{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
2-42-20 国王尚穆の、進貢のため耳目官毛世俊等を遣わすむねの符文(乾隆二十三《一七五八》、十、十一)
琉球国中山王尚(穆)、進貢の事の為にす。
切照するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次す。茲に乾隆二十三年の貢期に当たり、特に耳目官毛世俊・正議大夫鄭士綽・都通事魏献芝等を遣わし、表咨を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢を率領し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運するの外、旨を奉じて入監読書するの官生梁允治等四員、跟伴四名を率領し、更に貢する所の囲屏紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を装載して、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴きて、聖禧を叩祝せんとす。但だ差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に各処の官軍の阻留するを恐る。此れが為に理として合に符文を給発し、以て通行するに便ならしむべし。
今、王府、礼字第七十六号の半印勘合の符文を給し、都通事魏献芝等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して、留難して遅悞して便ならざるを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開、京に赴く
正使耳目官一員 毛世俊 人伴一十二名
副使正議大夫一員 鄭士綽 人伴一十二名
都通事一員 魏献芝 人伴七名
在船都通事二員 鄭謨/魏開業 人伴八名
在船使者四員 向永誉 毛允義/葉嘉慶 呉永隆 人伴一十六名
存留通事一員 林邦哲 人伴六名
在船通事一員 毛景昌 人伴四名
官生四人 梁允治 蔡世昌/鄭孝徳 金型 人伴四名
管船夥長・直庫四名 鄭永伝 和承烈/毛朝祐 島永烈
水梢共に一百一十九名
右の符文は、都通事魏献芝等に付し、此れを准ず
乾隆二十三年十月十一日 給す
注(1)毛允義 『宝案』では他に乾隆三十一年の在船使者として名が見える。
(2)呉永隆 崎山親雲上(蔡懿の譜、『家譜(二)』二六六頁)。『宝案』では他に乾隆二十八年の在船使者として名がみえる。
(3)林邦哲 『宝案』では他に乾隆三十四年の都通事として名がみえる。
(4)毛景昌 『宝案』では他に乾隆三十一年の在船都通事、三十九年の朝京都通事として名がみえる。
琉球国中山王尚(穆)、進貢の事の為にす。
切照するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次す。茲に乾隆二十三年の貢期に当たり、特に耳目官毛世俊・正議大夫鄭士綽・都通事魏献芝等を遣わし、表咨を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢を率領し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運するの外、旨を奉じて入監読書するの官生梁允治等四員、跟伴四名を率領し、更に貢する所の囲屏紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を装載して、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴きて、聖禧を叩祝せんとす。但だ差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に各処の官軍の阻留するを恐る。此れが為に理として合に符文を給発し、以て通行するに便ならしむべし。
今、王府、礼字第七十六号の半印勘合の符文を給し、都通事魏献芝等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して、留難して遅悞して便ならざるを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開、京に赴く
正使耳目官一員 毛世俊 人伴一十二名
副使正議大夫一員 鄭士綽 人伴一十二名
都通事一員 魏献芝 人伴七名
在船都通事二員 鄭謨/魏開業 人伴八名
在船使者四員 向永誉 毛允義/葉嘉慶 呉永隆 人伴一十六名
存留通事一員 林邦哲 人伴六名
在船通事一員 毛景昌 人伴四名
官生四人 梁允治 蔡世昌/鄭孝徳 金型 人伴四名
管船夥長・直庫四名 鄭永伝 和承烈/毛朝祐 島永烈
水梢共に一百一十九名
右の符文は、都通事魏献芝等に付し、此れを准ず
乾隆二十三年十月十一日 給す
注(1)毛允義 『宝案』では他に乾隆三十一年の在船使者として名が見える。
(2)呉永隆 崎山親雲上(蔡懿の譜、『家譜(二)』二六六頁)。『宝案』では他に乾隆二十八年の在船使者として名がみえる。
(3)林邦哲 『宝案』では他に乾隆三十四年の都通事として名がみえる。
(4)毛景昌 『宝案』では他に乾隆三十一年の在船都通事、三十九年の朝京都通事として名がみえる。