交流史資料紹介
交流史資料とは
○琉球王国と交流史資料
荒波をかきわけて進む船。帰国した進貢船を迎えようと港に集まるひとびと。海外との交易によって栄えた琉球王国の玄関口・那覇港のようすを描いた「唐船図」(沖縄県立図書館所蔵)には、外との交流を通じて営まれた琉球の姿が生き生きと描かれています。
14世紀以降、琉球はその地理的優位性を活かし、中国(明朝)・朝鮮・日本・東南アジアの国や地域と盛んに交易しました。他国との交易によって繁栄する当時の姿は、1458年、国王尚泰久の時代につくられた「万国津梁の鐘」の銘文によってよく知られています。一方、1609年の薩摩島津氏による琉球侵攻以降は、中国(明・清王朝)と日本の間にあって、双方に使者を送り、交流を深めるなど、巧みな外交で王国を存続させてきました。19世紀になると、東アジアへ進出してきた欧米船も頻繁に琉球へ姿をあらわすようになります。これらの歴史の転換期にあって琉球のひとびとは、積み上げた交流の知恵をどのように活かしていったのでしょうか。
沖縄の歴史は、周辺の国々・地域とのさまざまな交流を通して紡ぎ出されてきました。本サイトで公開する交流史資料とは、これら琉球王国時代の琉球、アジアや世界との間でおこなわれた交流の歴史を伝える資料です。交流史資料は、和文(日本語)のみならず、中国を含め東・東南アジアの外交上の共通語であった漢文や、英文など、さまざまな言語で記されたものを含みます。多様な記録の存在そのものが、琉球の歩んできた独自の歴史を示しており、先人の歩みを物語っているともいえます。
沖縄県教育委員会は、沖縄の歩んできた道のりを確認し、未来の沖縄を展望する基礎資料とするため、琉球王国交流史デジタルアーカイブを開設しました。本デジタルアーカイブでは、琉球王国時代の交流史資料および研究成果等をデジタル化し、順次公開します。
○交流史を語る史料『歴代宝案』
琉球王国の交流を物語る代表的な史料として『歴代宝案』があります。
『歴代宝案』とは、永楽22年(1424)から同治6年(1867)までの444年間にわたる琉球王国の外交文書集で、琉球が中国(明・清)・朝鮮・東南アジアの国々と交わした外交文書を編纂したものです。約4230件の文書が第一集・第二集・第三集及び別集で構成され、すべて漢文で書かれています。『歴代宝案』にしか残されていない記録も多く、琉球史のみならず、東アジア・東南アジア史を解明する上で第一級の史料となっています(概要については歴代宝案の栞をご覧下さい)。
『歴代宝案』の原本は二部作成され、首里城や久米村で保存されていましたが、首里城のものは明治政府により接収され東京へ移管後、関東大震災で失われ、久米村のものは沖縄戦によって失われました。この失われた『歴代宝案』の内容を復元するため沖縄県教育委員会では、残存する歴代宝案の諸写本や影印本(史料画像を印刷した本)を用いて原文(漢文)を復元して歴代宝案(校訂本)を、さらに難解な漢文を理解しやすくするため読み下し文にして注釈を付した歴代宝案(訳注本)を刊行しました。本デジタルアーカイブでは、これら復元された歴代宝案(校訂本・訳注本)を、いつでも、どこからでも見られるようデジタル公開しています。
○さまざまな琉球王国交流史資料
琉球王国の交流の姿を伝える史料には、例えば琉球王国と関係の深かった明・清王朝の行政文書である檔案史料があり、これらは主に中国や台湾などに残されています。また、歴代の中国王朝は数多くの歴史書を編纂しており、それらの中からも琉球に関係する記事を見つけることができます。
本デジタルアーカイブでは、これら琉球王国の交流史に欠かせない史料等を理解するため、中国第一歴史檔案館と共同で開催された「琉球・中国交渉史に関するシンポジウム」の成果(研究論文など)を公開しています。また、歴代宝案編集事業を進める中で収集し刊行された資料(歴代宝案編集参考資料)や研究成果(『歴代宝案研究』)なども交流史資料として公開しています。
○史料テキストデータについて
琉球王国交流史デジタルアーカイブで公開しているテキストデータは、標準的なPC環境で表示できるよう、ユニコード(Unicode/UTF-8)で表記しましたが、表示できない文字については「〓」で示し、そのあとにかっこで偏と旁を示して文字の形が推測できるように(例えば「〓(酉+定)」などと記載)代替させて表記しました。
代替させた文字については代替文字一覧(PDF)をご覧下さい。
本デジタルアーカイブで公開している資料のテキストデータは、検索に用いることを目的に作成し、できるだけテキストデータ化の対象とした書籍・論文等の表記・凡例に従い作成しています。あくまで検索用として作成されたテキストであることにご注意ください。なおテキストデータ化するにあたって、再現できない表記や小書き、朱字の書き込みがある場合などの表記については「テキストデータ作成の凡例(PDF)」をご覧下さい。
歴代宝案(校訂本)
○歴代宝案(校訂本)とは
『歴代宝案』の原本は沖縄戦などによって失われたため、校訂本は、現存する鎌倉芳太郎・東恩納寛惇氏による原本の青焼き写真、旧沖縄県立図書館本・台湾大学蔵写本や同時代史料を参考に、資料として精度が高く利用しやすい形に編集したのが『歴代宝案校訂本』シリーズです。校訂本では、誤字や脱字、欠落した文字を補い、注(頭注)を付してどの史料から補ったのかを示し(=校訂)、精度の高い史料の復元をめざしました。さらに混在する俗字・異体字・くずし字・略字などについては、原則として正字体に統一する工夫をおこなっています。
なお、第一集については原本を直接撮影した鎌倉本や東恩納本の青焼き写真が比較的よく残っていたため、当初は影印本(写真版)として刊行しましたが、第二集以降は活字で編集し出版しました。そのため、第一集の活字による刊行は補遺編でおこなっています。
本デジタルアーカイブでは、校訂本の内容を画像(PDF)として見ることができます。
○歴代宝案(校訂本)の公開状況
歴代宝案(訳注本)
○歴代宝案(訳注本)とは
歴代宝案(訳注本)は、難解な漢文で書かれた歴代宝案の内容を理解しやすくするため、読み下し文にして各語句を説明する注釈を付したものです。訳注本では、歴代宝案(校訂本)で採用された正字体を新字体(常用字体)に統一し、より読みやすくする工夫をおこなっています。
本デジタルアーカイブでは、読み下された歴代宝案を検索できるようフルテキストデータ化(本文・語注を含む)し公開しています。また、書籍として刊行された訳注本の各文書を画像(PDF)で閲覧することができます。なお、テキストデータの公開にあたっては、利便性を考慮し、横書き表示ならびにルビや注釈番号などは省きました。表示が困難な文字については、「〓(酉+定)」のように表記しています(代替文字一覧(PDF)をご覧下さい)。
○歴代宝案(訳注本)の公開状況
ベッテルハイム日誌および公式書簡
B・J・ベッテルハイム(Bernard Jean Bettelheim, 1811-70)は、ハンガリー生まれのユダヤ人医師です。軍医として従軍したトルコにおいて英国国教会の宣教師よりキリスト教の教えを学び改宗、さらに英国に帰化します。折しもその頃、1816年にアルセスト号・ライラ号の琉球訪問に同乗し、退役後に琉球へのキリスト教布教の夢に燃えたH・J・クリフォードが英国海軍琉球伝道会(Loochoo Naval Mission)を立ち上げます。この団体の派遣宣教師募集の呼びかけに呼応したのが、ベッテルハイムだったのです。
ベッテルハイムの派遣は1845年から1854年の足かけ9年にもおよびます。その間ベッテルハイムは、ジャーナル(業務日誌)・レポート(業務報告)・数々の書簡のみならず、12カ国語を操る語学の才をいかんなく発揮して琉球語をものにし、琉球語辞書・琉球語文法書・四福音書の琉球語訳を完成させることになります。
沖縄県教育委員会では、このうちバーミンガム大学キャドバリー研究図書館特別資料室・琉球大学附属図書館に収蔵されるベッテルハイムの日誌、および日誌中に織り込まれる書簡を翻刻・編集して2分冊で刊行(2005年にPartⅠ、2012年にPart II)しています。2012年からは引き続き邦訳版のプロジェクトが開始し、2022年3月に第1冊目が完成しました。このたび本サイトに掲載するのはこの邦訳版第1冊目となります。
本冊に収録されるのは1845年末、イギリスを出て香港に到着する直前の船上より始まり、琉球渡航の準備期間として滞在した香港の4ヶ月間、そして琉球到着後の6年間分の日誌、そしてその間にやりとりをした書簡です。ただし、日誌に関しては1847年7月7日途中から1850年9月26日の途中まで散逸しているため、実質は約3年分となります。
那覇・波之上の護国寺に住まいし、琉球当局と時にはぶつかり時には協力しながら、日本初のプロテスタント宣教師として自らの信念に忠実に活動したベッテルハイム。最果ての異国の地で奮闘する日々や、当時の琉球の人々、琉球のくらしの描写、かれらに対する心情をも包み隠さず書き残した本日誌は、帝国主義に走りゆく19世紀中葉の西洋からの偽らぬまなざしの記録と言えるでしょう。
○ベッテルハイム日誌および公式書簡の公開状況
資料名 | PDF資料 |
沖縄県史 資料編26 ベッテルハイム日誌および公式書簡PartⅠ(1845-51) 近世4 | 挨拶(PDF) 目次・本書を読むために・凡例(PDF) 琉球来航船一覧・職官年表(PDF) 沖縄県史 資料編21 正誤表(PDF) 参考文献(PDF) 奥付(PDF) |
歴代宝案編集参考資料
『歴代宝案』と関連性の高い資料などを刊行したのが、「歴代宝案編集参考資料」です。これら歴代宝案編集参考資料シリーズをPDFデータとして公開し、一部についてはテキストデータを作成し公開しています。
○歴代宝案訳注本語注一覧の公開状況
歴代宝案(訳注本)には、各冊平均して2,000件前後の語注が含まれていますが、これらは原則として訳注本内の初出箇所にのみおかれています。そこで語注を調べやすくするため、各冊の語注だけをまとめて刊行したのが『歴代宝案訳注本語注一覧』です。
語注一覧では、収録された語注が「語句」「人名・地名」ごとに、それぞれ総画数順および五十音順に並んでいます。
タイトル | 収録件数 | |
---|---|---|
第1・2冊語注一覧 | 5,200 | 凡例(PDF) |
第3冊語注一覧 | 1,285 | 凡例(PDF) |
第4冊語注一覧 | 1,808 | 凡例・奥付(PDF) |
第5冊語注一覧 | 1,410 | 凡例・奥付(PDF) |
第6冊語注一覧 | 1,751 | 凡例・奥付(PDF) |
第7冊語注一覧 | 1,186 | 凡例(PDF) |
第8冊語注一覧 | 2,445 | 凡例・奥付(PDF) |
第9冊語注一覧 | 1,441 | 凡例・奥付(PDF) |
第10冊語注一覧 | 2,043 | 凡例・奥付(PDF) |
第11冊語注一覧 | 1,516 | 凡例(PDF) |
第12冊語注一覧 | 1,749 | 凡例・奥付(PDF) |
第13冊語注一覧 | 2,027 | 凡例(PDF) |
第14冊語注一覧 | 2,267 | 凡例・奥付(PDF) |
第15冊語注一覧 | 2,511 | 凡例・奥付(PDF) |
○『明清檔案』琉球関係史料
台湾の中央研究院歴史語言研究所に現存する清代内閣大庫に原蔵されている『明清檔案』(第1冊~第290冊)の中から琉球に関係するものを選別し影印本として刊行したものです。中央研究院歴史語言研究所が所蔵する史料であるため、本デジタルアーカイブでは、目録のみを公開しています(凡例・目次・奥付(PDF))。
○『明実録』の琉球史料(1)~(3)
『明実録』(正式名は『大明実録』)は、1369年に朱元璋によって建国された明王朝(中国)の歴代政権によって編纂された編年体の歴史書です。明朝の政治・社会・経済にかかわる内容を皇帝の治世ごとに、例えば明朝の最初の皇帝である朱元璋の廟号「太祖」をとって「太祖実録」などとまとめ、記録されました。
「『明実録』の琉球史料」は、これら『明実録』に含まれる記事から、琉球国の入貢や使節の謁見記録、琉球人が登場する事件についての記事を抜粋し原文篇・訳文篇・注釈篇として整理したものです。琉球の人々の活動を明朝(中国)の側から捉えた貴重な記録です。
○琉球関係檔案史料紹介
沖縄県教育委員会では、中国第一歴史檔案館より専門家を沖縄県歴代宝案編集委員会等に招聘し研究交流をおこなってきました。『琉球関係檔案史料紹介―中国第一歴史檔案館参考人報告から―』(目次・凡例・奥付(PDF))は、平成4年(1992)~平成15(2003)の研究報告等から17編を精選し翻訳したものです。
○清代福建省地方官年表
琉球王国が、明・清王朝(中国)との交易・交流にあたってもっとも深い関係をもっていた地域が福建省でした。『清代福建省地方官年表』は、 銭実甫編 『清代職官年表』(中華書局、1980年)の中から清代に福建省の行政および琉球使節の対応にあたった官吏らの在任期間を抜き出し整理したものです。対象は、福建省と浙江省を監督した閩浙総督、福建巡撫、福建省の行政を担った福建布政使や按察使、清朝の正規軍である八旗の長官や武官である駐防大臣・福州将軍・副都統、提督です。
○『歴代宝案』校訂本解説集
平成4年(1991)1月に刊行された『歴代宝案校訂本第一冊』を皮切りに、約25年の歳月をかけて刊行された『歴代宝案』(校訂本)には、各冊の復元にあたって課題となった事項や収録内容について概観した解説が校訂者によって執筆されました。同解説は、膨大な巻数にのぼる『歴代宝案』の各冊の特徴や内容を捉える上で欠かせない資料となっており、校訂本の完結を機に一書としてまとめたのが『『歴代宝案』校訂本解説集』です。
タイトル | 主な収録内容 | |
---|---|---|
『歴代宝案』校訂本解説集 | 第1集解説(和田久徳) 第3・4冊解説(神田信夫) 第5冊解説(生田滋) 第6冊解説(糸数兼治) 第7・8冊解説(濱下武志) 第9・10冊解説(金城正篤) 第11・12冊解説(小島晋治) 第13・14冊解説(西里喜行) 第15冊解説(西里喜行) | 目次・凡例・奥付(PDF) |
○『歴代宝案』校訂本全15冊刊行記念シンポジウム報告集
『歴代宝案』(校訂本)全15冊が、平成28年(2016)12月に完結したのを記念して、平成29年(2017)7月8日(於:沖縄県公文書館講堂)に「琉球王国の外交文書―歴代宝案への誘い」と題してシンポジウムがおこなわれました。本書は、シンポジウムでおこなわれた基調講演やパネルディスカッションの内容をまとめ刊行したものです。歴代宝案の復元によって、どのような沖縄の歴史像が明らかになってきたのかを議論した記録集となっています。
タイトル | 主な収録内容 | |
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『歴代宝案』校訂本全15冊刊行記念シンポジウム報告集 | 『歴代宝案』の編集とその意味(田名真之) 「ビッグデータ」としての『歴代宝案』(生田滋) パネルディスカッション 参考資料 | 巻頭グラビア(PDF) 目次・挨拶・凡例・奥付(PDF) |
○『歴代宝案』訳注本全15冊刊行記念シンポジウム報告集
『歴代宝案』(訳注本)全15冊が、令和4年(2022)3月に完結したのを記念して、令和4年(2022)12月3日(於:沖縄県立博物館・美術館3階講堂)に「琉球王国の外交文書―よみがえる『歴代宝案』」と題してシンポジウムがおこなわれました。本書は、シンポジウムでおこなわれた基調講演やパネルディスカッションの内容をまとめ刊行したものです。訳注本の編集によって明らかになったことや今後の課題、デジタルアーカイブの活用等を議論した記録集となっています。
タイトル | 主な収録内容 | |
---|---|---|
『歴代宝案』訳注本全15冊刊行記念シンポジウム報告集 | 歴代宝案から考えるグローバルヒストリー-東アジア海域論の再構成-(濱下武志) パネルディスカッション 参考資料 | 巻頭グラビア(PDF) 目次・挨拶・凡例・奥付(PDF) |
首里王府仕置
首里王府仕置は、王府の機関などに出された法令や令達など、琉球の国内統治の基本方針を示す諸史料です。具体的には、琉球の基本政策に関する指示書や例規、各部署の業務規程、宮古・八重山に布達された島政改革の令達集などが含まれています。
首里王府仕置とは、もともと『沖縄県史料』シリーズの一部として、近世期の重要法令などを、前近代1 首里王府仕置1(1981年)、前近代6 首里王府仕置2(1989年)、前近代7 首里王府仕置3(1991年)として編集・刊行されたものになります。収録された資料は92種類を数え、身分や礼法の規程、農務・司法・道徳など広範な政務の根本方針が示されています。
琉球の諸外国との交流が、どのような体制によって支えられていたのか、また近世琉球社会の様相を垣間見ることのできる資料となっています。琉球の内政にかかわる重要資料である首里王府仕置を、史料ごとにPDFデータとテキストデータを作成し公開しています。なお、以下の布達の年月日は、資料の表記に合わせ旧暦で示しています。
○首里王府仕置1
首里王府仕置1は、沖縄県立史料編集所(編)『沖縄県史料 前近代1 首里王府仕置』(沖縄県教育委員会、1981年)として刊行された12種類の資料を収録しています。同巻収録の資料は、3つのグループに大別されます。
Ⅰ 首里王府仕置
首里王府の基本政策を伝える最古の令達集である「羽地仕置」(1666~1673年の文書を収録)をはじめとして、「法式」(康熙36〔1697〕年10月布達)や、琉球の民衆の持つべき規範を示した「御教条」(雍正10〔1732〕年11月布達)「平時家内物語」(乾隆14〔1749〕年10月布達)があります。
また、宮古島の行政監察官として派遣された与世山親方が布達した「与世山親方宮古島規模帳」(乾隆33〔1768〕年12月付け)があります。
Ⅱ 仕置参考資料
首里王府の政策に関連する資料として、17世紀中ごろの成立とされる沖縄島の村高を記した「琉球国高究帳」、宮古島に駐在した役人らの任期中の重要事件などを記録し1780年に編纂され書き継がれた「宮古島在番記」、石垣島に駐在した役人らの記録である「御使者在番記」、八重山の蔵元の行政日誌に相当する「八重山島年来記」があります。
Ⅲ 貝摺奉行所文書
対外的に需要の高かった漆器製作の指揮をとったのが貝摺奉行所です。大和(日本)からの注文にあわせ、製作された漆器の目録・デザインおよび経費の記録が、
「当夏大和江御進上御道具御内證様御用之御道具図幷入目料帳(道光九年)」(道光9〔1829〕年6月付け)
「大和へ御進物道具図幷入目帳料(同治九年)」(同治9〔1870〕年付け)
「大和へ御進物道具図幷入目帳料(道光七年)」(道光7〔1827〕年6月付け)
です。
○首里王府仕置2
首里王府仕置2は、沖縄県立図書館史料編集室(編)『沖縄県史料 前近代6 首里王府仕置2』(沖縄県教育委員会、1989年)として刊行された38種類の資料を収録しています。全体は、大まかな内容ごとにⅠ~Ⅴの種類に分類されています。
Ⅰは、人の身分や位階、祭礼に関し布達された法令など、比較的早い段階でまとめられた資料からなります。品級を記した「品定」(雍正7〔1729〕年10月2日布達)、位階昇進などの規則を記した「位階定」(雍正10〔1732〕年10月布達)、葬礼にかかる規程などを記した「服制」(乾隆2〔1737〕年12月6日再布達)・「御心喪定制」(乾隆2〔1737〕年12月16日布達)、身分に応じた衣服や婚礼・祭礼の際の応対規程について記した「衣服定」「婚礼祭礼之時定」(咸豊7〔1857〕年1月7日布達)などがあります。
また、裁判や刑罰に関わる「当国科律模」、系図作成に関する「系図座規模帳(仮題)」(雍正8〔1730〕年12月布達)、系図や戸籍管理等を所管する部署である大与座の勤務規則などを記す「大与座規模帳他」(乾隆54〔1789〕年5月再布達)、寺社の規則について記す「寺社座御規模(抜)」(乾隆10〔1745〕年11月再布達)などの諸規程集も収録しています。
Ⅱは、王府の農政・林政の基本方針を示す令達類からなります。農事指導の基本方針や農政を担当する田地奉行に関するものとして
「農務帳」(雍正12〔1734〕年8月布達)
「田地奉行規模帳(抄)」(乾隆2〔1737〕年9月布達)
「田地奉行規模帳」(嘉慶14〔1809〕年8月布達)
農法・農政に関する方法を記す「耕作下知方幷諸物作節附帳」(道光21〔1841〕年2月布達)・「農事御取締帳写」(咸豊11〔1861〕年8月布達)などからなります。
また、山林保護や林政に関する令達、山奉行所の関係法令として、
「杣山法式帳」(乾隆2〔1737〕年3月布達)
「山奉行所規模帳」(乾隆2〔1737〕年3月布達)
「杣山法式仕次」(乾隆28〔1763〕年9月布達)
「樹木播植方法」(乾隆28〔1763〕年9月布達)
「就杣山惣計条々」(乾隆13〔1748〕年5月布達)
「山奉行所規模仕次帳」(乾隆16〔1751〕年12月布達)
「御差図扣」(同治8〔1869〕年12月布達)
「今帰仁間切杣山法式(抄)」(乾隆19〔1754〕年1月25日布達)
などが収録されています。
Ⅲは、久米島・宮古・八重山に布達された基本政策の令達類、Ⅳは、宮古・八重山の農政・林政に関する令達集などからなります。宮古・八重山には、御検使とよばれる行政監察官が首里から派遣されました。例えば、与世山親方朝昌(1767年)や翁長親方朝典(1856~57年)、富川親方盛奎(1873~74年)などが派遣されています。
これら御検使に関するもので、乾隆33〔1768〕年12月に布達されたものとして、
「与世山親方八重山島規模帳」
「与世山親方八重山島杣山職務帳」
「与世山親方八重山島農務帳」
咸豊7〔1857〕年11月に布達されたものとして、
「翁長親方八重山島規模帳」
「翁長親方八重山島諸締帳」
同治13〔1875〕年12月に布達されたものとして、
「富川親方宮古島規模帳(抄)」
「富川親方八重山島規模帳」
「富川親方八重山島農務帳」
「富川親方宮古島杣山職務帳(抄)」
「富川親方八重山島杣山職務帳」
「富川親方八重山島諸締帳」
などがあります。
また、久米島に関するものとして「久米具志川間切規模帳」(道光11〔1831〕年11月12日布達)があります。
Ⅴは、Ⅰ~Ⅳの資料の参考資料として、間切立て直しのために恩納間切の下知役・検者へ出された令達とみられる「恩納間切締向条々」(咸豊4〔1854〕年6月布達)、御検使翁長親方と八重山の蔵元の応答記録である「万書付集」(1856~1859年所収)、近世末期の首里王府の行政機構を記した「琉球藩官職制」からなります。
○首里王府仕置3
首里王府仕置3は、沖縄県立図書館史料編集室(編)『沖縄県史料 前近代7 首里王府仕置3』(沖縄県教育委員会、1991年)として刊行された42種類の資料を収録しています。沖縄島・久米島・宮古・八重山などに出された公事帳(各機関の執務上の規程集)と例帳(公務にかかる員数等を記した例規集)が、地域別に分けられています。
〔公事帳〕
沖縄島に関する公事帳としては、「泊横目公事帳」(乾隆7〔1742〕年12月布達)と「山奉行所公事帳」(乾隆16〔1751〕年6月布達)があります。
次に八重山に関する公事帳として、蔵元や村々に布達されたもので、乾隆33(1768)年12月19日に布達されたものとして、
「與世山親方八重山島小与座公事帳」
「與世山親方上国公事帳」
咸豊7(1857)年11月に布達されたものとして、
「翁長親方八重山島船手座公事帳」
「翁長親方八重山島上国役人公事帳」
主に同治13(1875)年12月に布達されたものとして、
「冨川親方八重山島御用布座公事帳」
「冨川親方八重山島勘定座公事帳」
「冨川親方八重山島諸村公事帳」
「冨川親方八重山島船手座公事帳」(同治13〔1874〕年10月布達)
「冨川親方八重山島蔵元公事帳」
「冨川親方宮古島地船上着公事帳」
「冨川親方宮古島仕上世座公事帳」
「冨川親方宮古島諸村公事帳」
「宮古島御用布座公事帳」
「八重山島地船上着公事帳」
などがあります。
また、御検使富川親方に関するものとして、
「八重山島科人公事帳」(同治14〔光緒元・1875〕年1月布達)
「宮古島科人公事帳」(同治14〔光緒元・1875〕年2月布達)
「宮古島小与座公事帳」(同治14〔光緒元・1875〕年2月布達)
などがあります。
このほか、漂着船への対応規程や多良間島、宮古島の系図作成に関わる規定集として、「進貢接貢船唐船朝鮮船異国船日本他領之船漂着破船□之時在番役々公事帳」(嘉慶21〔1816〕年10月28日布達)、「八重山島諸村所役公事帳」(乾隆35〔1770〕年12月布達)、「多良間島公事帳」、「宮古島系図座公事帳」などもあります。
久米島に関わる公事帳として
「久米仲里間切公事帳(雍正本)」(雍正13〔1735〕年11月21日布達)
「久米島科人公事帳」(乾隆53〔1788〕年3月布達)
道光11(1831)年11月12日にまとまって布達されたものとして、
「久米具志川間切公事帳」
「久米仲里間切公事帳(道光本)」
「久米仲里間切諸村公事帳」
などがあります。
また、沖縄島周辺の間切に布達されていたと思われる公事帳として、「公事帳写」(雍正13〔1735〕年11月21日布達)があります。
〔例帳〕
公務のための例規集である例帳は、御検使富川親方に関連し主に同治13〔1875〕年12月に布達されたものとして、
「冨川親方八重山島船手座例帳」
「冨川親方八重山島所遣座例帳」
「冨川親方八重山島仕上世例帳」(同治13〔1874〕年布達)
「冨川親方宮古島仕上世座例帳」
「宮古島船手座例帳」
「宮古島鍛冶例帳」
があります。
また、八重山にかかわる例帳として、
「八重山島所遣座加治例帳」(乾隆29〔1764〕年3月布達)
「八重山島壺瓦方例帳」(道光25〔1845〕年4月再布達)
「例帳」(道光23〔1843〕年8月布達)
などもあり、宮古にかかわる例帳として「宮古島所遣座例帳(書抜)」、久米島にかかわる例帳として「久米具志川間切例帳」(道光11〔1831〕年11月12日布達)があります。
このほか、与那城御殿に伝来したとされる菓子作りのための例帳である「御菓子幷万例帳」、瓦や壺などの製作に関わる例帳である「瓦奉行例帳」(乾隆18〔1753〕年11月布達)が収録されています。
伊江親方日々記
『伊江親方日々記』は、沖縄県立図書館所蔵の「御三代伊江親方日々記」などの7冊の日記を、沖縄県教育委員会が1999年に『沖縄県史資料編7 伊江親方日々記 近世1』として刊行した資料です。
伊江親方とは、王府の最高官職の一つであった三司官も勤めた首里士族の伊江朝睦(唐名:尚天迪)のことです。乾隆47年(1782)~嘉慶7年(1801)まで20年近く三司官を勤めており、その日記には職務にかかわってやりとりされた内容や、当時の王府上層部の様子が見られ貴重です。この他、伊江朝睦が隠居して以後の日記もあり、琉球の上流士族の日常や生活の記述を垣間見ることもできます。
日記の原本は、沖縄県立図書館の貴重書デジタル書庫でも公開されていますが、『沖縄県史』では上段に原文の影印画像、下段にその翻刻文を掲載し、対照させながら読むことができます。本資料で公開されている7冊の日記は以下のものになります。括弧内は収録年代です。
・「乾隆四拾九年甲辰并五拾弐年丁未 三代伊江親方御用日々記」(1784・1787年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
・「嘉慶八年より拾弐年迄亥子丑寅卯御進物留」(1803~1807年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
・「嘉慶拾三年より拾四年辰巳 御三代伊江親方日々記」(1808~1809年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
・「嘉慶拾五年より拾六年迄午未 御三代伊江親方日々記」(1810~1811年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
・「嘉慶拾八年酉 御三代伊江親方日々記」(1813年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
・「嘉慶拾九年より弐拾壱年迄戌亥子 御三代伊江親方日々記」(1814~1816年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
・「嘉慶弐拾年より同□分御病中日記并乾隆六十年卯御四代伊江親方御先室御病中御看病日記」(1795・1815年)/原本:沖縄県立図書館貴重書デジタル書庫での公開はこちら
琉球王国評定所文書
『琉球王国評定所文書』は、首里王府の最高審議機関であった評定所に保管されていた近世期の行政文書を、浦添市教育委員会(編集:琉球王国評定所文書編集委員会)が1988~2002年にかけて全19巻(補遺別巻含む)のシリーズとして刊行した資料集です。
明治政府によって作成された文書目録『旧琉球藩評定所書類目録』によると、評定所文書は1,911件(2,074冊)の文書があったとされます。しかし、明治政府が保管していたこれらの膨大な資料は、保管先の倉庫が、大正12年(1923)の関東大震災によって罹災し、そのほとんどが失われてしまいました。
浦添市教育委員会によって刊行された『琉球王国評定所文書』の146件の文書は、明治36年(1903)に東京帝国大学文科大学史料編纂係によって写され東京大学法学部法制史資料室に伝来した写本や、警察庁に保管され国立公文書館に移管されているものをもとに、刊行されました。これらは、康熙2年(1663)から光緒5年(1879)にわたりますが、多くは道光から咸豊期の1840~50年代の文書からなっています。
『琉球王国評定所文書』に収録された文書は、本来の数から言えば1割にも満たない分量ではありますが、首里王府が対応した外交・内政にかかわる事件・事故などについての業務記録、首里・那覇における一般行政の記録、清国(中国)へ派遣された進貢使節などの記録が詳細に記され、当時の沖縄の社会や国際関係の状況を生き生きと伝える資料です。
本デジタルアーカイブでは、琉球国の内情や国際的な交渉・交易・交流の様相を伝える『琉球王国評定所文書』を、浦添市教育委員会の協力を得て、文書ごとにPDFおよびテキストデータを作成し公開しています。
*上記掲載の目次・凡例・奥付などの誤植について、正誤表参照。
宝案研究・論文集
〇歴代宝案研究とは
歴代宝案編集事業にかかる研究成果を普及し、研究者間の交流の場とするため刊行されたのが『歴代宝案研究』です。平成10年(1998)までに合併号2冊を含む第10号まで全8冊が刊行されました。関係史料を含む研究論文・史料紹介・目録など48本を掲載しています。
なお、平成11年(1999)以降の研究論文などは、『史料編集室紀要』および『沖縄史料編集紀要』(『史料編集室紀要』2012年名称変更)に掲載されています。『歴代宝案研究』に掲載された論文は次の一覧をご覧ください(第1~10号歴代宝案研究掲載論文総一覧(PDF))。
○『歴代宝案研究』の公開状況
第1号~第10号までの公開状況は次のとおりです。
○琉球・中国交渉史に関するシンポジウムとは
平成3年(1991)に沖縄県教育委員会と中国第一歴史檔案館との間で結ばれた学術交流事業に関する「覚書」「協議書」に基づいて、沖縄と北京で交互に「琉球・中国交渉史に関するシンポジウム」が開催されました。本論文集は、シンポジウムで発表された論文を、日本語・中国語に翻訳し掲載しています。
内容は、中国第一歴史檔案館所蔵の琉球関係檔案史料に関するもの、中国と琉球の間の冊封・進貢・接貢・官生・貿易・漂流漂着等に関するものなど多岐にわたります。シンポジウム論文集に掲載された論文は次の一覧をご覧ください(第1~12回シンポジウム論文一覧(PDF))。
○『琉球・中国交渉史に関するシンポジウム論文集』の公開状況
平成4年(1992)からの刊行状況は次のとおりです。
回 | シンポジウム | |
---|---|---|
第1回 | 沖縄開催1992年8月30日 | 沖縄側挨拶(日文・中文) 中国側挨拶(中文・日文) 目次・会議次第(日文・中文) 奥付 |
第2回 | 北京開催1993年10月9日 | 中国側挨拶(中文・日文) 沖縄側挨拶(日文・中文) 目次・会議次第(中文・日文) 奥付 |
第3回 | 沖縄開催1995年8月3日 | 沖縄側挨拶(日文・中文) 中国側挨拶(中文・日文) 目次・会議次第(日文・中文) 奥付 |
第4回 | 北京開催1997年10月28日 | 中国側挨拶(中文・日文) 沖縄側挨拶(日文・中文) 目次・会議次第(中文・日文) 奥付 |
第5回 | 沖縄開催1999年3月6日 | 沖縄側挨拶(日文・中文) 中国側挨拶(中文・日文) 目次・会議次第(日文・中文) 奥付 |
第6回 | 北京開催2001年10月15日 | 中国側挨拶(中文・日文) 沖縄側挨拶(日文・中文) 目次・会議次第(中文・日文) 奥付 |
第7回 | 沖縄開催2003年10月18日 | 沖縄側挨拶(日文・中文) 中国側挨拶(中文・日文) 目次・会議次第(日文・中文) 奥付 |
第8回 | 北京開催2006年11月13日 | 中国側挨拶(中文・日文) 沖縄側挨拶(日文・中文) 目次・会議次第(中文・日文) 奥付 |
第9回 | 沖縄開催2009年10月18日 | 沖縄側挨拶(日文・中文) 中国側挨拶(中文・日文) 目次・会議次第(日文・中文) 奥付 |
第10回 | 北京開催2012年10月29日 | 中国側挨拶(中文・日文) 沖縄側挨拶(日文・中文) 目次・会議次第(中文・日文) 奥付 |
第11回 | 沖縄開催2015年11月14日 | 沖縄側挨拶(日文・中文) 中国側挨拶(中文・日文) 目次・会議次第(日文・中文) 奥付 |
第12回 | 北京開催2018年10月29日 | 中国側挨拶(中文・日文) 沖縄側挨拶(日文・中文) 目次・会議次第(中文・日文) 奥付 |
交流史料書庫
「交流史料書庫」では、さまざまな地域との交流のなかで繰り広げられた琉球国の外交や貿易の歴史を示す史料、さらにはそれらと密接にかかわり支えていた国内外における琉球人の生活や活動の様相を記した史料を交流史料として公開しています。
○明会典
明会典は『大明会典』とも呼ばれ、明朝(中国)が編集した、行政上の規程(法規)などをまとめた総合法典です。皇帝の命によって弘治15年(1502)に諸令規をまとめるため編集が開始され、正徳5年(1510)に刊行されました(『正徳会典』全180巻)。後に項目を増修したものが、万暦15年(1587)に頒布されました(『万暦会典』全228巻)。明朝の諸制度・規程を網羅し、朝貢国であった琉球への対応例が、応対にあたった礼部の規程内などにみられます。琉球と中国との関係が、いつごろ、どのように法令化していったのかを知ることができます。本デジタルアーカイブでは、『正徳会典』『万暦会典』に含まれる琉球関係の記事を抜粋しテキストデータとして公開しています。
○清会典・清会典事例
清会典は『大清会典』とも呼ばれ、清朝(中国)が編集した、行政上の規程(法規)などをまとめた総合法典です。清代でも明代と同様に法令の蓄積に合わせて繰り返し編集が行われ、清代を通じて5回の編集が行われました。清会典には、康煕29年(1690)の『康煕会典』(162巻)、雍正11年(1733)の『雍正会典』 (250巻)、乾隆28年(1763)の『乾隆会典』(100巻) 、嘉慶23年(1818)の『嘉慶会典』(80巻)、光緒25 年(1899)の『光緒会典』(100巻) があります。また、会典には当初、法典とそれにかかわる実施事例などが記載されていましたが、『乾隆会典』以降は会典とは別に『会典則例』や『会典事例』、『会典図』などが編集されるようになりました。本デジタルアーカイブでは、もっとも豊富な記載を持つ、『光緒会典』(100巻)と附属の『会典事例』 (1220巻) から、琉球関係の記載を抜粋しテキストデータを公開しています。
○福建通志
琉球船の入貢地であった福建省について体系的に記した地方志が、『福建通志』です。清代を通じて何度か編纂・刊行がなされましたが、本デジタルアーカイブでは、最後の編纂となった同治10年(1871)に重刊された『福建通志』から、琉球と関係の深い記事を抜粋しテキストデータ化し公開しています。公開されている記事のほとんどは、琉球への対応に従事した福建省を管轄していた総督・巡撫をはじめとする各役職の歴代就任者の名簿です。これらの人びとの中には、「歴代宝案」に収録される文書のやりとりの相手として、また北京へと向かう琉球使節の護送役などに従事した人びとも数多く含まれています。
○RYUKYUAN RELATIONS WITH KOREA AND SOUTH SEA COUNTRIES
戦前に台北帝国大学の教員であった小葉田淳氏は、沖縄に残されていた『歴代宝案』の重要性にいち早く注目した研究者の一人でした。『歴代宝案』の筆写本の作成を台北帝国大学を通して沖縄側に依頼し、後の台湾大学蔵写本の成立につなげただけでなく、『歴代宝案』の豊富な記載を利用して『中世南島通交貿易史の研究』を上梓しました。戦後、台湾から引き揚げた小葉田は、京都大学で教鞭を振るうかたわら1962年にハワイ大学の東西センターに滞在し、東西センターの翻訳助手であった松田貢氏の協力を得て、『歴代宝案』第一集巻39~43に収録された朝鮮や東南アジア派遣関係の文書を英訳し、解説を付して1969年に出版しました。同書は『歴代宝案』を初めて英訳したものとなり、東南アジアや英語圏で広く読まれ、交流史研究に大きな影響を与えました。また、小葉田は平成元年(1989)に発足した沖縄県歴代宝案編集委員会初代委員長として歴代宝案編集刊行事業に尽力しました。
巻39・巻40・巻41・巻42部分をテキストデータ化し公開しています。また、同書の巻末図版を除く全てのページをPDFファイルで公開しています。
○文化(財)課刊行物
沖縄県教育庁文化財課(旧:文化課)では、これまでに沖縄の歴史を記す貴重な史料および、調査報告書などを刊行してきました。刊行物の一覧は、沖縄県教育庁文化財課HPの『文化財要覧』所収の一覧をご覧ください(『文化財要覧』はこちらから)。この中から、琉球国の交流史とかかわりの深い史料集や報告書をピックアップし、PDFで公開しています(順次拡充予定)。
現在公開しているのは、以下の刊行物です。
蔡鐸本 中山世譜(1973) |
四本堂家礼 上(1981) |
四本堂家礼 下(1982) |
重新校正 中山世鑑 序(1982) |
重新校正 中山世鑑 巻一(1982) |
重新校正 中山世鑑 巻二(1983) |
重新校正 中山世鑑 巻三(1983) |
重新校正 中山世鑑 巻四(1983) |
重新校正 中山世鑑 巻五(1983) |
混効験集 坤乾(1984) |
蔡温本 中山世譜(1986) |
蔡温本 中山世譜 附巻(1987) |
○投稿・公開交流史料テキストデータ
琉球王国交流史デジタルアーカイブでは、より多様な史料の公開を可能とすること、また、さまざまな史料を一括して検索いただけるよう、一定の学術的な水準を備えた交流史に関する史料テキストデータについて、利用者などからの投稿を受け付け公開している(沖縄県教育庁文化財課が依頼したものも含む)。
・現在公開しているテキストデータの一覧 → こちらから
・投稿方法について → 「交流史料テキストデータの投稿・公開方法について」参照
・公開されているテキストデータの作成凡例について → 「公開テキストデータの作成凡例」参照
交流史デジタル画像庫
「交流史デジタル画像庫」では、史料の高精細画像を関係機関の協力を得ながら公開しています。
絵図や地図などの原本史料や写真からは、『歴代宝案』をはじめとする交流史料や文書等の文字情報だけでは得られない、多くの情報を読み取ることができます。
琉球王国交流史の理解を深めるため、ぜひご活用ください。
現在公開している資料の一覧は、以下のとおりです。
史料名 | 所蔵機関 |
『歴代宝案』旧沖縄県立図書館写本 | 那覇市歴史博物館 |
琉球交易港図屏風 | 浦添市美術館 |
首里那覇港図屏風 | 沖縄県立博物館・美術館 |
渡閩航路図 | 沖縄県立博物館・美術館 |
琉球国図 | 沖縄県立博物館・美術館 |
奉使琉球図 | 沖縄県立博物館・美術館 |
冊封使行列絵巻 | 沖縄県立博物館・美術館 |
琉客談記 | 沖縄県立博物館・美術館 |
明孝宗勅諭 琉球国中山王尚真宛 | 沖縄県立博物館・美術館 |
普及本
○歴代宝案の栞
『歴代宝案』の内容や構成、文書の種類、校訂本と訳注本の違い、歴代宝案編集事業について、イラストなどを用いて分かりやすく解説した小冊子(16頁)です。平成11年(1999)に最初の栞が作成され、平成30年(2018)に新訂版が作成され、令和3年(2021)に英語、中国語(簡体字・繁体字)に翻訳されました。(『歴代宝案の栞』一覧)。
○つかってみよう!ふれてみよう!琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ
「琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ」の内容や機能、公開している資料の概要などを、イラストなどを用いて分かりやすく紹介した小冊子(8頁)です。QRコードなどを通じてデジタルアーカイブの関係するページなどをインターネット上で閲覧することなどができます。