冦が来襲し尚元王,兵を率いてこれを破る.中国の被虜の人金坤等6名を救助し翌年送還する.
1561年
- 中国:嘉靖40年
- 日本:永禄4年
- 琉球:尚元6年
【琉球】
2.10[1.26]接回のため使者の馬寧久等を派遣.
10.21[9.13]進貢のため王舅の源徳等を派遣.
10.21[9.13]冊封使を護送するため使者の宋庇等を派遣.
1562年
- 中国:嘉靖41年
- 日本:永禄5年
- 琉球:尚元7年
【琉球】
3.15[2.11]探問のため使者の馬南比等を派遣.
7.26[6.26]冊封使の郭汝霖・副使の李際春,尚元を国王に封じて帰国する.帰国後,『使琉球録』を著す.
【琉球】
郭汝霖の要請で天使館亭を増築する.首里城奉神門前に石欄干を建てる.
1565年
- 中国:嘉靖44年
- 日本:永禄8年
- 琉球:尚元10年
【琉球】
3.23[2.22]進貢のため長史の梁灼等を派遣.
1567年
- 中国:隆慶1年
- 日本:永禄10年
- 琉球:尚元12年
【琉球】
3.27[2.17]進貢のため長史の蔡朝用等を派遣.
1570年
- 中国:隆慶4年
- 日本:元亀1年
- 琉球:尚元15年
【琉球】
3.21[2.15]探問のため使者の馬佳尼等を派遣.
使者の毛如徳等をシャムへ派遣.
【日本】
島津氏,義久の襲封を知らせる.島津氏,琉球に印判を携行せず渡航する商船の取り締まりを要求.
1571年
- 中国:隆慶5年
- 日本:元亀2年
- 琉球:尚元16年
【琉球】
3.16[2.21]進貢のため正議大夫の鄭憲等を派遣.
尚元,大島(奄美)を征討.
【その他】
レパントの海戦.
【東南アジア】
スペイン,マニラ建設.
1573年
- 中国:万暦1年
- 日本:天正1年
- 琉球:尚永1年
【日本】
足利義昭,織田信長より京都を追放され室町幕府滅亡.
1574年
- 中国:万暦2年
- 日本:天正2年
- 琉球:尚永2年
【琉球】
3.12[2.20]慶賀のため王舅の馬忠叟等を派遣.
2.22[2.10]探問のため使者の馬慶等を派遣.
尚永,天界寺の南叔等を遣わし義久の襲封を賀す.
【日本】
島津氏,藩の使者への琉球側の接待が満足でなかったことを責める.
1575年
- 中国:万暦3年
- 日本:天正3年
- 琉球:尚永3年
【琉球】
4.8[2.28]進貢のため正議大夫の蔡朝器等を派遣.
9.24[8.21]琉球が入貢.
琉球船,薩摩に漂流し送還される.琉球国の紋船,鹿児島に到着.
【日本】
長篠の戦いで織田信長が武田勝頼を破る.
1576年
- 中国:万暦4年
- 日本:天正4年
- 琉球:尚永4年
【琉球】
1.7[万暦3.12.7]琉球国使節が入貢.
1.21[12.21]請封のため長史の梁燦等を派遣.
1.21[12.21]補貢のため通事の蔡朝傑等を派遣.
1577年
- 中国:万暦5年
- 日本:天正5年
- 琉球:尚永5年
【琉球】
3.21[3.3]進貢のため正議大夫の梁灼等を派遣.
天界寺の修翁和尚を薩摩に遣わし,島津氏の三州平定を賀す.
【日本】
大友宗麟,島津氏の了解を得て琉球に使者を出す.
1578年
- 中国:万暦6年
- 日本:天正6年
- 琉球:尚永6年
【琉球】
5.20[4.14]冊封使を迎接するため正議大夫の梁燦等を派遣.
1579年
- 中国:万暦7年
- 日本:天正7年
- 琉球:尚永7年
【琉球】
12.28[12.11]進貢のため王舅の馬良弼等を派遣.
冊封使の蕭崇業・副使の謝杰来琉し,尚永を中山王に封ずる.帰国後に『使琉球録』を著す.
1580年
- 中国:万暦8年
- 日本:天正8年
- 琉球:尚永8年
【琉球】
鄭周(週)・鄭廸・蔡常3名が官生として国子監に入学.
1582年
- 中国:万暦10年
- 日本:天正10年
- 琉球:尚永10年
【日本】
本能寺の変
亀井茲矩,豊臣秀吉より琉球を賜う.秀吉,太閤検地開始.
【中国】
マカオにマテオ・リッチ到来.
1585年
- 中国:万暦13年
- 日本:天正13年
- 琉球:尚永13年
【日本】
豊臣秀吉,関白となる.
1588年
- 中国:万暦16年
- 日本:天正16年
- 琉球:尚永16年
【琉球】
4.28[4.4]探問のため使者の馬達魯等を派遣.
【日本】
豊臣秀吉,島津氏を介してしきりに琉球を招諭.島津氏,僧の龍雲を琉球に派遣する.豊臣秀吉,海賊停止令を発令.
1590年
- 中国:万暦18年
- 日本:天正18年
- 琉球:尚寧2年
【日本】
秀吉,産物上進を謝し,明国討伐の旨を知らせる.島津義久,琉球へ秀吉の関東平定を告げ,祝儀言上を命じる.
1591年
- 中国:万暦19年
- 日本:天正19年
- 琉球:尚寧3年
島津義久より朝鮮出兵の軍役負担として7000人分の兵糧米などの供出を要求され,紋船の到来を促される.尚寧王,義久より朝鮮出兵の軍役として兵7000人の兵糧10か月分を送ることを命じられる.紋船(建善寺大亀,茂留味里大屋子),薩摩に着く.
【日本】
豊臣秀吉,朝鮮出兵のため名護屋城を普請.
1592年
- 中国:万暦20年
- 日本:文禄1年
- 琉球:尚寧4年
【琉球】
10.27[9.23]日本の情報を伝えるため使者の守達魯等を派遣.
謝名一族の反乱.
【日本】
亀井茲矩,琉球征服を図るが,秀吉,これを禁じる.秀吉,ルソンや台湾に入貢を促す.秀吉,朝鮮出兵(文禄の役).
1593年
- 中国:万暦21年
- 日本:文禄2年
- 琉球:尚寧5年
【琉球】
尚寧王,義久より朝鮮出兵の軍役負担分の食糧輸送を命じられる.紋船(天王寺菊隠,摩文仁安恒),薩摩に行く.
1594年
- 中国:万暦22年
- 日本:文禄3年
- 琉球:尚寧6年
【琉球】
2.15[万暦21.12.26]進貢のため正議大夫の鄭礼等を派遣.
11.22[10.11]官員を護送するため使者の于灞等を派遣.
琉球の窮状を薩摩に訴え,兵糧の供出不可能を謝る.
1595年
- 中国:万暦23年
- 日本:文禄4年
- 琉球:尚寧7年
【東南アジア】
オランダ商船,ジャワ島に到来.
1597年
- 中国:万暦25年
- 日本:慶長2年
- 琉球:尚寧9年
【琉球】
浦添から首里にいたる道路開通.太平橋(平良橋)が石橋に改築される.
【日本】
秀吉,2度目の朝鮮出兵(慶長の役).
1598年
- 中国:万暦26年
- 日本:慶長3年
- 琉球:尚寧10年
【琉球】
5.11[4.7]日本の情報を伝えるため使者の守達魯等を派遣.
11.1[10.3]日本の情報を伝えるため使者の栢槎等を派遣.
1600年
- 中国:万暦28年
- 日本:慶長5年
- 琉球:尚寧12年
【琉球】
9.25[8.19]進貢のため長史の蔡奎等を派遣.
僧の喜安蕃元来琉.琉球船,奥州伊達政宗領へ漂着.
【日本】
徳川家康,島津氏に命じて人質の明将茅国科を福建に送還.関ヶ原の戦い.
【その他】
イギリス,東インド会社を設立.
1601年
- 中国:万暦29年
- 日本:慶長6年
- 琉球:尚寧13年
【琉球】
10.6[9.11]進貢のため正議大夫の鄭逅等を派遣.
【日本】
薩摩に来航した福州船が伊丹屋助四郎ら海賊に略奪される.幕府,明との通交回復の企図挫折.渡航朱印状の交付制度創設.
1603年
- 中国:万暦31年
- 日本:慶長8年
- 琉球:尚寧15年
【琉球】
袋中上人来琉(1606年帰国,『琉球神道記』を著わす).
[年代不詳]進貢のため長史の蔡奎等を派遣.
【日本】
徳川家康,征夷大将軍補任,江戸幕府成立.
1604年
- 中国:万暦32年
- 日本:慶長9年
- 琉球:尚寧16年
【琉球】
10.10[9.18]冊封使を迎接するため使者の馬似竜等を派遣.
【日本】
島津義久,甑島漂着の琉球船員に書を託し,尚寧王の来聘を促す.使者牛助春,薩摩に到着.義久,書を尚寧に送り問責する.ポルトガル貿易に糸割符制施行.
1605年
- 中国:万暦33年
- 日本:慶長10年
- 琉球:尚寧17年
【琉球】
11.30[10.20]進貢のため長史の鄭俊等を派遣.
天界寺を廟とする.島津義弘,奄美大島出兵計画.野国総官,福州より甘藷を持ち帰る.
【日本】
島津氏の使者,将軍家康に琉球出兵の許可を請う.
1606年
- 中国:万暦34年
- 日本:慶長11年
- 琉球:尚寧18年
【琉球】
11.17[10.18]進貢のため王舅の毛鳳儀等を派遣.
冊封使の夏子陽・副使の王士禎来琉し,尚寧を中山王に封ずる.夏子陽・王士禎,帰国後に『使琉球録』を著す.
【日本】
島津家久,家康に琉球征討を許される.島津義久,書状を送って尚寧の来聘を促す.家久,琉球を介して日明貿易を図るが,琉球応ぜず.
1607年
- 中国:万暦35年
- 日本:慶長12年
- 琉球:尚寧19年
【琉球】
4.4[3.8]探問のため使者の馬三魯等を派遣.
10.15[8.25]進貢のため長史の鄭子孝等を派遣.
福建漳州人の阮国・毛国鼎の琉球入籍.
1608年
- 中国:万暦36年
- 日本:慶長13年
- 琉球:尚寧20年
【日本】
島津家久,「琉球渡海之軍衆御法度之条々」を定める.島津氏,幕命により龍雲を派遣して尚寧王の来聘を促すが,琉球応ぜず.
1609年
- 中国:万暦37年
- 日本:慶長14年
- 琉球:尚寧21年
【琉球】
6.12[5.11]薩摩の琉球侵攻を伝えるため正議大夫の鄭俊等を派遣.
【琉球】
薩摩軍3000の兵を乗せた軍船100余隻,山川港から琉球へ向かう.薩摩軍,大島・徳之島・沖永良部島を制圧,運天に上陸し,海陸両路から那覇へ入る.首里城陥落.尚寧王降伏し,薩摩軍にともなわれ,那覇を出航,鹿児島へ到着.家久,琉球を与えられる.
【日本】
オランダ,平戸に商館設置.
1610年
- 中国:万暦38年
- 日本:慶長15年
- 琉球:尚寧22年
10.18[9.2]進貢のため長史の蔡堅等を派遣.
薩摩,琉球の検地を行う.尚寧王,家久に従い駿府で家康,江戸で将軍秀忠に謁見す.王舅毛鳳儀,長史金応魁,明国に貢期の緩和を嘆願.
【日本】
大島代官設置.
1611年
- 中国:万暦39年
- 日本:慶長16年
- 琉球:尚寧23年
【琉球】
薩摩,琉球の検地を終る.石高8万9086石のうち5万石を王府蔵入,残りは諸士へ配分と定め知行目録(「一紙御目録」)を給す.奄美,薩摩の直轄となる.尚寧王,起請文を上呈し帰国.三司官謝名鄭迵,起請文への連判を拒否し処刑される.薩摩,芭蕉など9品の上納を命じ,「掟十五カ条」を令達する.摩文仁親方安恒,国質となる(国質の始め).儀間真常,木綿を移入.
進貢品を分載するため使者の栢寿等を派遣.
【日本】
幕府,大名の朱印船貿易を停止.
1613年
- 中国:万暦41年
- 日本:慶長18年
- 琉球:尚寧25年
琉球の王子衆・三司官衆の子弟を「証人(人質)」として上国させるよう薩摩より要求.日本商人の両先島渡航と島津の許可無き他領船渡海禁止.
『おもろさうし』巻二を編集.
【日本】
大島代官,大島奉行に改称.
伊達政宗が支倉常長を使者としてローマに使節を派遣(慶長遣欧使節).
1614年
- 中国:万暦42年
- 日本:慶長19年
- 琉球:尚寧26年
薩摩へ「十年質」として佐敷王子朝昌上国.この年『ピント航海巡歴録』成る.
【日本】
平戸にイギリス商館設置.商館長リチャード・コックス,琉球貿易の許可を家康に申請.
大坂冬の陣.
1615年
- 中国:万暦43年
- 日本:元和1年
- 琉球:尚寧27年
【琉球】
三浦按針(ウィリアム・アダムズ)来航.島津家久,幕府より「琉球人」名義の呂宋渡海朱印状を受給.
1616年
- 中国:万暦44年
- 日本:元和2年
- 琉球:尚寧28年
【琉球】
4.4[2.18]日本の情報を伝えるため都通事の蔡廛等を派遣.
朝鮮人陶工(張献功等)来航.湧田村で製陶技術を伝える.
【日本】
徳之島奉行設置.
長崎・平戸以外での西洋との通商貿易禁止.
【中国】
ヌルハチ,後金を建国.
1618年
- 中国:万暦46年
- 日本:元和4年
- 琉球:尚寧30年
【その他】
三十年戦争(~1648).
1619年
- 中国:万暦47年
- 日本:元和5年
- 琉球:尚寧31年
【琉球】
3.26[2.11]探問のため使者の麻吾刺等を派遣.
越前の坂本宗味,久米島に養蚕を伝える.
【東南アジア】
オランダ,インドネシアのバタヴィアを建設.
1620年
- 中国:泰昌1年
- 日本:元和6年
- 琉球:尚寧32年
【琉球】
浦添極楽山(ようどれ)の墓陵が補修され,尚寧王が葬られる.ようどれの碑建立.
1621年
- 中国:天啓1年
- 日本:元和7年
- 琉球:尚豊1年
【琉球】
10.6[8.21]進貢のため王舅の毛鳳儀等を派遣.
尚豊即位.金武王子朝貞,尚豊襲封の謝恩使として京都に派遣.尚豊王代に中城御殿建造.天啓年間に首里城南殿が築かれる.この頃「喜安日記」著される.
1623年
- 中国:天啓3年
- 日本:元和9年
- 琉球:尚豊3年
【中国】
4.26[3.27]琉球の貢期を五年一貢とする
【琉球】
7.25[6.22]慶賀のため王舅の馬勝連等を派遣.
12.07[閏10.16]進貢のため正議大夫の鄭俊等を派遣.
儀間真常,黒糖を製造.『おもろさうし』巻三以下,成る.
【日本】
薩摩,「大島御置目之条々」制定.
イギリス東インド会社,平戸商館閉鎖.
【東南アジア】
アンボイナ事件.オランダが香辛料貿易を独占.
1624年
- 中国:天啓4年
- 日本:寛永1年
- 琉球:尚豊4年
【琉球】
島津氏,琉球の名字・衣服の大和様式化を禁止.他領人の琉球渡海禁止.
ルエダ神父,八重山に上陸,八重山キリシタン事件おこる.
【日本】
スペイン船の来航を禁止する.
【その他】
オランダ,台湾を占領(~1661).
1625年
- 中国:天啓5年
- 日本:寛永2年
- 琉球:尚豊5年
8.21[7.26]官員を護送するため都通事の金応元等を派遣.
1626年
- 中国:天啓6年
- 日本:寛永3年
- 琉球:尚豊6年
【琉球】
3.6[2.9]進貢のため正議大夫の蔡廷等を派遣.
1628年
- 中国:崇禎1年
- 日本:寛永5年
- 琉球:尚豊8年
【琉球】
宮古の石高6049石余差し引かれ,琉球の石高8万3084石余となる.
宮古・八重山,三間切制となり,各間切に頭職設置される.
1629年
- 中国:崇禎2年
- 日本:寛永6年
- 琉球:尚豊9年
【琉球】
2.21[1.29]慶賀のため王舅の毛泰時等を派遣.
4.3[3.10]官員護送のため都通事の鄭子廉等を派遣.
琉球高8万3085石余の目録が薩摩から提示される.
宮古で在番制はじまる.
1630年
- 中国:崇禎3年
- 日本:寛永7年
- 琉球:尚豊10年
11.13[10.10]冊封使を迎接するため正議大夫の蔡廛等を派遣.
三司官のうち一人が三年間「証人」として薩摩滞在(~1646年).
1631年
- 中国:崇禎4年
- 日本:寛永8年
- 琉球:尚豊11年
【琉球】
4.17[3.16]慶賀のため王舅の毛時耀等を派遣.
薩摩,那覇に在番奉行を設置(初代川上又左衛門)
1632年
- 中国:崇禎5年
- 日本:寛永9年
- 琉球:尚豊12年
薩摩の酒匂氏,久米島に紬を伝える.
八重山で在番制はじまる.
1633年
- 中国:崇禎6年
- 日本:寛永10年
- 琉球:尚豊13年
明朝より琉球の二年一貢および貢船の二隻増船を許可される.
冊封使の杜三策・副使の楊掄来琉し,尚豊を国王に封ずる.杜三策の従客の胡靖,帰国後に『杜天使冊封琉球真記奇観』を著す.
1634年
- 中国:崇禎7年
- 日本:寛永11年
- 琉球:尚豊14年
【琉球】
11.1[9.11]進貢のため正議大夫の蔡錦等を派遣.
【日本】
冊封完了の御礼のため佐敷王子朝益上国.家久に従い京都で徳川家光に謁見.島津氏への領知判物に琉球高が併記される.
1635年
- 中国:崇禎8年
- 日本:寛永12年
- 琉球:尚豊15年
寛永の盛増,琉球高9万883石となる.
【日本】
日本人の海外渡航・帰国禁止(鎖国令).
1636年
- 中国:崇禎9年
- 日本:寛永13年
- 琉球:尚豊16年
【琉球】
11.5[10.8]進貢のため正議大夫の林国用等を派遣.
薩摩藩の命でキリシタン宗門改め始まる(宮古・八重山も).
【中国】
後金,清と改称.
1637年
- 中国:崇禎10年
- 日本:寛永14年
- 琉球:尚豊17年
【琉球】
宮古・八重山にはじめて人頭税が課されたといわれる.
【日本】
島原の乱(~1638年).
1638年
- 中国:崇禎11年
- 日本:寛永15年
- 琉球:尚豊18年
【琉球】
3.10[1.25]探問のため使者の章邦彦等を派遣.
那覇に里主所設置.キリシタン禁制の方針通達,禁令強化.
この頃,八重山に唐人・南蛮人の漂着あいつぐ.
1639年
- 中国:崇禎12年
- 日本:寛永16年
- 琉球:尚豊19年
【日本】
ポルトガル船の来航を禁止.
1641年
- 中国:崇禎14年
- 日本:寛永18年
- 琉球:尚賢1年
【琉球】
八重山の大和在番開始(~1649年).
【日本】
平戸のオランダ商館を長崎出島に移す.
【東南アジア】
オランダ,マラッカを占領.
1644年
- 中国:崇禎17/順治1年
- 日本:正保1年
- 琉球:尚賢4年
各所に遠見番配置(烽火の制).江戸幕府へ謝恩使を派遣.
【中国】
明朝滅び,清朝成立.
1648年
- 中国:順治5年
- 日本:慶安1年
- 琉球:尚質1年
【その他】
ヨーロッパ,ウェストファリア条約が締結される.
1649年
- 中国:順治6年
- 日本:慶安2年
- 琉球:尚質2年
【琉球】
6.16[5.7]探問のため正議大夫の蔡祚隆等を派遣.
12.16[11.13]投誠のため都通事の梁廷翰等を派遣.
尚質即位の謝恩のため使節派遣.
【日本】
慶安の御触書が出される.
【その他】
イギリス,共和政となる.
1650年
- 中国:順治7年
- 日本:慶安3年
- 琉球:尚質3年
【琉球】
羽地朝秀(向象賢)『中山世鑑』を著す.
宮古・八重山,御物奉行の管轄となる.
1653年
- 中国:順治10年
- 日本:承応2年
- 琉球:尚質6年
【琉球】
3.26[2.27]慶賀・請封・勅印返納のため王舅の馬宗毅等を派遣.
4.[3.]招撫使を護送するため都通事の毛世顕を派遣.
家綱将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
1655年
- 中国:順治12年
- 日本:承応4年
- 琉球:尚質8年
【琉球】
接回のため都通事の梅有蕡等を派遣.
1660年
- 中国:順治17年
- 日本:万治3年
- 琉球:尚質13年
【琉球】
首里城炎上,正殿その他全焼.中城王子(世子)の上国始まる(~1773).
【その他】
イギリス,王政復古.
1661年
- 中国:順治18年
- 日本:寛文1年
- 琉球:尚質14年
【琉球】
羽地朝秀,首里城正殿再建の援助要請のため上国.
【その他】
フランス,ルイ14世が親政を開始する.
1662年
- 中国:康煕1年
- 日本:寛文2年
- 琉球:尚質15年
【琉球】
砂糖奉行を設置.
1663年
- 中国:康煕2年
- 日本:寛文3年
- 琉球:尚質16年
【琉球】
11.21[10.22]謝恩のため法司王舅の呉国用等を派遣.
11.21[10.22]冊封使を護送するため都通事の孫自昌等を派遣.
冠船奉行設置.
冊封使の張学礼・副使の王垓来琉し,尚質を国王に封ずる.帰国後に『使琉球記』を著す.
1668年
- 中国:康熙7年
- 日本:寛文8年
- 琉球:尚質21年
【琉球】
3.27[2.15]進貢のため耳目官の呉文顯等を派遣.
1669年
- 中国:康煕8年
- 日本:寛文9年
- 琉球:尚貞1年
【琉球】
4.13[3.13]探貢・報喪のため正議大夫の林茂盛等を派遣.
高奉行を設置.士・百姓問わず申請に応じて,仕明(開墾)を許可.
【日本】
蝦夷地でシャクシャインの戦いがおこる.
1671年
- 中国:康煕10年
- 日本:寛文11年
- 琉球:尚貞3年
【琉球】
尚貞即位の謝恩のため使節派遣.
1672年
- 中国:康熙11年
- 日本:寛文12年
- 琉球:尚貞4年
【琉球】
12.3[10.15]進貢のため耳目官の呉美徳等を派遣.
1673年
- 中国:康煕12年
- 日本:延宝1年
- 琉球:尚貞5年
【琉球】
「羽地仕置」成立.国王の知念・玉城・久高への行幸を停止.
1678年
- 中国:康煕17年
- 日本:延宝6年
- 琉球:尚貞10年
【琉球】
12.11[10.18]進貢のため耳目官の陸承恩等を派遣.
恩納(佐渡山)親方安治が検使として宮古・八重山に派遣される.八重山独自の神職永良比金(エラビンガニ),廃止.
1680年
- 中国:康熙19年
- 日本:延宝8年
- 琉球:尚貞12年
【琉球】
11.20[9.30]進貢・請封のため耳目官の毛見龍等を派遣.
1682年
- 中国:康煕21年
- 日本:天和2年
- 琉球:尚貞14年
【琉球】
11.10[10.12]進貢,冊封使迎接のため耳目官の毛文祥等を派遣.
知花・宝口・湧田の陶窯を壺屋に統合.綱吉将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
1683年
- 中国:康煕22年
- 日本:天和3年
- 琉球:尚貞15年
【琉球】
12.19[11.2]謝恩のため法司王舅の毛国珍等を派遣.
12.19[11.2]冊封使を護送するため都通事の毛文善等を派遣.
冊封使の汪楫・副使の林麟焻来琉し,尚貞を国王に封ずる.汪楫,帰国後に『使琉球雑録』『中山沿革志』を著す.
【その他】
オスマン帝国,第2次ウィーン包囲失敗.
1684年
- 中国:康熙23年
- 日本:貞享1年
- 琉球:尚貞16年
【琉球】
12.30[11.25]進貢のため耳目官の呉世俊等を派遣.
1686年
- 中国:康煕25年
- 日本:貞享3年
- 琉球:尚貞18年
【琉球】
12.18[11.4]進貢・官生派遣のため耳目官の魏応伯等を派遣.
12.18[11.4]官生として官生の梁成楫・鄭秉鈞・阮維新・蔡文溥等を派遣.
幕府,渡唐銀を2000両に制限.
1687年
- 中国:康煕26年
- 日本:貞享4年
- 琉球:尚貞19年
【琉球】
山林・原野の開墾を禁止.
1688年
- 中国:康煕27年
- 日本:元禄1年
- 琉球:尚貞20年
【琉球】
10.8[9.15]進貢のため耳目官の毛起竜等を派遣.
清,進貢船の乗員を200人に増員,接貢船の関税を免除.島津氏,琉球の渡唐銀を706貫に減額.
【その他】
イギリス,名誉革命(~1689).
1689年
- 中国:康煕28年
- 日本:元禄2年
- 琉球:尚貞21年
【琉球】
12.1[10.20]接貢のため都通事の毛文善等を派遣.
系図座設置,翌年より「家譜」の編集はじまる.
【中国】
清,ロシアとネルチンスク条約を締結.
1690年
- 中国:康熙29年
- 日本:元禄3年
- 琉球:尚貞22年
【琉球】
11.11[10.11]進貢のため耳目官の温允傑等を派遣.
1691年
- 中国:康熙30年
- 日本:元禄4年
- 琉球:尚貞23年
【琉球】
11.27[10.8]接貢のため都通事の鄭明良等を派遣.
1692年
- 中国:康熙31年
- 日本:元禄5年
- 琉球:尚貞24年
【琉球】
12.2[10.25]進貢・謝恩のため耳目官の馬廷器等を派遣.
1693年
- 中国:康熙32年
- 日本:元禄6年
- 琉球:尚貞25年
【琉球】
11.6[10.9]接貢のため都通事の毛文善等を派遣.
1695年
- 中国:康煕34年
- 日本:元禄8年
- 琉球:尚貞27年
【琉球】
11.14[10.8]接貢のため都通事の蔡灼等を派遣.
1696年
- 中国:康熙35年
- 日本:元禄9年
- 琉球:尚貞28年
【琉球】
11.14[10.20]進貢のため耳目官の毛天相等を派遣.
1697年
- 中国:康煕36年
- 日本:元禄10年
- 琉球:尚貞29年
【琉球】
12.10[10.27]接貢のため都通事の魏士哲等を派遣.
百姓の甘蔗・ウコンの作付制限.蔡鐸『中山世譜』を編集(~1701).『法式』(諸間切法式帳)布達.
1698年
- 中国:康熙37年
- 日本:元禄11年
- 琉球:尚貞30年
【琉球】
1.11[康煕36.11.30]王命を受け蔡鐸等により『歴代宝案』(第一集)が編集され成立.
11.22[10.20]進貢のため耳目官の毛龍図等を派遣.
宮古・八重山,製糖制限令により甘蔗作禁止.
1700年
- 中国:康熙39年
- 日本:元禄13年
- 琉球:尚貞32年
【琉球】
12.06[10.26]進貢のため耳目官の毛得範等を派遣.
1701年
- 中国:康熙40年
- 日本:元禄14年
- 琉球:尚貞33年
【琉球】
5.17[4.10]漂着民護送のため都通事の鄭士綸等を派遣.
11.14[10.15]接貢のため都通事の梁成楫等を派遣.
【その他】
スペイン継承戦争(~1713).
ドイツ,プロイセン王国成立.
1702年
- 中国:康熙41年
- 日本:元禄15年
- 琉球:尚貞34年
【琉球】
11.26[10.8]進貢のため耳目官の毛興龍等を派遣.
1703年
- 中国:康熙42年
- 日本:元禄16年
- 琉球:尚貞35年
【琉球】
12.6[10.28]接貢のため都通事の金溥等を派遣.
1707年
- 中国:康熙46年
- 日本:宝永4年
- 琉球:尚貞39年
【琉球】
接貢のため都通事の阮維新等を派遣.
1708年
- 中国:康煕47年
- 日本:宝永5年
- 琉球:尚貞40年
【琉球】
11.[10.]進貢のため耳目官の向英等を派遣.
この頃,沖縄・八重山で麻疹流行.
程順則,『六諭衍義』を福州で板刻し琉球に持ち帰る.
【日本】
徳之島で天然痘流行.
1709年
- 中国:康煕48年
- 日本:宝永6年
- 琉球:尚貞41年
【琉球】
11.[10.]接貢・報喪のため正議大夫蔡灼等を派遣.
大飢饉(死者3199人)おこる.首里城,再び炎上,正殿・北殿・南殿焼失.
【日本】
正徳の治(新井白石の登用)
1712年
- 中国:康煕51年
- 日本:正徳2年
- 琉球:尚益3年
【琉球】
首里城再建.島津,琉球国王の中山王の称号を許可.国王以外の王族の氏を向に改称.
進貢のため耳目官の毛九経等を派遣.
宮古・八重山,頭から蔵筆者およびその二子まで賦税免税.
1713年
- 中国:康煕52年
- 日本:正徳3年
- 琉球:尚敬1年
【琉球】
12.26[11.9]接貢のため耳目官の梁承寔等を派遣.
砂糖奉行を再建.蔡温,国師職を授かる.『琉球国由来記』編集.
八重山の白保村立,波照間村から300人を移住.
1714年
- 中国:康煕53年
- 日本:正徳4年
- 琉球:尚敬2年
【琉球】
12.17[11.11]進貢のため耳目官の馬献功等を派遣.
家継将軍職就任の慶賀,尚敬即位の謝恩のため使節派遣.この時,程順則,新井白石・萩生徂来と会う.
1717年
- 中国:康熙56年
- 日本:享保2年
- 琉球:尚敬5年
【琉球】
11.10[10.8]接貢のため都通事の鄭廷極等を派遣.
1718年
- 中国:康煕57年
- 日本:享保3年
- 琉球:尚敬6年
【琉球】
11.9[9.17]進貢・接封のため耳目官の向秉乾等を派遣.
11.[9.]漂着民護送のため都通事の毛士達等を派遣.
地方百姓の首里・那覇・泊・久米村移住を禁止.吉宗将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
1719年
- 中国:康煕58年
- 日本:享保4年
- 琉球:尚敬7年
【琉球】
冊封使の海宝・副使の徐葆光来琉し,尚敬を国王に封ずる.この時,冊封使とともに測量官の平安・豊盛額派遣される.
【琉球】
評価(ハンガー)事件.冊封の宴で玉城朝薫による組踊初上演.
【日本】
この頃,新井白石『南島志』を著す.
1720年
- 中国:康熙59年
- 日本:享保5年
- 琉球:尚敬8年
【琉球】
1.1[康熙58.11.22]謝恩のため法司王舅の向龍翼等を,冊封使を護送し国に帰すため都通事の鄭士紳等を派遣.
10.28[9.27]進貢のため耳目官の毛廷輔等を派遣.
1722年
- 中国:康煕61年
- 日本:享保7年
- 琉球:尚敬10年
【琉球】
12.10[11.3]進貢のため耳目官の毛弘健等を派遣.
12.10[11.3]官生として蔡用佐・蔡元龍・鄭師崇等を派遣.
薩摩より検地を命ぜられる(享保の盛増).現高8万7815石余.
1723年
- 中国:雍正1年
- 日本:享保8年
- 琉球:尚敬11年
【琉球】
11.[10.]慶賀・進香のため王舅の翁国柱等を,官生として鄭秉哲・鄭謙・蔡宏訓等を派遣.
1724年
- 中国:雍正2年
- 日本:享保9年
- 琉球:尚敬12年
【琉球】
11.[10.]進貢のため耳目官の毛健元等を派遣.
蔡温,『中山世譜』を増補改訂(~1725).
【中国】
キリスト教の布教を禁止する.
1726年
- 中国:雍正4年
- 日本:享保11年
- 琉球:尚敬14年
【琉球】
11.2[10.9]進貢のため耳目官の毛汝龍等を派遣.
1728年
- 中国:雍正6年
- 日本:享保13年
- 琉球:尚敬16年
【琉球】
12.10[11.10]進貢のため耳目官の毛鴻基等を派遣.
蔡温,三司官となる.現高8万8547石余.トキ・ユタ禁止.取納奉行設置.
1730年
- 中国:雍正8年
- 日本:享保15年
- 琉球:尚敬18年
【琉球】
12.30[11.21]進貢のため王舅の向克濟等を派遣.
程順則等の命により康煕36年から雍正5年までの記録を編集し『歴代宝案』第二集の巻16までが編纂される.以後,順次編纂される.
麻疹流行.
1732年
- 中国:雍正10年
- 日本:享保17年
- 琉球:尚敬20年
【琉球】
12.11[10.24]進貢のため耳目官の温思明等を派遣.
12.11[10.24]雇用船を返還するため都通事の蔡墉等を派遣.
蔡温ら『御教条』を発布.「位階定」を布達.
【日本】
享保の大飢饉.
1734年
- 中国:雍正12年
- 日本:享保19年
- 琉球:尚敬22年
【琉球】
3.17[2.13]漂着民護送のため都通事の鄭廷幹等を派遣.
「国家の御難題」を企んだとして,平敷屋朝敏・友寄安乗ら処刑.蔡温ら『農務帳』を公布.
1735年
- 中国:雍正13年
- 日本:享保20年
- 琉球:尚敬23年
【琉球】
蔡温,羽地川の治水にあたり,植林奨励.『諸間切公事帳』発布.
【日本】
徳之島に黍横目を設置.
1736年
- 中国:乾隆1年
- 日本:元文1年
- 琉球:尚敬24年
【琉球】
11.15[10.13]進貢のため耳目官の毛光潤等を派遣.
蔡温,国中の河川を改修し,村落の新設・移転を行う.
凶作にそなえて,各間切で囲米を実施する.
1737年
- 中国:乾隆2年
- 日本:元文2年
- 琉球:尚敬25年
【琉球】
1.30[乾隆1.12.11]進香・慶賀のため王舅の向啓猷等を派遣.
『山奉行所規模帳』『杣山法式帳』発布.乾隆の大御支配(元文検地)開始(~1750).
1738年
- 中国:乾隆3年
- 日本:元文3年
- 琉球:尚敬26年
【琉球】
12.18[11.8]進貢のため耳目官の向維豪等を派遣.
1740年
- 中国:乾隆5年
- 日本:元文5年
- 琉球:尚敬28年
【琉球】
12.28[11.10]進貢・謝恩のため紫巾官の翁鴻業等を派遣.
1741年
- 中国:乾隆6年
- 日本:寛保1年
- 琉球:尚敬29年
【琉球】
12.11[11.4]接貢のため都通事の鄭士綽等を派遣.
1745年
- 中国:乾隆10年
- 日本:寛保5年
- 琉球:尚敬33年
【琉球】
4.17[3.16]漂着民護送のため都通事の蔡宏謨等を派遣.
1746年
- 中国:乾隆11年
- 日本:寛保6年
- 琉球:尚敬34年
【琉球】
12.27[11.16]進貢のため耳目官の毛允仁等を派遣.
1747年
- 中国:乾隆12年
- 日本:寛保7年
- 琉球:尚敬35年
【日本】
喜界島,天然痘流行.
1749年
- 中国:乾隆14年
- 日本:寛延2年
- 琉球:尚敬37年
【琉球】
1.12[乾隆13.11.24]進貢のため耳目官の向永成等を派遣.
1750年
- 中国:乾隆15年
- 日本:寛延3年
- 琉球:尚敬38年
【琉球】
1.31[乾隆14.12.24]漂着民護送のため都通事の阮超群等を派遣.
4.26[3.20]漂着民護送のため都通事の陳以桂等を派遣.
12.1[11.18]進貢のため耳目官の毛元烈等を派遣.
三府龍脈碑記,名護に建立される.
1751年
- 中国:乾隆16年
- 日本:宝暦1年
- 琉球:尚敬39年
【琉球】
12.13[10.26]接貢・喪報のため正議大夫の鄭国楨等を派遣.
1752年
- 中国:乾隆17年
- 日本:宝暦2年
- 琉球:尚穆1年
【琉球】
11.24[10.19]進貢のため耳目官の向邦鼎等を派遣.
尚穆即位の謝恩のため使節派遣.
【東南アジア】
ビルマ,コンバウン朝成立(~1885).
1753年
- 中国:乾隆18年
- 日本:宝暦3年
- 琉球:尚穆2年
【琉球】
11.04[10.10]接貢のため都通事の金安等を派遣.
1754年
- 中国:乾隆19年
- 日本:宝暦4年
- 琉球:尚穆3年
【琉球】
12.5[10.22]進貢・請封のため耳目官の毛元翼等を派遣.
1755年
- 中国:乾隆20年
- 日本:宝暦5年
- 琉球:尚穆4年
【琉球】
11.30[10.27]接貢のため在船都通事の鄭秉和等を派遣.
1756年
- 中国:乾隆21年
- 日本:宝暦6年
- 琉球:尚穆5年
【琉球】
12.3[10.12]謝恩・進貢のため法司王舅の馬宣哲等を派遣.
冊封使の全魁・副使の周煌来琉し,尚穆を国王に封ずる.周煌,帰国後に『琉球国志略』を著す.
1757年
- 中国:乾隆22年
- 日本:宝暦7年
- 琉球:尚穆6年
【琉球】
2.12[乾隆21.12.24]冊封使を護送し帰国させるため都通事の梁増等を派遣.
12.19[11.9]国使を接回するため都通事の鄭允廸等を派遣.
12.19[11.9]接貢のため都通事の阮超叙等を派遣.
【中国】
ヨーロッパとの貿易を広州1港に制限する.
【その他】
インド,プラッシーの戦い.
1758年
- 中国:乾隆23年
- 日本:宝暦8年
- 琉球:尚穆7年
【琉球】
11.11[10.11]進貢のため耳目官の毛世俊等を,官生として梁允治・鄭孝徳・蔡世昌・金型等を派遣.
1759年
- 中国:乾隆24年
- 日本:宝暦9年
- 琉球:尚穆8年
【琉球】
11.27[10.8]接貢のため都通事の鄭宣猷等を派遣.
1761年
- 中国:乾隆26年
- 日本:宝暦11年
- 琉球:尚穆10年
【琉球】
10.21[9.24]漂着民護送のため都通事の金節等を派遣.
1762年
- 中国:乾隆27年
- 日本:宝暦12年
- 琉球:尚穆11年
【琉球】
11.30[10.15]進貢のため耳目官の馬国器等を派遣.
1763年
- 中国:乾隆28年
- 日本:宝暦13年
- 琉球:尚穆12年
【琉球】
接貢のため在船都通事の紅乗毅等を派遣.
1766年
- 中国:乾隆31年
- 日本:明和3年
- 琉球:尚穆15年
【琉球】
1.30[乾隆30.12.2]接貢のため都通事の梁増等を派遣.
12.25[11.24]進貢のため耳目官の阿必振等を派遣.
田地奉行職設置.総横目役設置.上江洲倫完,人痘法を行う.
1767年
- 中国:乾隆32年
- 日本:明和4年
- 琉球:尚穆16年
【琉球】
与世山親方,検使として宮古・八重山・久米島を視察.宮古島で天然痘流行,多良間島まで蔓延.
【日本】
徳之島・喜界島で天然痘流行.
1768年
- 中国:乾隆33年
- 日本:明和5年
- 琉球:尚穆17年
【琉球】
1.26[乾隆32.12.7]接貢のため在船都通事の毛廷秀等を派遣.
大地震発生,王城の石垣をはじめ家屋多数倒壊.慶良間島,津波による被害.
1769年
- 中国:乾隆34年
- 日本:明和6年
- 琉球:尚穆18年
【琉球】
1.14[乾隆33.12.7]進貢のため耳目官の毛徳儀等を派遣.
12.14[11.17]接貢のため使者の楊光祖等を派遣.
1771年
- 中国:乾隆36年
- 日本:明和8年
- 琉球:尚穆20年
【琉球】
乾隆の大津波(明和津波)発生,宮古・八重山の死者1万1941人.八重山で疫癘流行.
1772年
- 中国:乾隆37年
- 日本:安永1年
- 琉球:尚穆21年
【琉球】
1.13[乾隆36.12.9]接貢のため都通事の鄭鴻勲等を派遣.
12.5[11.11]進貢のため耳目官の向宣謨等を派遣.
疫病流行し4560余人死亡(『球陽』).
【日本】
田沼意次が老中となる.
1774年
- 中国:乾隆39年
- 日本:安永3年
- 琉球:尚穆23年
【琉球】
12.13[11.11]進貢のため耳目官の向崇猷等を派遣.
1775年
- 中国:乾隆40年
- 日本:安永4年
- 琉球:尚穆24年
【その他】
アメリカ独立戦争(~1783).
1776年
- 中国:乾隆41年
- 日本:安永5年
- 琉球:尚穆25年
【琉球】
1.1[乾隆40.11.11]接貢のため在船都通事の毛景裕等を派遣.
12.22[11.12]進貢のため耳目官の翁宏基等を派遣.
【その他】
アメリカ独立宣言.
1777年
- 中国:乾隆42年
- 日本:安永6年
- 琉球:尚穆26年
【琉球】
12.1[11.2]接貢のため在船都通事の程容光等を派遣.
1779年
- 中国:乾隆44年
- 日本:安永8年
- 琉球:尚穆28年
【琉球】
12.17[11.10]接貢のため在船都通事の楊文煥等を派遣.
1780年
- 中国:乾隆45年
- 日本:安永9年
- 琉球:尚穆29年
【琉球】
12.1[11.6]進貢のため耳目官の向翼等を派遣.
1781年
- 中国:乾隆46年
- 日本:天明1年
- 琉球:尚穆30年
【琉球】
12.1[11.15]接貢のため在船都通事の梁国琬等を派遣.
1782年
- 中国:乾隆47年
- 日本:天明2年
- 琉球:尚穆31年
【琉球】
進貢のため耳目官の毛廷棟等を派遣.
【日本】
天明の大飢饉(~1787).
【東南アジア】
タイ,ラタナコーシン朝成立.
1783年
- 中国:乾隆48年
- 日本:天明3年
- 琉球:尚穆32年
【琉球】
11.30[11.7]接貢のため在船都通事の鄭維翰等を派遣.
1784年
- 中国:乾隆49年
- 日本:天明4年
- 琉球:尚穆33年
【琉球】
薩摩の琉球仮屋を琉球館に,仮屋守を聞役と改称.この頃より翌年にかけて大飢饉,1785年薩摩藩へ援助要請.
進貢のため耳目官の向猷等を派遣.
1785年
- 中国:乾隆50年
- 日本:天明5年
- 琉球:尚穆34年
【琉球】
12.11[11.10]接貢のため在船都通事の蔡徳蘊等を派遣.
1788年
- 中国:乾隆53年
- 日本:天明8年
- 琉球:尚穆37年
【琉球】
11.29[11.2]進貢・謝恩のため紫巾官の向處中等を派遣.
1791年
- 中国:乾隆56年
- 日本:寛政3年
- 琉球:尚穆40年
【琉球】
接貢のため在船使者の伊宜璉等を派遣.
1792年
- 中国:乾隆57年
- 日本:寛政4年
- 琉球:尚穆41年
【琉球】
1.1[乾隆56.11.9]進貢のため耳目官の毛国棟等を派遣.
【中国】
イギリス使節マカートニーが乾隆帝に謁見.
【日本】
ロシアのラクスマンが根室に来航.
1793年
- 中国:乾隆58年
- 日本:寛政5年
- 琉球:尚穆42年
【琉球】
12.5[11.3]接貢のため在船都通事の阮成善等を派遣.
1795年
- 中国:乾隆60年
- 日本:寛政7年
- 琉球:尚温1年
【琉球】
12.17[11.7]接貢のため在船都通事の鄭天眷等を,慶賀・進貢のため王舅の東邦鼎等を派遣.
【日本】
徳之島・喜界島で天然痘流行.
1796年
- 中国:嘉慶1年
- 日本:寛政8年
- 琉球:尚温2年
【琉球】
尚温即位の謝恩のため使節派遣.
【中国】
白蓮教徒の乱(~1804).
1799年
- 中国:嘉慶4年
- 日本:寛政11年
- 琉球:尚温5年
【琉球】
9.6[8.7]接貢・接封のため正議大夫の梁煥等を派遣.
1800年
- 中国:嘉慶5年
- 日本:寛政12年
- 琉球:尚温6年
【琉球】
10.29[9.12]冊封謝恩のため王舅の毛国棟等を派遣.
冊封使の趙文楷・副使の李鼎元来琉し,尚温を国王に封ずる.
冊封使を護送し帰国させるため都通事の蔡清派等を,進貢のため耳目官の向必顕等を派遣.
この年,久米村(士族)が独占していた官生を首里(士族)からも採用することになり,官生騒動おこる.
【日本】
伊能忠敬が蝦夷地の測量をおこなう.
1801年
- 中国:嘉慶6年
- 日本:享和1年
- 琉球:尚温7年
【琉球】
接貢のため在船都通事の林家槐等を,接回国使のため在船都通事の梁邦弼等を派遣.
1802年
- 中国:嘉慶7年
- 日本:享和2年
- 琉球:尚温8年
【琉球】
7.9[6.10]進貢のため在船都通事の王以文等を,官生として向偱師・周崇鐈・向世徳・鄭邦孝等を派遣.
7.9[6.10]漂着民護送のため都通事の鄭世俊を派遣.
この頃,『歴代宝案』(国立国会図書館写本)成立か.
【東南アジア】
阮福映がベトナムを統一.
1803年
- 中国:嘉慶8年
- 日本:享和3年
- 琉球:尚成1年
【琉球】
9.22[8.7]接貢・報喪のため正議大夫の梁允功等を派遣.
9.22[8.7]雇用船を返還するため在船都通事の阮世晋等を派遣.
1804年
- 中国:嘉慶9年
- 日本:文化1年
- 琉球:尚灝1年
【琉球】
9.16[8.13]進貢のため耳目官の毛廷勷等を派遣.(1802年に派遣するも途中死亡した官生向偱師等の代わりに)毛邦俊・向邦正・梁文翼・楊徳昌等を派遣.
【日本】
ロシア使節のレザノフが長崎に来航.
【その他】
ハイチが独立.以後ラテンアメリカ諸国の独立が続く.
フランス,ナポレオンが皇帝に即位する.
1805年
- 中国:嘉慶10年
- 日本:文化2年
- 琉球:尚灝2年
【琉球】
9.28[8.6]接貢のため在船都通事の鄭永泰等を派遣.
1806年
- 中国:嘉慶11年
- 日本:文化3年
- 琉球:尚灝3年
【琉球】
9.18[8.7]進貢・請封のため耳目官の楊克敦等を派遣.
尚灝即位の謝恩のため使節派遣.
【その他】
神聖ローマ帝国滅亡.
ナポレオンが大陸封鎖令を発令する.
1807年
- 中国:嘉慶12年
- 日本:文化4年
- 琉球:尚灝4年
【琉球】
接貢・接封のため正議大夫の蔡邦錦等を派遣.
1808年
- 中国:嘉慶13年
- 日本:文化5年
- 琉球:尚灝5年
【琉球】
11.1[9.13]冊封謝恩のため法司王舅の毛光国等を,冊封使を護送し帰国させるため都通事の蔡肇基等を派遣.
11.1[9.13]雇用船を返還するため在船都通事の鄭世俊等を派遣.
冊封使の斉鯤・副使の費錫章来琉し,尚灝を国王に封ずる.斉鯤,帰国後に『続琉球国志略』を著す.
【日本】
フェートン号事件.
1809年
- 中国:嘉慶14年
- 日本:文化6年
- 琉球:尚灝6年
【琉球】
2.5[嘉慶13.12.21]雇用船を賠還するため在船都通事の鄭崇基等を派遣.
2.5[嘉慶13.12.21]接回員役のため在船都通事の毛廷器等を派遣.
接回国使のため在船都通事の鄭文洙等を派遣.
漂着民護送のため都通事の魏崇仁等を派遣.
1810年
- 中国:嘉慶15年
- 日本:文化7年
- 琉球:尚灝7年
【琉球】
進貢のため耳目官の向国柱等を,官生として陳善継・馬執宏・毛世輝・梁元樞等を派遣.
1811年
- 中国:嘉慶16年
- 日本:文化8年
- 琉球:尚灝8年
【琉球】
9.25[8.8]接回員役のため在船都通事の蔡次九等を派遣.
1812年
- 中国:嘉慶17年
- 日本:文化9年
- 琉球:尚灝9年
【琉球】
9.15[8.10]進貢のため耳目官の向謹等を派遣.
1813年
- 中国:嘉慶18年
- 日本:文化10年
- 琉球:尚灝10年
【琉球】
接貢のため在船都通事の梁淵等を派遣.
1816年
- 中国:嘉慶21年
- 日本:文化13年
- 琉球:尚灝13年
【琉球】
イギリス軍艦ライラ号,アルセスト号来航し滞在.ジョン・マクロード,バジル・ホール来琉し,帰国後に航海記を著す.この年,飢饉がおこり死者1563人にのぼる.
進貢のため耳目官の毛維憲等を派遣.
漂着民護送のため都通事の金思明等を派遣.
【中国】
イギリス使節アマーストが来航.
1817年
- 中国:嘉慶22年
- 日本:文化14年
- 琉球:尚灝14年
【琉球】
4.22[3.7]漂着民護送のため都通事の鄭思謨等を派遣.
9.14[8.4]接貢のため在船都通事の魏崇仁等を派遣.
【その他】
ジョン・マクロード『アルセスト号朝鮮琉球航海記』刊行.
1820年
- 中国:嘉慶25年
- 日本:文政3年
- 琉球:尚灝17年
【琉球】
9.18[8.12]進貢のため耳目官の向邦正等を派遣.
1821年
- 中国:道光1年
- 日本:文政4年
- 琉球:尚灝18年
【琉球】
慶賀・進香・接貢のため王舅の向廷謀等を派遣.
漂着民護送のため司瞻養大使の傅国屏等を派遣.
1822年
- 中国:道光2年
- 日本:文政5年
- 琉球:尚灝19年
【琉球】
進貢のため耳目官の毛樹徳等を派遣.
1823年
- 中国:道光3年
- 日本:文政6年
- 琉球:尚灝20年
【琉球】
9.19[8.15]接貢のため在船都通事の陳有憲等を派遣.
9.19[8.15]漂着民護送のため都通事の梁宏業等を派遣.
9.19[8.15]漂着民護送のため都通事の陳啓緒等を派遣.
12.5[11.4]雇用船返還のため在船都通事の王秉謙等を派遣.
【その他】
アメリカ,モンロー宣言.
1824年
- 中国:道光4年
- 日本:文政7年
- 琉球:尚灝21年
【琉球】
進貢のため耳目官の向廷楷等を派遣.
1825年
- 中国:道光5年
- 日本:文政8年
- 琉球:尚灝22年
【琉球】
4.27[3.10]漂着民護送のため都通事の紅泰煕等を派遣.
9.14[8.3]接貢のため在船都通事の毛超叙等を派遣.
9.14[8.3]漂着民護送のため都通事の孫光裕等を派遣.
【日本】
清・オランダ以外の船の撃退を命じる異国船打払令(無二念打払令)が出される.
1826年
- 中国:道光6年
- 日本:文政9年
- 琉球:尚灝23年
【琉球】
9.14[8.13]進貢・謝恩のため紫巾官の馬開基等を派遣.
【東南アジア】
マレー半島に,イギリス領海峡植民地が成立.
【その他】
バジル・ホール『朝鮮西沿岸及び大琉球島探検航海記』刊行.
1827年
- 中国:道光7年
- 日本:文政10年
- 琉球:尚灝24年
【琉球】
4.29[4.4]護送のため都通事の魏永昌等を派遣.
9.22[8.2]接貢のため在船都通事の魏思聰等を派遣.
前年の暴風雨のため大飢饉.4年連続の飢饉で死者が3358人にのぼる.イギリス軍艦ブロッサム号来琉.
1829年
- 中国:道光9年
- 日本:文政12年
- 琉球:尚灝26年
【琉球】
8.31[8.3]接貢のため在船都通事の王秉謙等を派遣.
1830年
- 中国:道光10年
- 日本:天保1年
- 琉球:尚灝27年
【琉球】
9.23[8.7]進貢のため耳目官の向国壁等を派遣.
1831年
- 中国:道光11年
- 日本:天保2年
- 琉球:尚灝28年
【琉球】
5.29[4.18]漂着民護送のため都通事の鄭肇業等を派遣.
9.12[8.7]接貢のため在船都通事の陳啓緒等を派遣.
「新集科律」制定.薩摩,貢米2800石の替わりに砂糖75万斤の上納を命じる(薩摩への貢糖の始まり).『久米仲里間切公事帳』『久米具志川間切例帳』出される.
1832年
- 中国:道光12年
- 日本:天保3年
- 琉球:尚灝29年
【琉球】
8.27[8.2]進貢のため耳目官の向永昌等を派遣.
イギリス軍艦アマースト号来航.宣教師ギュツラフ来琉.暴風と干ばつにより大飢饉がおこる.尚育即位の謝恩のため使節派遣.
1835年
- 中国:道光15年
- 日本:天保6年
- 琉球:尚育1年
【琉球】
9.25[8.4]接貢のため在船都通事の楊徳崇等を派遣.
1836年
- 中国:道光16年
- 日本:天保7年
- 琉球:尚育2年
【琉球】
9.13[8.3]進貢のため耳目官の向大烋等を派遣.
1837年
- 中国:道光17年
- 日本:天保8年
- 琉球:尚育3年
【琉球】
3.[2.]漂着民護送のため都通事の鄭元偉等を派遣.
9.2[8.3]接封・接貢のため正議大夫の鄭良弼等を派遣.
アメリカ商船モリソン号,那覇へ来航.その後,浦賀と山川で砲撃を受ける(モリソン号事件).
【日本】
大塩平八郎の乱.
【その他】
ウィリアム・ブロートン『北太平洋航海踏査録』刊行.
1838年
- 中国:道光18年
- 日本:天保9年
- 琉球:尚育4年
【琉球】
10.3[8.15]謝恩・進貢のため法司王舅の翁寛等を派遣.
10.3[8.15]冊封使を護送し帰国させるため都通事の鄭依信等を派遣.
冊封使の林鴻年・副使の高人鑑来琉し,尚育を国王に封ずる.林鴻年,帰国後に『使琉球録』を著す.
1839年
- 中国:道光19年
- 日本:天保10年
- 琉球:尚育5年
【琉球】
9.9[8.2]接貢のため在船都通事の梁宏業等を派遣.
接回のため在船都通事の王徳才等を派遣.
【中国】
欽差大臣の林則徐,広州でアヘンの取り締まりをおこなう.
【日本】
蛮社の獄.
1840年
- 中国:道光20年
- 日本:天保11年
- 琉球:尚育6年
【琉球】
8.29[8.3]進貢のため耳目官の向国鼎等を派遣.
8.29[8.3]官生として阮宣詔・鄭学楷・向克秀・東国興等を派遣.
イギリス東インド会社のインディアン・オーク号,北谷沖で座礁し,島民に救助される.
【中国】
アヘン戦争(~1842).
1841年
- 中国:道光21年
- 日本:天保12年
- 琉球:尚育7年
【琉球】
5.12[閏3.22]漂着民護送のため都通事の王兆杜等を派遣.
9.16[8.2]接貢のため在船都通事の鄭国宝等を派遣.
【日本】
老中の水野忠邦が天保の改革をはじめる.
1842年
- 中国:道光22年
- 日本:天保13年
- 琉球:尚育8年
【琉球】
9.8[8.4]進貢のため耳目官の向紹元等を派遣.
家慶将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
【中国】
イギリスと南京条約を締結する.
【日本】
天保の薪水給与令が出される.
1844年
- 中国:道光24年
- 日本:弘化1年
- 琉球:尚育10年
【琉球】
進貢のため耳目官の毛嘉栄等を派遣.
フランス軍艦アルクメーヌ号来航,和親交易・布教を要求.宣教師フォルカードを残す(聖現寺に逗留).
【中国】
アメリカと望厦条約,フランスと黄埔条約を締結する.
1846年
- 中国:道光26年
- 日本:弘化3年
- 琉球:尚育12年
【琉球】
イギリスの宣教師ベッテルハイム来琉(護国寺に逗留 ~1854).フランス艦隊来航し,フォルカードを乗せて去る.首里城重修.
那覇滞在のベッテルハイム等の退去を要請するため請諭使王舅の毛増光等を,進貢のため耳目官の向元模等を派遣.
1847年
- 中国:道光27年
- 日本:弘化4年
- 琉球:尚育13年
【琉球】
9.12[8.4]接貢のため在船都通事の蔡能述等を派遣.
1849年
- 中国:道光29年
- 日本:嘉永2年
- 琉球:尚泰2年
【琉球】
9.20[8.4]接貢のため在船都通事の蔡士俊等を派遣.
1851年
- 中国:咸豊1年
- 日本:嘉永4年
- 琉球:尚泰4年
【琉球】
8.29[8.3]接貢のため在船都通事の毛嘉梧等を派遣.
ジョン万次郎ら,アメリカ船で来琉し,摩文仁に上陸.
【中国】
太平天国の乱(~1864).
【その他】
ロンドンで第1回万国博覧会開催.
1852年
- 中国:咸豊2年
- 日本:嘉永5年
- 琉球:尚泰5年
【琉球】
9.16[8.3]那覇滞在のベッテルハイム等の退去を要請するため請諭使王舅の馬克承等を,進貢のため耳目官の毛種美等を派遣.
異国方御用掛を設置.
中国人奴隷(苦力)の反乱により,アメリカの奴隷貿易船ロバート・バウン号,石垣島に漂着.苦力380人,上陸するも翌年にかけイギリス軍艦により128人死亡(ロバート・バウン号事件).宮古島,大飢饉で死者3000余人(子年大飢饉)
1853年
- 中国:咸豊3年
- 日本:嘉永6年
- 琉球:尚泰6年
【琉球】
9.17[8.15]接貢のため在船都通事の鄭元広等を派遣.
9.17[8.15]漂着民護送のため都通事の鄭嘉政等を派遣.
9.17[8.15]漂着民護送のため都通事の王家錦等を派遣.
アメリカ海軍ペリー提督,来航(以後,那覇・泊を常時利用).首里城に強行入城.恩納間切での誤射事件など起きる.
ロバートバウン号生存者,中国へ送還.宮古・八重山,飢饉・疫癘,宮古島死者662人,八重山島死者100余人.
【日本】
アメリカのペリーが浦賀に,ロシアのプチャーチンが長崎に来航.
1854年
- 中国:咸豊4年
- 日本:安政1年
- 琉球:尚泰7年
【琉球】
9.24[8.3]進貢・謝恩のため紫巾官の向邦棟等を派遣.
アメリカ水兵殺害事件(ボード事件)おこる.琉米修好条約調印.ベッテルハイム,ペリー艦隊に同乗して去る.ロシアのプチャーチン来航.
宮古で役人の不正を王府に直訴する多良間騒動おこる(~1855).
【日本】
日米和親条約を締結.
1855年
- 中国:咸豊5年
- 日本:安政2年
- 琉球:尚泰8年
【琉球】
4.30[3.15]漂着民護送のため都通事の鄭学楷等を派遣.
9.13[8.3]接貢のため在船都通事の毛鳳彩等を派遣.
琉仏修好条約を締結.
1856年
- 中国:咸豊6年
- 日本:安政3年
- 琉球:尚泰9年
【琉球】
翁長親方朝典,検使として宮古・八重山を視察(~1857).
進貢のため耳目官の向有恒等を派遣.
1857年
- 中国:咸豊7年
- 日本:安政4年
- 琉球:尚泰10年
【琉球】
9.19[8.2]接貢のため在船都通事の林興教等を派遣.
【中国】
アロー号事件(第二次アヘン戦争,~1860).
【その他】
インド,シパーヒーの反乱(~1859).
フランシス・ホークス『ペルリ提督日本遠征記』刊行.
1858年
- 中国:咸豊8年
- 日本:安政5年
- 琉球:尚泰11年
【琉球】
9.9[8.3]進貢のため耳目官の翁俊等を派遣.
薩摩の市来四郎,島津斉彬の密命(蒸気軍艦注文の件など)を承け,フランス人と交渉.斉彬の急死により交渉中断.
『翁長親方八重山島規模帳』出される.
【中国】
ロシアとアイグン条約,ロシア・アメリカ・イギリス・フランスと天津条約を締結.
【日本】
日米修好通商条約を締結.その後,イギリス・ロシア・オランダ・フランスとも修好通商条約を締結.
【その他】
ムガル帝国滅亡.イギリスの直接統治開始.
1859年
- 中国:咸豊9年
- 日本:安政6年
- 琉球:尚泰12年
【琉球】
8.29[8.2]接貢のため在船都通事の毛克述等を派遣.
牧志・恩河事件(三司官人事をめぐる疑獄事件に端を発し,島津斉彬に協力した王府内部勢力を粛清した事件).琉蘭修好条約を締結.
【日本】
安政の大獄.
1860年
- 中国:咸豊10年
- 日本:万延1年
- 琉球:尚泰13年
【琉球】
9.18[8.4]進貢のため耳目官の向志道等を派遣.
牧志朝忠・恩河朝恒・小禄良忠ら牧志・恩河事件の関係者処分,断罪.琉球科律・新集科律の要点を整理した『法条』を制定.
宮古島で波平恵教らの讒書事件おこる
【日本】
薩摩,琉球の貢糖制復活.
桜田門外の変.
1861年
- 中国:咸豊11年
- 日本:文久1年
- 琉球:尚泰14年
【琉球】
9.6[8.2]接貢のため在船都通事の毛嘉桐等を派遣.
文替り始まる(銅銭1文を鉄銭2文に引合わせる).
【その他】
イタリア王国成立.
アメリカで南北戦争おこる(~1865).
1862年
- 中国:同治1年
- 日本:文久2年
- 琉球:尚泰15年
【琉球】
4.30[4.2]漂着民護送のため都通事の梁超羣等を派遣.
8.26[8.2]進貢のため耳目官の向啓元等を派遣.
牧志朝忠,上国を命ぜられるも途次,伊平屋沖で投身.この頃,琉球・奄美諸島のほぼ全域で麻疹流行.
【日本】
薩摩,琉球通宝の鋳造許可を幕府より得る.生麦事件.
1863年
- 中国:同治2年
- 日本:文久3年
- 琉球:尚泰16年
【琉球】
8.26[7.13]漂着民護送のため都通事の鄭秉衡等を派遣.
与儀通事親雲上鄭良佐,宮古・八重山の風水を見分.
【その他】
アメリカ,奴隷解放宣言.
1864年
- 中国:同治3年
- 日本:文久4年
- 琉球:尚泰17年
【琉球】
慶賀・接貢のため王舅の馬文英等を,進貢のため耳目官の東国興等を派遣.
雇用船を返還するため在船都通事の孫得才等を派遣.
【日本】
薩英戦争.
1865年
- 中国:同治4年
- 日本:慶応1年
- 琉球:尚泰18年
【琉球】
この年,太田朝敷(~1938),謝花昇(~1908)生まれる.
接封・接貢のため正議大夫の鄭秉衡等を派遣.
1866年
- 中国:同治5年
- 日本:慶応2年
- 琉球:尚泰19年
【日本】
3.7[1.21]薩長同盟締結.
7.18[6.7]幕府による第二次長州征伐始まる.
【琉球】
冊封使の趙新・副使の于光甲来琉し,尚泰を琉球国中山王に封ずる(最後の冊封).趙新,帰国後に『続琉球国志略』を著す.
冊封謝恩のため紫巾官の毛文彩等を派遣.
進貢のため法司王舅の馬朝棟等を派遣.
1867年
- 中国:同治6年
- 日本:慶応3年
- 琉球:尚泰20年
【日本】
1.10[慶応2.12.5]徳川慶喜,征夷大将軍となる.
11.9[10.14]大政奉還の上表を朝廷に提出(翌日勅許).
【琉球】
接貢のため在船都通事の王兼才等を派遣.
接回国使のため在船都通事の蔡大鼎等を派遣.
この年,仲吉朝助生まれる(~1926).
1868年
- 中国:同治7年
- 日本:慶応4 明治1年
- 琉球:尚泰21年
【日本】
1.27[1.3]鳥羽・伏見の戦い.戊辰戦争(~1869).
9.3[7.17]江戸を東京とする.
10.23[9.8]明治と改元.
【琉球】
進貢のため耳目官の向文光等を派遣.あわせて官生として毛啓祥・葛兆慶・林世功・林世忠等を国子監に派遣.
文替り(銅銭1文が鉄銭32文に改定され物価高騰).
この年,岸本賀昌(~1928),當山久三(~1910),高嶺朝教(~1939)生まれる.
1869年
- 中国:同治8年
- 日本:明治2年
- 琉球:尚泰22年
【日本】
6.27[5.18]戊辰戦争終わる.
7.25[6.17]版籍奉還.
【琉球】
8.27[7.20]島津忠義,鹿児島藩知事となり琉球もその管轄となる.
接貢のため在船使者の向良行等を派遣.
【その他】
スエズ運河開通.
1870年
- 中国:同治9年
- 日本:明治3年
- 琉球:尚泰23年
【日本】
徳之島で天然痘流行,死者2000人にのぼる.
1871年
- 中国:同治10年
- 日本:明治4年
- 琉球:尚泰24年
【日本】
5.22[4.4]戸籍法を定める(1872.2.1施行,壬申戸籍).
8.29[7.14]廃藩置県の詔書発布(3府302県)(琉球,鹿児島県管轄となる).
9.13[7.29]日清修好条規調印.
12.10[10.28]府県官制を定める([11.2]県知事を県令と改称).
【琉球】
宮古島民台湾遭害事件おこる.12.17[11.7]69人乗りの宮古島貢納船,台湾に漂着,54人惨殺される(生存者12人・翌年7月[6月]帰国).
接貢のため在船使者の齊啓泰等を派遣.
【日本】
廃藩置県により鹿児島県設置(琉球,鹿児島県の管轄に).
日清修好条規,通商章程など調印.
岩倉使節団,欧米を歴訪する(~1873).
【中国】
清国とロシアの間で伊犂問題おこる.
【その他】
ドイツ帝国成立.
1872年
- 中国:同治11年
- 日本:明治5年
- 琉球:尚泰25年
【琉球】
3.4[1.25]奈良原繁,伊地知貞馨,鹿児島県の命により来琉,国政の変革を告げ島治の改革を求める.
【日本】
3.10[2.2]日清修好条規改定交渉のため外務大丞柳原前光を清国に派遣.
5.19[4.13]柳原前光,台湾遭難事件を外務卿副島種臣に報告.
【琉球】
6.5[4.30]大蔵大輔井上馨,琉球の版籍を収めんことを建議.
【琉球】
7.12[6.7]台湾遭難事件の生存者12人帰る.
8.28[7.25]維新慶賀使(正使伊江王子朝直・副使宜野湾親方朝保)上京.
【日本】
9.5[8.3]学制を制定.
9.16[8.24]伊地知貞馨,副島外務卿らに台湾遭難事件を報告し,鹿児島県令大山綱良の台湾出兵建言書を提出.
【琉球】
10.16[9.14]琉球藩設置(尚泰を藩王とし華族に列する,琉球藩事務は外務省の管轄とする).
10.30[9.28]琉球藩と各国との条約および交際事務は外務省の管轄とする(琉球藩の外交権の停止).
10.31[9.29]在番奉行を廃し,外務省出張所を設置.
【日本】
12.9[11.9]太陽暦を採用するとの詔書(1872年12月3日を1873年1月1日とする).
【琉球】
進貢のため在船使者の毛開瑞等を派遣.
1873年
- 中国:同治12年
- 日本:明治6年
- 琉球:--年
【日本】
1.10 徴兵令を制定.
2.28 外務卿副島を特命全権大使として清国に派遣(条約批准書交換,台湾問題の交渉).
【琉球】
4.21 年頭使(与那原親方良傑)東京に派遣.以後東京藩邸に詰める.
【中国】
6.21 清国大臣,台湾生蕃は化外の民と言明.
【琉球】
7.11 ドイツ商船ロベルトソン号,宮古島宮国沖で座礁難破,乗組員救助される.
【日本】
7.28 地租改正条例を布告.
【琉球】
8.11 外務卿副島,琉球藩の国体政体は永久に不変と与那原に約束.
【琉球】
8.19 琉球藩印を下付される.
【日本】
10.24 征韓論が容れられなかった陸軍大将西郷隆盛,参議を辞職.
11.10 内務省設置(初代内務卿大久保利通).
【琉球】
接貢のため存留通事の楊廷鼎等を派遣.
富川親方盛奎,検使として宮古・八重山へ派遣.
1874年
- 中国:同治13年
- 日本:明治7年
- 琉球:--年
【日本】
2.6 閣議で台湾出兵を決定.
4.4 台湾蕃地事務局設置.
5.17 政府,台湾出兵を中止するも,陸軍中将西郷従道,出兵を強行,6月には牡丹社などを武力で鎮圧.
【琉球】
7.12 琉球藩事務,内務省の管轄となる.
【日本】
9.10 大久保利通,全権弁理大臣として北京に到着.
10.31 台湾問題につき,日清間で互換条款並びに互換憑単を調印.
【琉球】
12.15 大久保利通,「琉球藩処分着手の儀」を提議.
【琉球】
琉仏・琉米・琉蘭条約の原本を政府へ差し出す.
進貢のため耳目官の毛精長等を派遣.
『富川親方八重山島規模帳』『富川親方宮古島規模帳』など出される.
【日本】
台湾出兵.
1875年
- 中国:光緒1年
- 日本:明治8年
- 琉球:--年
【琉球】
2.5 三司官池城安規ら再上京,5月4日まで大久保内務卿らと交渉を続ける.
5.7 政府,熊本鎮台沖縄分遣隊を設置.
【日本】
5.7 樺太・千島交換条約調印.
【琉球】
7.10 内務大丞松田道之,処分官として来琉.
7.14 松田,首里城で清国への使節派遺および冊封・朝貢の廃止,明治年号使用,藩政改革,福州琉球館の廃止,尚泰の上京などを命ずる.
9.11 松田帰京.三司官池城安規ら,陳情特使として松田とともに上京.この後,在京の池城ら,清国との関係存続を政府に嘆願する(~1879.2)が拒否される.
【日本】
9.20 江華島事件.
11.8 琉球航路開始.
1876年
- 中国:光緒2年
- 日本:明治9年
- 琉球:--年
【琉球】
3.22 宮古島に独逸皇帝博愛記念碑建立.
【琉球】
5.10 政府,在京の琉球使節らに退去命令を出す.
5.17 裁判・警察事務を内務省出張所の管轄とする.
【琉球】
5.28 真和志間切古波蔵の敷地を兵営地として陸軍省に引渡す.
6.7 琉球人の清国渡航制限される.
7.26 熊本鎮台沖縄分遺隊および警部・巡査ら那覇着(9.3古波蔵に駐屯).
【日本】
8.24 日朝修好条規(江華島条規)締結.
10. 熊本で神風連の乱,福岡で秋月の乱,山口で萩の乱などがおこる.
【琉球】
12.6 向徳宏(幸地親方朝常)・蔡大鼎(伊計親雲上)・林世功(名城里之子親雲上)ら,密書を携えて清国へ出発.
進貢のため朝京都通事の金重威等を派遣.
この年,伊波普猷生まれる(~1947).
1877年
- 中国:光緒3年
- 日本:明治10年
- 琉球:--年
【日本】
2.15 西南戦争始まる(~9.24).
【琉球】
10.21 一向宗(真宗)法難事件おこる.
【日本】
伊地知貞馨『沖縄志』刊行.
【その他】
インド帝国成立.
1878年
- 中国:光緒4年
- 日本:明治11年
- 琉球:--年
【琉球】
1. 琉球藩庁,一向宗門徒(369人)に対して判決を言い渡す.
【日本】
7.22 「三新法」制定(郡区町村編制法,府県会規則,地方税規則).
【琉球】
9.3 清国公使何如璋,琉球処分につき日本政府に抗議する.
10. 政府,一向宗信者に対する藩庁の処刑を不当(私刑)として撤回を命ずる.
11. 松田道之,「琉球処分案」を内務卿伊藤博文に提出.
【琉球】
富川盛奎,与那原良傑ら,東京で英国公使パークスらに救国請願を行う
1879年
- 中国:光緒5年
- 日本:明治12年
- 琉球:--年
【琉球】
1.25 松田,再び来琉.対清関係断絶などに関する遵奉書の提出を通達.琉球は延期を要請(2.4 松田帰京).
2.18 政府,内務省に臨時取調係を設置し,琉球処分案を起案.
3.25 松田,三度目の来琉(内務官僚41人,警部・巡査160人余,熊本鎮台分遣隊を同伴).
3.27 琉球藩王に廃藩置県を通達し,藩王を華族に列し東京居住を命ずる(3.11付).木梨精一郎を県令心得に任命し,内務省出張所に仮県庁を設置.
3.31 尚泰,首里城を明渡す.
【沖縄】
4.4 琉球藩を廃し沖縄県とする布告出される.翌日,初代県令に鍋島直彬を任命(着任は5.18).
4.27 尚典上京し,尚泰の上京延期を嘆願するも却下.
5.20 清国政府,琉球処分につき日本政府に抗議.
5.27 尚泰,上京する.
6.3 アジア来遊中の前米大統領グラント,北京にて清国より琉球問題の調停を依頼される.6.12 天津にて李鴻章・グラント会談.
6.21 内務省出張所廃止.
6.25 県政の基本方針(旧慣温存)を布達.
7.3 アメリカ前大統領グラント来日.8.10 グラント,天皇に分島案(琉球二分案)を提示.
9. 鹿児島の琉球館廃止.
12.7 竹添進一郎,井上外務卿らの意向で天津にて李鴻章と会談.
12.14 鍋島県令,勧業資金の貸下げを政府に要請.
この年,真境名安興生まれる(~1933).河原田盛美『琉球備忘録』刊行.
松田道之『琉球処分』,渡辺重綱『琉球漫録』刊行.コレラ大流行(患者1万1200人余,死者6400人余).この年の人口31万人余,戸数6万3000戸余.
宮古・八重山の在番を廃止,蔵元は存続.
1880年
- 中国:光緒6年
- 日本:明治13年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 県庁内に会話伝習所設置.
3.26 天津で琉球問題をめぐる交渉会議始まる.竹添進一郎,「分島改約案」(琉球分割,条約改定のセット案)を李鴻章に提示.4.4 李,「分島改約案」に不満を示し,「琉球三分説」を提示.
4.17 「分島改約案」閣議で決定.
6.21 会話伝習所を沖縄師範学校に改称,那覇市西村に設置(1886年首里に移転).
6. 県,行政区画を首里・那覇・島尻・中頭・国頭・伊平屋・久米島・宮古・八重山とし,役所を設置.
7. 政府,沖縄県士族の金禄公債を決定.
8.31 政府による金禄公債処分(秩禄処分)が1885年を期しておこなわれる旨を告知.
10.21 駐清公使宍戸璣,清国と「分島改約案」を議定.
11. 清国,「分島改約案」の調印延期を表明.
11.20 林世功,北京で自刃.
12. 県学務課,『沖縄対話』を編纂.国学を首里中学校と改称.
県下に14の小学校を創設(島尻10,伊江島1,首里3).
この年,伊波普成(月城)生まれる(~1945).
1881年
- 中国:光緒7年
- 日本:明治14年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.20 宍戸公使,「球案破約」と称し中国より帰国.
【中国】
2.24 清国とロシアの伊犂問題,ペテルスブルグ条約締結により決着.
【沖縄】
5.18 鍋島県令解任,上杉茂憲,第2代県令となる.
6.18 県庁を首里から那覇西村に移転.
7. 粟国島人民,地方役人の不当徴税に反対し租税徴収簿公開を要求(粟国島騒動).
11.8 上杉県令,島尻・中頭・国頭の3地方を巡視(~12.4).
12.14 日清交渉再開に向けて天津で竹添・李鴻章会談開かれる.
1882年
- 中国:光緒8年
- 日本:明治15年
- 琉球:--年
【沖縄】
3.11 上杉県令上京し,地方役場の吏員改正,地租改正などにつき建白.
3.30 竹添・李会談で宮古・八重山に琉球王国を建国する「琉球二分割案」提示.
4.27 旧三司官富川盛奎ら中国へ出奔(脱清).
7.19 尾崎三良,沖縄の諸制度調査のため来県,『沖縄県視察復命書』を政府に提出(11月).
【朝鮮】
7.23 朝鮮で反日暴動おこる(壬午事変).
【沖縄】
11.16 第1回県費留学生として太田朝敷・岸本賀昌・謝花昇・高嶺朝教・今帰仁朝蕃が上京(翌年,今帰仁が帰郷,替わりに山口全述が選抜される).
この年,東恩納寛惇生まれる(~1963).
1883年
- 中国:光緒9年
- 日本:明治16年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.14 会計検査院長岩村通俊,来県.
4.22 上杉県令解任.岩村,会計検査院長兼第3代沖縄県令に任命される.
6. 鹿児島第百四十七国立銀行,那覇に支店開設.
12.21 岩村県令解任,内務省土木局長西村捨三が第4代県令を兼務.
【日本】
12.28 徴兵令改正.
【沖縄】
この年,脱清者あいつぐ.比嘉春潮生まれる(~1977).
1884年
- 中国:光緒10年
- 日本:明治17年
- 琉球:--年
【日本】
1.19 政府,1885年からの士族の金禄処分を取消す(のち無期限延期).
3.15 地租条例制定.
【沖縄】
7. 各間切で旧慣調査行われる.
8.23 尚泰,一時帰郷.
【中国】
8.26 清仏戦争(~1885.6.).
【沖縄】
9. 西村県令,久米島の大原開墾計画について政府に上申.
【朝鮮】
12.4 甲申事変.
【沖縄】
12.20 西村県令,外務卿井上馨らに「脱清人処分之義ニ付伺」を提出.
城間正安,宮古に製糖教師として来島.古賀辰四郎,尖閣列島を探検.
1885年
- 中国:光緒11年
- 日本:明治18年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 沖縄県医院に附属の医学講習所(1889年医生教習所に改称)を設置.
3. 師範附属小学校で女児教育はじめる.
【日本】
4.18 天津条約調印(甲申事変の事後処理のため日清間に結ばれた条約).
【沖縄】
9. 大阪商船,定期航路(大阪-沖縄線)開設.
12.2 三井物産会社,西表炭坑の採掘権を入手し,採掘開始.
【日本】
12.22 内閣制度創設(第一次伊藤博文内閣成立).
松方デフレおこる.
【沖縄】
この年,間切や村の「内法」を「沖縄県旧慣間切内法」に成文化.
1886年
- 中国:光緒12年
- 日本:明治19年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 沖縄私立教育会結成.6月『沖縄私立教育会雑誌』(のちの『琉球教育』)発行.
3. 内務大臣山県有朋来沖.
【日本】
4.10 「師範学校令」「小学校令」「中学校令」公布.
【沖縄】
4.27 西村県令解任,大迫貞清第5代県令となる.
【日本】
7.20 「地方官官制」公布,県令は知事と改められる.
【沖縄】
8. 士族授産事業の県織物工場,首里に設立.
11. 師範学校を沖縄県尋常師範学校と改称.
11. 在京の県留学生,「勇進社」を結成.
12. 首里中学校を沖縄尋常中学校と改称.
1887年
- 中国:光緒13年
- 日本:明治20年
- 琉球:--年
【沖縄】
4.14 大迫知事解任,福原実第6代知事となる.
6. 尚家を中心に沖縄広運株式会社設立.
11.21 総理大臣伊藤博文・陸軍大臣大山巌・海軍大臣仁礼景範ら,軍事視察のため来県.
12. 師範学校に「御真影」下賜.
1888年
- 中国:光緒14年
- 日本:明治21年
- 琉球:--年
【沖縄】
3. 東京で「沖縄学生会」結成.
【日本】
4.25 「市制・町村制」公布(1989.4.1より内務大臣の指定する地方に順次施行).
【沖縄】
9.18 福原知事解任,丸岡莞爾第7代知事となる.
12.7 甘藷作付制限撤廃.
この年,尚昌生まれる(~1923).県人口37万4698人.
1889年
- 中国:光緒15年
- 日本:明治22年
- 琉球:--年
【日本】
1.21 改正徴兵令(沖縄県及び小笠原には施行されず).
2.11 大日本帝国憲法発布(1890.11.25施行).
【沖縄】
12. 那覇・首里の小学校に「御真影」下賜.
1890年
- 中国:光緒16年
- 日本:明治23年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.5 東京の沖縄学生会,「沖縄青年会」と改称(9月,『沖縄青年雑誌』発行).
1.29 波上宮,官幣小社となる.
【日本】
5.17 府県制・郡制公布(施行時期は内務大臣が決定).
7.1 第1回衆議院議員総選挙行われる.
10.30 「教育ニ関スル勅語」発布.
11.25 第1回帝国議会召集(開会は11.29).
【沖縄】
12. 県下各小学校に「御真影」下賜.
この年,屋部憲通ら初めて陸軍教導団に入営.仲原善忠生まれる(~1964).
この年,尚泰,華族選任の貴族院議員となる.
1891年
- 中国:光緒17年
- 日本:明治24年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.「八重山開墾規則」制定され,石垣島での開墾認める.
【日本】
5.11 ロシア皇太子,大津で暴漢に襲われる(大津事件).
7.1 府県制施行開始(郡制施行を前提に順次施行).
【沖縄】
7. 中川虎之助ら,八重山興産会社設立.
8. 沖縄私立教育会,沖縄県私立教育会と改称.
9.26 謝花昇帰県,沖縄県技師となる.
1892年
- 中国:光緒18年
- 日本:明治25年
- 琉球:--年
【沖縄】
7.20 丸岡知事解任,奈良原繁第8代知事となる.
11. 宮古に人頭税廃止運動おこる.この頃,中村十作,宮古島に来島する.
この年,首里士族ら八重山に移住開墾.
1893年
- 中国:光緒19年
- 日本:明治26年
- 琉球:--年
【沖縄】
4.1 県内務部第1課『沖縄旧慣地方制度』刊行.
4. 田島利三郎,中学校の国語教師として赴任.
6.1 笹森儀助来県,宮古・八重山を含む沖縄調査を実施.
7. 中川虎之助ら,石垣の官有地の開墾を出願し,許可される.
9.15 『琉球新報』創刊(社主尚順,太田朝敷・高嶺朝教・護得久朝惟ら).
10. 宮古島農民代表(西里蒲・平良真牛・城間正安・中村十作),島政改革請願のため上京.
11.28 宮古農民代表,第5回帝国議会に「沖縄県宮古島島費軽減及島政改革請願書」を提出(12.30衆議院解散となり,審議未了).
1894年
- 中国:光緒20年
- 日本:明治27年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 内務書記官一木喜徳郎,旧慣調査のため来県.仁尾惟茂主税官,大蔵大臣に沖縄調査の「復命書」提出.
4.4 中村十作,請願のため再び上京.
【朝鮮】
5. 朝鮮で甲午農民戦争おこる.朝鮮国王,袁世凱に清軍派遣を要請.
【日本】
6.7 政府,清国に日本軍出兵を通告.日本軍,朝鮮の京城に入る.
【中国】
6.20 李鴻章,ロシア公使に朝鮮問題で日清間の調停を依頼.
【日本】
7.16 日英通商航海条約締結.
8.1 日清戦争始まる(1895.3.30休戦).
【沖縄】
9. 謝花昇,開墾事務主任を解任される(杣山問題で奈良原知事と対立).
この年,3月に中頭の杣山開墾,12月に国頭の杣山開墾行われる.
この年,寄留商人ら,自衛組織「同盟義会」を結成.笹森儀助『南島探験』刊行.
1895年
- 中国:光緒21年
- 日本:明治28年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.8 宮古農民代表らの請願,第8回帝国議会で採択(1.26議会,政府に「沖縄県宮古島島費軽減及島政改革の件-宮古島西里蒲外160名提出(意見書)」を提出).
1.14 政府,尖閣諸島の久場島・魚釣島を沖縄県の管轄とすることを決定.
【日本】
3. 首相伊藤博文・外相陸奥宗光,下関で李鴻章と講和にむけて会談.
4.17 日清講和条約(下関条約)調印.日本は台湾の領有権を得る.4.23 独・仏・露,三国干渉.
5.10 樺山資紀を初代台湾総督に任命.
【沖縄】
5. 尚寅ら8人の発起により公同会結成される.この月,北白川宮能久親王,中城湾に寄港.
10. 『沖縄県私立教育会雑誌』,『琉球教育』と改題.
10. 児玉喜八校長の退職と教育刷新を求めて尋常中学ストライキ事件おこる(~1896.3).
【日本】
10. 台湾の抗日ゲリラ運動激化(~1902).
【沖縄】
この年,中城湾を軍港に指定.チェンバレン『琉球語文典及び語彙』刊行.
1896年
- 中国:光緒22年
- 日本:明治29年
- 琉球:--年
【沖縄】
3.5 沖縄県区制および郡編制の勅令公布.首里・那覇の2区と島尻・中頭・国頭・宮古・八重山の5郡となる(4.1施行).
4.1 宮古・八重山島役所を島庁に改める(役所長は島司に改称).
4.7 師範学校に女子講習科設置.
【日本】
4.8 「移民保護法」公布.
7.21 日清通商航海条約調印.
【沖縄】
7.23 沖縄分遣隊,撤退. 7. 中城湾需品支庫建設.
10.16 那覇-鹿児島海底電信敷設,那覇郵便局にて通信開始.
この年,「頑固党」党首の義村按司朝明,渡清.謝花昇『沖縄糖業論』刊行.
この年,内地(日本)・沖縄・台湾の内台航路開設.
1897年
- 中国:光緒23年
- 日本:明治30年
- 琉球:--年
【日本】
2.27 日本人移民,ハワイで上陸を拒否される.
【沖縄】
3.29 「沖縄県間切島吏員規程」公布(4.1施行),宮古・八重山各々1間切1郡となる.間切・島番所は役場と改称,地方役人,大幅に減員となる.
4. 首里区立女子実業補習学校を首里小学校女子部内に設置.
【日本】
5.29 北海道に区政・一級・二級町村制を公布.
【沖縄】
5. 沖縄-基隆間に海底電信線敷設.
【日本】
9.21 『万朝報』など公同会運動を報道.本土の各新聞,公同会の政府への特別制度施行の請願を「復藩」運動として取り上げる.
1898年
- 中国:光緒24年
- 日本:明治31年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.1 「徴兵令」施行(先島に免役規程).
3.5 「沖縄警備隊区司令部条例」公布.
【中国】
3.~ 清国,英・露・独・仏などと租借条約などを締結.
【沖縄】
4. 沖縄尋常師範学校を沖縄県師範学校と改称.『沖縄県用尋常小学読本』編纂.
7.14 「臨時沖縄県土地整理事務局官制」公布.
【中国】
9.21 戊戌政変.
【沖縄】
12.21 「沖縄県間切島規程」公布(1899.1.1施行).
この年,徴兵忌避相次ぐ.国頭実業補習学校設立.
1899年
- 中国:光緒25年
- 日本:明治32年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.6 沖縄県農工銀行設立(資本金20万円,営業開始4.5).
1. この頃,謝花昇,新垣弓太郎・當山久三らと東京で沖縄倶楽部を結成,『沖縄時論』を発行.
2. 田中正造,衆議院の沖縄県土地整理法案読会で奈良原県政を攻撃.
3.10 「沖縄県土地整理法」公布.
【中国】
3. 義和団事件.6. 義和団鎮圧のため日本を含む8カ国が軍を派遣(~1901.9.7).
【沖縄】
4.1 土地整理事業はじまる(~1903.10.).4.8 県,徴兵忌避への内訓を発する.
7. 謝花昇らの経営する「南陽社」開業.
8. 株式会社第百四十七銀行沖縄支店設立される.
10. 玉置半右衛門,大東島開墾を出願.
11. 謝花ら上京して参政権運動(自由民権運動)を展開(~1900).
12.5 當山久三の勧誘斡旋により,ハワイ移民団発つ(ハワイ上陸者26人).
この年,女子の入墨(ハジチ)に違警罪を適用.この頃より女生徒の和装広まる.八重山高等小学校,初めて台湾へ修学旅行.
1900年
- 中国:光緒26年
- 日本:明治33年
- 琉球:--年
【日本】
3.10 「治安警察法」公布.3.29 「改正衆議院議員選挙法」公布(沖縄県への適用は宮古・八重山を除き沖縄島に限定,施行時期は勅令による).
【沖縄】
6.20 師範学校内に私立沖縄高等女学校設立.
この頃県人口46万5470人.
政府は無人島(ラサ島)を沖大東島と命名し,沖縄県の所轄とする.
1901年
- 中国:光緒27年
- 日本:明治34年
- 琉球:--年
【日本】
2.28 愛国婦人会結成.
【沖縄】
8.19 尚泰死去.
【中国】
9.7 義和団事件最終議定書(北京議定書)調印.
【沖縄】
この頃,各間切で風俗改良運動さかんに行われる.この年,沖縄の就学率71.6%に伸びる.
1902年
- 中国:光緒28年
- 日本:明治35年
- 琉球:--年
【日本】
1.30 日英同盟協約調印.
【沖縄】
4.13 国頭郡立実業補習学校を国頭郡各間切島組合立国頭農学校と改称.
12. 宮古・八重山両郡の土地整理おわる.宮古・八重山両郡に徴兵令を施行.
在京の沖縄青年会,雑誌『沖縄青年』発行.
サンフランシスコで県人会設立.
1903年
- 中国:光緒29年
- 日本:明治36年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.1 宮古・八重山両郡に「地租条例」及び「国税徴収法」を施行.
3.15 當山久三,第2回ハワイ移民団を結成,渡航.
3. 大阪の第5回勧業博覧会会場周辺で沖縄人女性が陳列され,県世論沸騰(人類館事件).
【日本】
4.13 小学校教科書,国定となる.
【沖縄】
4. 硫黄鳥島噴火.
10.21 土地整理完了.10.31 『沖縄県土地整理紀要』まとめられる.
12. 鳥島住民69戸345人,久米島へ移住.
この年,首里区立女子工芸学校設立.私立沖縄高等女学校,県立に移管.この頃県人口約48万人.
1904年
- 中国:光緒30年
- 日本:明治37年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.1 本島の2区3郡にも「地租条例」および「国税徴収法」を施行.
【日本】
2.10 日露戦争始まる(~1905.9.).2.23 日韓議定書調印.
【沖縄】
3.25 愛国婦人会沖縄県支部発会.
4.10 當山久三の斡旋によりマニラ移民111人出発.
【日本】
8.22 第一次日韓協約調印.
【沖縄】
この年,ハワイへ262人,北米・メキシコへ223人,フィリピンへ360人が移民.島尻郡糸満村立水産補習学校,島尻郡東具組合立農業補習学校設立.
【日本】
この年,勅令により北海道に参政権施行.
1905年
- 中国:光緒31年
- 日本:明治38年
- 琉球:--年
【日本】
1.1 新増税実施される(砂糖消費税・沖縄県酒類出港税・通交税・売薬税・営業税・地租).
【沖縄】
4. 本県用国定教科書の使用開始.
【日本】
5.27 日本の連合艦隊,ロシアのバルチック艦隊を破る.
【沖縄】
6. 大阪商船,沖縄経由大阪-基隆線を開設する.
9.5 日露講和条約(ポーツマス条約)調印.
11.3 『沖縄新聞』創刊.
この年,仏領ニューカレドニアへ387人移民.
1906年
- 中国:光緒32年
- 日本:明治39年
- 琉球:--年
【沖縄】
3. 『琉球教育』,『沖縄教育』と改題.
4.1 『琉球新報』日刊となる.
7.23 伊波普猷,東京生活をきりあげ帰郷.
10.16 沖縄最初のペルー移民36人,横浜出港.
11.25 ホノルルで在布沖縄人会発会.
この年,ハワイ移民4467人.この年,沖縄の就学率90.1%に伸びる.
1907年
- 中国:光緒33年
- 日本:明治40年
- 琉球:--年
【その他】
3.14 米大統領令により日本人労働者の入国禁止.
【沖縄】
3.16 「沖縄県及島嶼町村制」公布(1908.4.1施行).
【日本】
4.1 樺太庁設置.
【沖縄】
この年,メキシコ移民250人,カナダ移民152人.
この年,中頭郡各間切組合立農学校設立.
この年,太田恭三郎,ダバオに太田興業株式会社を創設.
1908年
- 中国:光緒34年
- 日本:明治41年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 間切・島および村を村および字と改称.
【日本】
1.25 外務省,ハワイ移民停止(呼び寄せ移民を除く).
2.18 移民に関する「日米紳士協約」が成立し,米国への移民制限される.
【沖縄】
4.1「沖縄県及島嶼町村制」を施行.4.6 奈良原知事解任,日比重明第9代知事となる.
4.28 第1回ブラジル移民355人,神戸出港.
【日本】
4. 鹿児島県大島郡に「島嶼町村制」施行.
10.13 「戊申詔書」発布.
【沖縄】
10.29 謝花昇死去.
12.10 『沖縄毎日新聞』創刊(当間重慎社主,諸見里朝鴻主筆).
この年,渡地・仲島の遊郭を辻遊郭に合併.
南カリフォルニア沖縄県人会(北米沖縄クラブの前身)発足.
1909年
- 中国:宣統1年
- 日本:明治42年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 座間味で婦人会発足.この頃から県内各地で婦人会,母姉会発足.
3.22 「沖縄県に関する府県特例の件」公布(4.1施行).
5.11 初の県会議員選挙実施される(高嶺朝教・伊是名朝睦・當山久三ら当選).
7. 『沖縄公論』発刊.
10.5 中頭農学校ストライキ事件おこる.
1910年
- 中国:宣統2年
- 日本:明治43年
- 琉球:--年
【日本】
3. 地租条例改正され国税減額される.
【沖縄】
4.28 「沖縄県諸禄処分法」公布.
5.18 本部で徴兵忌避事件おこる(本部騒動).
【日本】
5.25 大逆事件,検挙始まる(6.1幸徳秋水逮捕).
【沖縄】
7.26 日比知事,「青年会婦女会設置標準」を定める.
8.1 沖縄県立図書館設立,伊波普猷,初代館長となる.
【日本】
8.22 韓国併合に関する日韓条約調印.8.29 朝鮮総督府設置に関する件を公布.
【沖縄】
11.7 佐敷尋常小学校で御真影焼失事件がおこる.
ペルー沖縄青年同志会発足.
1911年
- 中国:宣統3年
- 日本:明治44年
- 琉球:--年
【沖縄】
3. 「沖縄県町村会議員選挙規程」出される.
4.3 河上肇の舌禍事件おこる.
【日本】
4.7 「改正市制・改正町村制」公布.
【沖縄】
4. 尋常中学校を県立第一中学校と改称,県立第二中学校が第一中学校から分離設立.
5. 沖縄電気軌道株式会社設立(運行は1914.5.).
6.4 寄留商人ら実業懇親会を組織.
【中国】
10.10 辛亥革命.
【沖縄】
この年,伊波普猷『古琉球』刊行.
1912年
- 中国:中華民国1年
- 日本:明治45/大正1(7.30)年
- 琉球:--年
【中国】
1.1 中華民国(南京)臨時政府設立,孫文,臨時大統領に就任.
【沖縄】
3.30 沖縄県に「衆議院議員選挙法施行の件」公布.
5.15 沖縄県ではじめて衆議院議員選挙実施される(高嶺朝教・岸本賀昌当選,立憲政友会に入党).
8. 大阪商船株式会社那覇支店設置.
1913年
- 中国:中華民国2年
- 日本:大正2年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.10 沖縄砂糖同業組合設立.
4.5 『発展』創刊.
5.11 第2回県会議員選挙(太田朝敷ら当選).
6.1 日比知事解任,高橋琢也第10代知事となる.
8. 岸本賀昌・高嶺朝教ら沖縄県政研究会結成.
東京に学生寮明正塾建つ.この年,外務省,沖縄からのブラジル移民を禁止する.
呼寄せではじめてアルゼンチンヘ移民(14人).
1914年
- 中国:中華民国3年
- 日本:大正3年
- 琉球:--年
【沖縄】
5.3 首里-久米間に電車開通する.
6.9 高橋知事解任,大味久五郎第11代知事となる.
【その他】
7.28 第一次世界大戦勃発(1918.11.11に終結).
【沖縄】
8.3 『沖縄実業時報』創刊
【日本】
8.23 日本,ドイツに宣戦し,世界大戦に参加.
【沖縄】
9.1 『沖縄民報』創刊.
【日本】
10.14 日本軍,赤道以北の独領南洋群島を占領.
【沖縄】
11.29 那覇-与那原間に沖縄県営鉄道開通.
この年,喜舎場朝賢『琉球見聞録』刊行.
1915年
- 中国:中華民国4年
- 日本:大正4年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 『沖縄毎日新聞』が『沖縄毎日新報』へと改題
【日本】
1.18 政府,中国に21カ条の要求を出す.
【沖縄】
6.5 国頭街道(那覇-嘉手納-名護)開通.
11.10 『沖縄朝日新聞』創刊.
この年,沖縄県女子師範学校,沖縄県師範学校より分離設立.
この年,ダバオに古川拓殖株式会社進出.
1916年
- 中国:中華民国5年
- 日本:大正5年
- 琉球:--年
【沖縄】
3.16 沖縄広運株式会社,大阪商船株式会社に売却される(那覇を中心とする諸航路,事実上大阪商船株式会社の独占航路となる).
4.13 那覇港築港竣工式行われる.
4.28 大味知事解任,小田切磐太郎第12代県知事となる.
この月,沖縄馬車軌道株式会社,与那原-中城村渡口間開通(11月までには泡瀬まで延長).
5.4 小田切知事解任(免官),鈴木邦義第13代知事となる.
5.二中ストライキ事件おこる(~1917.12.4).
この月,沖縄へ自動車がはじめて輸入される.
6. 沖縄製糖株式会社設立,認可される.
この年,伊波普猷・真境名安興『琉球之五偉人』刊行.
1917年
- 中国:中華民国6年
- 日本:大正6年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.30 『實業時報』創刊.
4.15 八重山で『先嶋新聞』創刊.
8.19 島尻郡で本県初の女教員大会開かれる.
この年,沖縄製糖株式会社・沖台拓殖株式会社,台南製糖株式会社に併合される.沖縄から初のキューバ移民(1人).ブラジル移民解禁となる.
宮古で婦女会・処女会設立される.
【その他】
ロシア革命(2月革命,10月革命).
1918年
- 中国:中華民国7年
- 日本:大正7年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. この頃県下各地で食糧欠乏.
2.17 女子師範学校にて女教員大会開かれる.
【日本】
4.13 全国処女会中央部設立.
【沖縄】
4. 八重山で登野城尋常高等小学校処女修養会発足,以降,国頭処女会など相次いで発足.
7. 平尾喜三郎,貴族院議員(沖縄初の多額納税者議員)に選出される.
【日本】
8.2 シベリア出兵. 8. 米騒動.
【その他】
11.9 ドイツ革命.11.11 第一次世界大戦終結.
1919年
- 中国:中華民国8年
- 日本:大正8年
- 琉球:--年
【その他】
1.5 ドイツでドイツ労働者党結成(1920年,国家社会主義ドイツ労働者党〔ナチス〕に改称).
1.18 パリ講和会議開会.
【沖縄】
4.18 鈴木知事解任,川越壮介第14代知事となる.
【中国】
5.4 五・四運動. 5.7 パリ講和会議で南洋群島の日本への委任統治決定.
【日本】
5.7 パリ講和会議で南洋群島の日本への委任統治決定.
【沖縄】
5.23 「衆議院議員選挙法中改正法律」公布され,宮古・八重山を加え定員5人となる.
【その他】
6.28 ベルサイユ講和条約調印.
【沖縄】
6. 真境名安興ら沖縄地理歴史談話会設立.6. 『沖縄時事新報』創刊.
12.20 『宮古時報』創刊.
この年,『宮古新報』創刊.宮古・八重山郡にコレラ流行し患者2000余人,死亡900余人でる.
【日本】
この年,外務省再び沖縄のブラジル移民を規制.
1920年
- 中国:中華民国9年
- 日本:大正9年
- 琉球:--年
【その他】
1.10 国際連盟発足.
【沖縄】
4.1 市町村制・府県制特例を撤廃.
5.10 衆議院議員選挙実施(宮古・八重山両郡も初めて選挙権行使).
7. 『沖縄毎日新報』,『沖縄日日新聞』へと改題.
10.1 はじめて国勢調査を行なう(人口59万1572人).10. 県庁,美栄橋に移転.
11. 『沖縄時事新報』,『沖縄タイムス』へと改題
11.7 『宮古民友新聞』創刊.
11 坂口總一郎,沖縄県立第一中学校へ赴任(~1925年12月).
この年,鎌倉芳太郎来県.
米国,写真結婚による女子移民禁止.沖縄県海外協会ペルー支部発足.
1921年
- 中国:中華民国10 年
- 日本:大正10年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.5 柳田国男,民俗調査のため来県.
1. 東京の沖縄青年会,「東京沖縄県人会」と改称.
2.1 『八重山新報』刊行.
3.6 皇太子,渡欧の途次来県(御召艦艦長漢那憲和).
4.29 沖縄県町村会設立.
5.3. 『宮古新聞』創刊
5.20 那覇・首里に市制を施行(那覇市長当間重慎,首里市長高嶺朝教).5.27 川越知事解任,和田潤第15代知事となる.
7. 折口信夫,民俗調査のため来県.
9.7. 『宮古時論』創刊
【その他】
11.12 ワシントン軍縮会議(22年条約締結).
【沖縄】
この年,前年よりの糖価暴落つづく.『宮古時論』創刊.
サイパン島に南洋興発株式会社設立.北米で「黎明会」発足(又吉淳・屋部憲伝・幸地新政・宮城与徳ら.羅府日本人労働者会の前身).
【その他】
ドイツ,ヒトラーが国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党首となる.
1922年
- 中国:中華民国11年
- 日本:大正11年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 沖縄史跡保存会設立.
3.28 県営鉄道嘉手納線開通.
【日本】
4.1 南洋庁設置(本庁はパラオ諸島のコロール島).
4.21 柳田国男ら東京で「南島談話会」設立.
【沖縄】
4.25 沖縄県農工銀行,日本勧業銀行に合併され,その那覇支店となる.
7. ニコライ・ネフスキー宮古来島.
【その他】
10.27 イタリアでムッソリーニ政権成立.
【沖縄】
この頃より南洋群島への移民増える.
1923年
- 中国:中華民国12年
- 日本:大正12年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 『宮古タイムス』創刊.
2.19. 『沖縄ウィークリー』創刊.
【日本】
6.5 第一次共産党事件.
【沖縄】
7. 県鉄糸満線開通.7. 伊東忠太・鎌倉芳太郎来県,首里城の調査研究を行う.
8. サイパン沖縄県人会発足.
【日本】
9.1 関東大震災(9.2東京市周辺に戒厳令,朝鮮人暴動の流言が広まり,朝鮮人迫害はじまる,数千人が殺される).
【沖縄】
東京に移管されていた『歴代宝案』(王府保管本)が関東大震災により被災し焼失か.
10.25 和田知事解任,岩元禧第16代県知事となる.
【日本】
11.10 「国民精神作興に関する詔書」出される.
【沖縄】
12. 麓純義,寄留商人団の勢力を背景に那覇市長に当選,沖縄人と寄留商人の確執強まる.
この頃,県外出稼ぎ多くなる.丸一商店の福州支店(丸一洋行)閉店.
この年,那覇に無線電信局設置される.松永高元らが交配・育成したサツマイモ,「沖縄第1号」と命名される.『沖縄毎夕新聞』『沖縄日の出新聞』創刊.
この頃『沖縄評論』創刊.
この年,真境名安興『沖縄一千年史』刊行.
1924年
- 中国:中華民国13年
- 日本:大正13年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. この頃,真栄田(松本)三益ら関西沖縄県人会結成.
5.8 県農会設立.
【その他】
5.15 アメリカで「排日移民法」可決(7.1施行).ハワイ及び米国本土への移民,完全禁止となる.
【沖縄】
6.24 岩元知事解任,亀井光政第17代知事となる.
11.17 沖縄県海外協会設立.
この年,ソテツ地獄はじまる(~昭和初期).
この年,喜舎場永珣『八重山民謡誌』刊行.東恩納寛惇『尚泰侯実録』刊行.田島利三郎『琉球文学研究』刊行.
1925年
- 中国:中華民国14年
- 日本:大正14年
- 琉球:--年
【日本】
4.13 「陸軍現役将校学校配属令」公布(教練授業実施). 4.22「治安維持法」公布.
【沖縄】
4.24 首里城正殿,国宝に指定.
【日本】
5.5 「衆議院議員選挙法改正」(男子普通選挙法)公布.
【沖縄】
5. 大阪商船,沖縄(近海)航路独占.
9.17 沖縄銀行・沖縄産業銀行・那覇商業銀行合併して,沖縄興業銀行を設立.
この年,伊東忠太・黒板勝美,来県.伊波普猷『校訂おもろさうし』刊行.柳田国男『海南小記』刊行.新城朝功『瀕死の琉球』刊行.
【沖縄】
この年,帝国議会,沖縄経済を救済するための産業助成5カ年計画案を可決(~1930,助成費262万円交付).
【日本】
柳田国男ら,『民族』創刊.京浜沖縄学生会発足.
1926年
- 中国:中華民国15年
- 日本:大正15/昭和1(12.25)年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. この月,県選出代議士を含む12代議士,沖縄県の徹底的救済に関する建議案,衆議院に提出.
【日本】
3.5 労働農民党結成.
【沖縄】
3.14 沖縄青年同盟結成.
【日本】
4.20 「青年訓練所令」公布(7.1施行).
【中国】
7.9 蒋介石,北伐開始.
【沖縄】
7. 宮古島庁・八重山島庁をそれぞれ宮古支庁・八重山支庁と改称(島司は支庁長に改称).
8. ブラジルで球陽協会創立(在伯沖縄県人会).
9.28 亀井知事解任,今宿次雄第18代知事となる.
【日本】
12.25 昭和と改元.
【沖縄】
この年,伊波普猷『孤島苦の琉球史』刊行.新垣金造編『移民之友』刊行.
この年,第一高等女学校の制服をセーラー服にきめる.
この年,在米沖縄青年会発足.
1927年
- 中国:中華民国16 年
- 日本:昭和2年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.10 八重山で『先嶋朝日新聞』創刊.
1. サイパンで県出身の農業労働者,南洋興発株式会社に対してスト決行.
【日本】
3. 金融恐慌始まる.
4.1「兵役法」公布(12.1施行).
【沖縄】
5.7 今宿知事解任,飯尾藤次郎第19代知事となる.
8. 沖縄県工業指導所設置. 8. 社会科学研究会,小学校教員・師範学生らにより結成.
10. 青木恵哉来県,癩療養所設立運動を行う.
11. 島袋全発,真境名安興ら,南島研究会設立.
この年,沖縄県教育会主導で沖縄郷土研究会発足.
この年,田村浩『琉球共産村落之研究』刊行.
台湾で台北帝国大学土俗人種学研究室を母体として南方土俗学会設立.
1928年
- 中国:中華民国17年
- 日本:昭和3年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 労農党那覇支部設立.2.南島研究会,『南島研究』創刊.
3.8 婦人解放大会,那覇市にて開かれる.3.31 那覇市高等女学校,県立第二高等女学校となる.3. 沖縄県連合女子青年団発足.
【中国】
6.4 張作霖,奉天で爆死.
【日本】
6.29 「治安維持法改正」公布(即日施行).
【沖縄】
9. 特別高等警察課設置(7.3全府県の警察部に「特別高等課」が設けられる).
9. 『沖縄タイムス』,『沖縄昭和新聞』へと改題.
12.26 飯尾知事解任,細川長平第20代知事となる.
この年,仲吉朝助の「琉球の地割制度」,『史学雑誌』に掲載.
1929年
- 中国:中華民国18年
- 日本:昭和4年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 新垣バス,首里-那覇間運行開始.
2.6 社会科学研究会事件おこる.
4.10 労農党那覇支部,結社禁止.この月,『沖縄労農タイムス』創刊.
【日本】
4.16 日本共産党員ら全国的に検挙(4・16事件)
【沖縄】
7.5 細川知事解任,守屋磨瑳夫第21代知事となる.
8.10 『宮古時事新報』創刊.
10. 県内の組織労働者数,約2300人をかぞえる.
【その他】
10.24 世界恐慌始まる.
【沖縄】
この年,製糸会社の待遇悪く,県出身の女工続々帰郷.女教員研究会設立.湧上聾人編『沖縄救済論集』刊行.
1930年
- 中国:中華民国19年
- 日本:昭和5年
- 琉球:--年
【沖縄】
2.7. 『日刊沖縄毎日』創刊.
3.13 私立沖縄昭和女学校創立.3.31 国頭高等女学校,県に移管,県立第三高等女学校となる.3. 那覇市に約6000人の失業者.休退職を命ぜられる教員多く出る.
【日本】
4.22 ロンドン海軍軍縮条約調印.
【沖縄】
4. 那覇市女教員会,市当局へ男女の差別撤廃等7項目の意見書を提出.
4. 『宮古報知新聞』創刊.
6.28 台南製糖株式会社嘉手納工場の労働者200人,賃上げ等を要求して争議をおこす(牧原争議,~7.19).
8.26 守屋知事解任,井野次郎第22代知事となる.
【中国】
10.27 霧社事件(台湾).
【沖縄】
10. 大浜用立・桃原用永ら,日本教育労働者組合八重山支部(のち沖縄支部と改称)を結成.10. 教員中心に郷土教育連盟発足.
11. 県下各地で教員の給料不払いがおこる.
【日本】
12.23 文部省,「家庭教育ノ振興」を訓令,大日本連合婦人会設立.
【沖縄】
12. 沖縄県下左翼無産運動中央指導部結成.
この年,昭和恐慌激化.国勢調査人口57万7508人.
この年,テニアン製糖工場操業開始.
1931年
- 中国:中華民国20年
- 日本:昭和6年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.3 沖縄教育者労働組合(OIL)結成(2月に弾圧).
3.7 癩保養所県立宮古保養院開所.
3.羽地村嵐山で癩療養所着工,村民の反対運動により挫折(~1932年,嵐山事件).
3. 海外移住者の送金激減.
【日本】
3. 台湾で移川子之蔵らの南方土俗学会,『南方土俗』(のちに『南方民族』と改題)創刊.
【沖縄】
8.9 大宜味村村政革新同盟結成(9月,村長の辞職を求める).
【日本】
9.18 満州事変始まる.
【沖縄】
11.3. 『沖縄日日新聞』創刊.
この年,『歴代宝案』(久米村保管本)が久米村旧家で発見され,天尊廟へ移管される.
1932年
- 中国:中華民国21年
- 日本:昭和7年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.1 『八重山民報』創刊.
【中国】
3.1 満州国建国.
【日本】
3.18 大阪で国防婦人会発足.
5.15 青年将校ら犬養首相を襲う(5・15事件).
【沖縄】
6. 久志芙沙子「滅びゆく琉球女の手記」,『婦人公論』に掲載.
8.16 内務省内に沖縄県振興計画調査会設置.
8. 沖縄県国防研究会組織される.8. 島袋全発ら「おもろ研究会」発足.
【日本】
9.15 日満議定書調印(満州国を承認).
【沖縄】
11.5 井野知事,県勢振興,自力更生に関して告諭を発する.
12.6 振興計画調査会「沖縄県振興計画案」を一部修正して承認.
12.11 八重山教育者労働組合事件(八重山教員思想事件)で10人検挙される.
この年,天尊廟に移管されていた『歴代宝案』(久米村保管本)を東恩納寛惇が筆写する(東恩納寛惇写本).
この年,ブラジル移民2300人を送り出す.羽地で癩保養院設置反対運動激化(嵐山事件).台南製糖を改称し,沖縄製糖株式会社設立.太田朝敷『沖縄県政五十年』刊行.
1933年
- 中国:中華民国22年
- 日本:昭和8年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.11 県国防研究会,国防兵器献納運動を展開.1.17 那覇市連合婦人会結成.
【その他】
1.30 ヒトラー,ドイツ首相に就任.
【日本】
3.27 日本,国際連盟より脱退.
【沖縄】
4.5 『沖縄日日新聞』,『沖縄日報』へと改題
4.24 報国沖縄号の命名式行われる(5月,海軍への献納式).
【日本】
5. 柳田国男ら,『島』創刊.
【沖縄】
8. 太田朝敷ら沖縄文化協会設立.
この年,天尊廟に移管されていた『歴代宝案』(久米村保管本)を鎌倉芳太郎が撮影する(鎌倉芳太郎影印本).『歴代宝案』は旧沖縄県立図書館へ移管される.
この年,「沖縄県振興計画案」帝国議会を通過,実施.石井虎雄の指示により大宜味村で大日本国防婦人会が結成される.親泊康永『沖縄よ起ち上がれ』刊行.海軍によって「海軍小禄飛行場」として開設.
1934年
- 中国:中華民国23年
- 日本:昭和9年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 沖縄連隊区司令官石井虎雄,陸軍省および参謀本部に「沖縄防備対策」具申.
3.3 沖縄県連合婦人会発足.
4.19 県庁内に振興計画課設置. 4.27 沖縄郷土協会発足.
6.11 開洋会館(移民訓練所)落成. 6.25 沖縄県国民精神文化講習所設置.
10. 『沖縄宮古日報』創刊.
11. 在米沖縄青年会,在米沖縄県人会に改称.
この年,『日刊沖縄新聞』創刊.干ばつ続き,久米島・宮古・八重山中心に食料欠乏.
この年から翌年にかけて東恩納寛惇により『歴代宝案』が撮影される(東恩納寛惇影印本).旧沖縄県立図書館で『歴代宝案』の副本が作成されはじめる(旧沖縄県立図書館写本).
1935年
- 中国:中華民国24年
- 日本:昭和10年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.1 『沖縄毎夕新聞』創刊.
4. 青年学校教員養成所開設.
5.27 宮古の「久松五勇士」,日本海戦30周年式典で海軍省より表彰される.
5. 沖縄MTL(救癩組織)結成される.
6.28 井野知事解任,蔵重久第23代知事となる.
6. 癩療養所設置運動を続ける青木恵哉らに対し,住民による屋部焼打ち事件発生.
8.8 八重山で『海南時報』創刊.
8.21 蔵重知事,市町村長会で女児売買の禁止を訓示.
8. 内台航空路(福岡-那覇-台湾)開設.
親泊康永『義人謝花昇伝』刊行.国勢調査人口59万2239人.
この年から,台北帝国大学の依頼により旧沖縄県立図書館所蔵されていた『歴代宝案』の写本が作成されはじめる(台湾大学蔵写本).
【日本】
この年,「南洋群島開発10カ年計画」発表.
1936年
- 中国:中華民国25年
- 日本:昭和11年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 中国新京に満州拓殖株式会社設立.
【日本】
2.26 皇道派青年将校,首相らを襲撃(2・26事件).
【沖縄】
2. 県外出稼ぎ女工再び激増.
3.5 沖縄県初等教育研究会,姓名の読方統一を県教育会に建議することを決定.
4. 私立開南中学校設立.
7.4 首里城内に郷土博物館開館.
【日本】
11.25 日独防共協定締結.
【沖縄】
11. 国策会社南洋拓殖株式会社設立.
11. 宮古漲水港で,独逸皇帝感謝記念碑建立60周年記念祭が行われる.
【中国】
12.12 西安事件.
【沖縄】
12. 沖縄-鹿児島間無線電話開通.内台航空路開設
『宮古朝日新聞』『みやこ時報』創刊.
この頃,改姓改名,和装など風俗改良運動や愛国運動が展開される.
1937年
- 中国:中華民国26年
- 日本:昭和12年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 沖縄県教育会,「読み換えるべき姓」84例を発表.
3.6 国防婦人会沖縄地方本部結成.
5.11 羽地村屋我地島に私立療養所沖縄MTL相談所が開所.
【中国】
7.7 盧溝橋事件(日中戦争勃発).
【沖縄】
8. 在京の南島文化協会,県民の改姓改名運動を提唱.
10.7 国民精神総動員第1回沖縄県実行委員会開催.
【日本】
11. 日独伊防共協定成立.
12.13 日本軍,中国の南京を占領.
【沖縄】
12. 第2次社会科学研究会事件(小学校教員6人検挙).
1938年
- 中国:中華民国27年
- 日本:昭和13年
- 琉球:--年
【日本】
1. 「満蒙開拓青少年義勇軍」制度確立.
【沖縄】
2.28 屋我地島に臨時国立癩療養所国頭愛楽園設置.
3. 小中校で銃後教育強化.
【日本】
4.1 「国家総動員法」公布.
【沖縄】
4. 大宜味村に農村向上研究会設立,左翼啓蒙運動,反戦運動を行い,10月弾圧.
4. 県,満蒙青少年義勇軍として198人を送り出す.
6.24 蔵重知事解任,淵上房太郎第24代知事となる.
7. ユタ350人検挙.
8.10 『宮古時事新報』,『宮古時事新報』へ改題.
8. 沖縄県生活更新協会設立.
12.1 恩賜財団軍人援護会沖縄県支部設立.
この年,隣組設立.国民貯蓄組合結成.琉装全廃運動おこる.伊波普猷『をなり神の島』刊.宮古で『新開南』創刊.
1939年
- 中国:中華民国28年
- 日本:昭和14年
- 琉球:--年
【沖縄】
2. 沖縄県から初の満州農業移民出発. 2. 沖縄県癩予防会設立.
【日本】
5.11 ノモンハン事件勃発.
【沖縄】
6.23 国民精神総動員事務局設置.
【日本】
7.8 「国民徴用令」公布(7.15施行).
【沖縄】
7.13 大日本防空協会沖縄支部結成.
8.14 2市55町村すべてに警防団結成.この頃,県,8カ町村から3万戸・15万人を満州へ移住させる計画をうちだす.
【その他】
9.1 ドイツ軍,ポーランドに侵攻,第二次世界大戦始まる(~1945).
【沖縄】
12. 柳宗悦ら来県(~1940.1.).
この年,河村只雄『南方文化の探求』刊行.
1940年
- 中国:中華民国29年
- 日本:昭和15年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.7 柳宗悦ら日本民芸協会同人,県当局の標準語励行の行き過ぎを批判(方言論争おこる).
2.29 沖縄県産業報国連合会結成. 2. 沖縄県思想対策研究会設置. 2. 満州農業移民,伊漢通へ入植.
4.22 「沖縄県臨時飯米配給要綱」制定.
5.12 第1回満州開拓農民先遣隊出発(臥牛吐へ入植).
【日本】
9.27 日独伊三国同盟調印.
10.12 大政翼賛会発会.
【沖縄】
11.16 県主催の「大陸の花嫁」講習会開かれる.
12.10 大政翼賛会沖縄支部発会式. 12.20 『沖縄日報』『沖縄朝日新聞』『琉球新報』,1県1紙制により統合され『沖縄新報』となる.
12. 「労務動員計画」により沖縄からも徴用始まる.
この年,県,標準語励行運動を推進.国勢調査人口57万4579人.
【日本】
台湾で須藤利一ら『南島』創刊.
1941年
- 中国:中華民国30年
- 日本:昭和16年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.7 淵上知事解任,早川元第25代知事となる.
2. 『宮古朝日新聞』創刊.
2. 国頭愛楽園,国立癩療養所となる.
【日本】
3.1 「国民学校令」公布.
【沖縄】
3.1 県立沖縄拓南訓練所(金武村)開設. 3.21 大陸開拓先遣隊(南風原・恩納・今帰仁より),黒龍江省へ入植.
【日本】
4.13 日ソ中立条約締結.
【沖縄】
5. 県令でソテツの濫伐を禁止.
7. 宮古南静園,国立癩療養所となる.
【日本】
7. 台湾で金関丈夫ら『民族台湾』創刊.
12.8 日本軍,ハワイの真珠湾攻撃(太平洋戦争勃発).
【沖縄】
この年,東京帝国大学により旧沖縄県立図書館所蔵『歴代宝案』の筆写がなされる(東京大学史料編纂所写本).
1942年
- 中国:中華民国31年
- 日本:昭和17年
- 琉球:--年
【日本】
1.2 日本軍,マニラを占領.
【沖縄】
1.23 護国神社竣工.
2.21 県立八重山中学校設立.
【日本】
2. 愛国婦人会・大日本国防婦人会・大日本連合婦人会を統合,大日本婦人会を結成.
4.30 翼賛選挙行われる.
6.5 ミッドウェー海戦(~6.7).
【沖縄】
6.26 大日本婦人会県支部結成.
9.1 家庭用物資の総合配給帳制を実施. 9. 八重山の平得海軍飛行場着工.
11.1 県,南方進出の具体的計画の樹立を図るため,南方調査室を設置.
この月,県,『会話読本』を国民学校へ配布.
1943年
- 中国:中華民国32年
- 日本:昭和18年
- 琉球:--年
【日本】
2.1 日本軍,ガダルカナル島撤退.
【沖縄】
3. 真壁村・浦添村・知念村から青雲開拓団が黒龍江省へ入植.
4. 「労務供出要綱」策定.
5.26 嘉義丸撃沈される.
7.1 早川知事解任,泉守紀第26代知事となる. 7.11 東條英機首相来県.
【日本】
9.30 大本営,絶対国防圏を設定し,以後,台湾,南西諸島の防備を強化.この頃南洋群島にも兵役法適用.
10.12 第1回学徒隊出陣.
【沖縄】
10. 県送り出しの満蒙開発青少年義勇軍,この頃までに550人に達する.宮古の軍用飛行場用地接収はじまる(~1944.5).
11.8 大舛大尉偉勲顕彰県民大会開催.
12.21 湖南丸撃沈.
この年,師範学校・中学校・青年学校の生徒,陣地構築・食料増産等に従事.北飛行場(読谷飛行場)建設着手.
1944年
- 中国:中華民国33年
- 日本:昭和19年
- 琉球:--年
【沖縄】
1. 女教員総決起運動展開される.
【日本】
2.25 政府,「決戦非常措置要綱」を決定.
【沖縄】
2. 県庁職員家族の本土引揚げ開始. 2. 第1次女子勤労挺身隊送り出し.
3.22 南西諸島に大本営直轄の第32軍新設.
4.1 第32軍統帥発動. 4.12 台中丸撃沈.
5.3 沖縄南・東・中飛行場,伊江島飛行場建設着手.
【日本】
6.15 米軍,サイパン上陸.
6.19 マリアナ沖海戦.
【沖縄】
6.29 富山丸撃沈(独立混成第44,第45旅団などの兵員3700~4000人行方不明).
【日本】
6.30 国民学校初等科児童の集団疎開を閣議決定.
7.7 サイパン島の日本軍全滅.7. 米軍,グアム,テニアンに上陸.
【沖縄】
7. 政府,老幼婦女子,学童の8万人を本土へ,2万人を台湾へ集団疎開決定.
7.8 第32軍参謀長に長勇少将任命.
8.1 沖縄憲兵隊設置. 8.10 第32軍司令官牛島満中将着任. 8.12 各町村に防衛隊編成される. 8.19 大本営陸軍部「島嶼守備要領」出す. 8.22 学童疎開船対馬丸,悪石島付近で雷撃され沈没.
【日本】
8.23 「学徒勤労令」「女子挺身隊勤労令」公布.
【沖縄】
9. 県庁に食糧配給課設置.
この月,第32軍第9師団により癩患者の国頭愛楽園への大収容が行われる.
10.10 那覇を中心に大空襲をうける(「10・10空襲」,罹災戸数1万2000余戸).
【日本】
10.24 レイテ沖海戦. 10.25 神風特攻隊が初出撃.
【沖縄】
10.29 21歳~45歳の男子を防衛隊として召集. 10. 護郷隊編成される.
11.17 第32軍,第9師団の台湾転出を決定. 11.26 第32軍,第9師団抽出にあたり「新作戦計画」に基づく軍命令を下達.
1945年
- 中国:中華民国34年
- 日本:昭和20年
- 琉球:--年
【沖縄】
1.12 泉守紀知事解任,第27代島田叡沖縄県知事に任命される(1.31着任).
1.20 「沖縄県防衛強化実施要綱」閣議決定.
1. 第2次現地防衛召集(満17~45歳までの男子)を実施.
【その他】
2.4 ヤルタ会談.
【沖縄】
2.7 県庁,平時行政から戦場行政に切り換える. 2.19 県下男女中等学校単位の防衛隊結成.
【日本】
3.9 東京大空襲.
【沖縄】
3.20 大本営「当面の作戦計画大綱」を発令,沖縄作戦に重点を置くことを決定.
【沖縄】
3月下旬 中学校や高等女学校等を単位とした学徒隊が編成,配属される. 3.25 米軍,沖縄本島・慶良間諸島へ艦砲射撃開始. 3.26 米第77歩兵師団,慶良間諸島(阿嘉・慶留間・座間味島)に上陸.ニミッツ元帥,海軍軍政府布告第1号「権限の停止」を公布. 3.27 米軍,渡嘉敷島に上陸.
4.1 米軍,沖縄本島中部の読谷から北谷の海岸に上陸. 4.7 戦艦大和撃沈.
【その他】
4.28 ムッソリーニ銃殺. 4.30 ヒトラー自殺.
【沖縄】
5.5 第32軍の総攻撃失敗.
5.25 沖縄新報社解散.
6.23 第32軍牛島司令官・長参謀長自決.
【日本】
8.15 ポツダム宣言受諾(無条件降伏).
9.2 米艦ミズーリ号で日本政府代表と連合国代表が,降伏文書に調印.
【沖縄】
9.7 米第10軍司令部(越来村森根,現在の嘉手納基地内)にて,南西諸島の全日本軍代表らが降伏調印に署名,沖縄戦が公式に終結.
この年,沖縄島北部に疎開していた旧沖縄県立図書館所蔵『歴代宝案』(久米村保管本)は焼失,副本は散逸.