{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
2-10-12 国王尚敬の、冊封を謝して進貢するため王舅向龍翼等を遣わすむねの符文(一七一九、一一、二二)
琉球国中山王尚(敬)、恭しく天恩に謝する事の為にす。
切照するに、康煕五十八年、欽差の正使翰林院検討海(宝)・副使翰林院編修徐(葆光)、恭しく詔勅を捧げて敝国に賁臨し、詔勅を宣読して王爵を授封するを蒙る。盛典、已に行われ、例として官を遣わして土儀を載び京に赴かしめて恩を謝する有り。此の為に特に正使法司王舅向龍翼・副使紫金大夫程順則・使者楊天祐・都通事蔡文河等を遣わして表文を齎捧し、官伴・梢役、総計共に一百六十員名を率領して海船一隻に坐駕し、土儀の金鶴形一対、鶴踏の銀岩座各々全・盔甲一領、護手護臁各々全・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘の鍍金銅にて結束の腰刀二十把・黒漆靶鞘の鍍金銅にて結束の鎗一十把・黒漆靶鞘の鍍金銅にて結束の衮刀一十把・黒漆洒金の馬鞍一坐、轡、銜、絡頭、前後の牽、鞧、屧、脊の障坭、鐙倶に全・金彩画の囲屛二対・精製の雅扇五百把・土糸綿二百束・練蕉布二百疋・紋蕉布一百疋・土苧布一百疋・白剛錫五百觔・紅銅五百觔を装載して前来せしむ。京に赴きて恭しく天恩に謝せんとす。
拠今の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府、義字第一百零九号半印勘合の符文を給して都通事蔡文河等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使法司王舅一員 向龍翼 跟伴二十五名
副使紫金大夫一員 程順則 跟伴一十七名
使者一員 楊天祐 跟伴七名
都通事一員 蔡文河 跟伴六名
護送都通事一員 鄭士紳 跟伴四名
在船使者二員 毛鴻基/益子儀 跟伴八名
存留通事一員 蔡用弼 跟伴六名
王舅・大夫の随帯通事二員 鄭元良/蔡墉 跟伴五名
管船夥長・直庫三名 梁琴 金城/西銘
水梢六十九名
右の符文は都通事蔡文河等に付す。此れを准ず
康煕五十八年(一七一九)十一月二十二日給す
注(1)梁琴 一六九八-一七四九年。久米村梁氏(古謝家)十一世。名嘉地里之子親雲上。後に都通事に陞る(『家譜(二)』八一四頁)。
琉球国中山王尚(敬)、恭しく天恩に謝する事の為にす。
切照するに、康煕五十八年、欽差の正使翰林院検討海(宝)・副使翰林院編修徐(葆光)、恭しく詔勅を捧げて敝国に賁臨し、詔勅を宣読して王爵を授封するを蒙る。盛典、已に行われ、例として官を遣わして土儀を載び京に赴かしめて恩を謝する有り。此の為に特に正使法司王舅向龍翼・副使紫金大夫程順則・使者楊天祐・都通事蔡文河等を遣わして表文を齎捧し、官伴・梢役、総計共に一百六十員名を率領して海船一隻に坐駕し、土儀の金鶴形一対、鶴踏の銀岩座各々全・盔甲一領、護手護臁各々全・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘の鍍金銅にて結束の腰刀二十把・黒漆靶鞘の鍍金銅にて結束の鎗一十把・黒漆靶鞘の鍍金銅にて結束の衮刀一十把・黒漆洒金の馬鞍一坐、轡、銜、絡頭、前後の牽、鞧、屧、脊の障坭、鐙倶に全・金彩画の囲屛二対・精製の雅扇五百把・土糸綿二百束・練蕉布二百疋・紋蕉布一百疋・土苧布一百疋・白剛錫五百觔・紅銅五百觔を装載して前来せしむ。京に赴きて恭しく天恩に謝せんとす。
拠今の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府、義字第一百零九号半印勘合の符文を給して都通事蔡文河等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使法司王舅一員 向龍翼 跟伴二十五名
副使紫金大夫一員 程順則 跟伴一十七名
使者一員 楊天祐 跟伴七名
都通事一員 蔡文河 跟伴六名
護送都通事一員 鄭士紳 跟伴四名
在船使者二員 毛鴻基/益子儀 跟伴八名
存留通事一員 蔡用弼 跟伴六名
王舅・大夫の随帯通事二員 鄭元良/蔡墉 跟伴五名
管船夥長・直庫三名 梁琴 金城/西銘
水梢六十九名
右の符文は都通事蔡文河等に付す。此れを准ず
康煕五十八年(一七一九)十一月二十二日給す
注(1)梁琴 一六九八-一七四九年。久米村梁氏(古謝家)十一世。名嘉地里之子親雲上。後に都通事に陞る(『家譜(二)』八一四頁)。