琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-03-04 皇帝より国王(世子尚質ノ誤)へ、明の勅・印の返還を促す勅諭(一六五一、九、八)
皇帝、琉球国王に勅諭す。
爾の国、命を承け化に向かい、表を奉りて投誠す。朕、甚だ焉を嘉す。奏の内に献琛は稍く来祀に寛む、と云う有り。故を以て、周国盛等三人を館留して京に在らしむ。随いで七年(一六五〇)五月内に、梁廷翰等十九人を遣わし、爾の国に回り諭せしむるも、今に迄るまで、故明の勅・印は未だ繳さず。併びに去ける使は消息有る無し。意者、海道迂遠にして風波険阻なり。抑々別の故有りて未だ爾の国に達せざるや。来使、京に留まりて日久しく、朕、甚だ憫念す。今、表裏・銀両を賞賜し、遣わし帰す。沿途に、脚力・口糧を給与し、人を添え船を駕し、通官の謝必振と同に爾の国に回報せしめて、爾の国の復命するに便宜なるを聴し、用て朕の懐柔の至意を示す。故に諭す。
順治八年(一六五一)九月初八日 再対して之を正す

注*この勅諭は『清実録』同年同月壬午の条にある。
(1)表 〔一四-〇一〕か。
(2)奏の内に…と云う有り 朝貢は次の時まで延期します、の意。祀は年。表〔一四-〇一〕の中にもこのようにある。
(3)周国盛 一六二九-五六年。久米村周氏(阿賀嶺家)の二世。島袋通事親雲上(『家譜(二)』三七九頁)。〔一四-〇一〕を奉った時の執照〔三四-〇一〕に通事として名がある。
(4)梁廷翰 〔三四-〇一〕に都通事として名がある。
(5)故明の勅・印は未だ繳さず 〔〇三-〇二〕で、明が琉球に下賜した勅と印を返納するように命じている。
(6)通官 通事。
(7)謝必振 〔〇九-〇一〕によれば、通事とあり、順治四年(一六四七)六月に招撫使に任ぜられ、同六年に琉球に至る。〔〇九-〇三〕には招撫土通事とある。
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