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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-182-07 琉球国中山王尚育より関係当局あて、道光二十六年の進貢使の北京行き及び請諭使の福州行きの便宜を図られたき旨要請する符文(道光二十六《一八四六》、八、二)
琉球国中山王尚(育)、進貢の事の為にす。
照らし得たるに、本爵、叨くも天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年一貢し、欽遵して案に在り。
茲に道光二十六年の貢期に当たれば、謹んで耳目官の向元模・正議大夫の梁必達・都通事の林奕潢等を遣わし、表章を齎捧し、梢役共に一百九十九員名を率領せしめ、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を将て均分して両船に装載せしめ、一船の礼字第二百八十九号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を装運し、一船の礼字第二百九十号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を載運し、前みて福建等処承宣布政使司に至って投納し、起送して京に赴き叩きて聖禧を祝らしめんとす。
又、特に王舅の毛増光・正議大夫の梁学孔・都通事の魏国香等を遣わし、咨文を齎捧し、跟伴共に三十三員名を率領せしめ、二号貢船に坐駕して前みて福建へ詣り、布政使司に陳請して督/撫両院に転詳せしめ、聖諭もて𠸄咭唎・咈囒哂の両国人、敝国に在りて医を行い通商するを弭止し、留まる所の人数を接回するを奏請せしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。合行しく符文を給発すべし。此れが為に王府、礼字第二百八十八号半印勘合の符文一道を給発して都通事の林奕潢等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。
須らく符文に至るべき者なり。
計開す。
請諭
正使王舅一員 毛増光 人伴一十三名
副使正議大夫一員 梁学孔 人伴一十二名
都通事一員 魏国香 人伴五名
進貢
正使耳目官一員 向元模 人伴一十二名
副使正議大夫一員 梁必達 人伴一十二名
朝京都通事一員 林奕潢 人伴七名
在船都通事二員 林興教/周大光 人伴八名
在船使者四員 斉好善 毛文魁/向世傑 向維城 人伴一十六名
存留通事一員 阮孝銓 人伴六名
在船通事一員 王受祉 人伴四名
管船火長・直庫四名 王作梅 永利渡/蔡邦佐 常得順
水梢共に一百一十九名
右の符文は都通事林奕潢等に付す。此れに准ぜられよ
道光二十六年(一八四六)八月初二日
注(1)阮孝銓 一八〇六~七四年。久米村阮氏(浜比嘉家)九世。浜比嘉親方。道光十九年都通事座敷に陞任。同二十六年進貢存留通事として福州に渡り三年間滞在。咸豊元年中議大夫、同七年正議大夫、同十一年紫金大夫に陞る(『家譜(二)』一八九頁)。
琉球国中山王尚(育)、進貢の事の為にす。
照らし得たるに、本爵、叨くも天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年一貢し、欽遵して案に在り。
茲に道光二十六年の貢期に当たれば、謹んで耳目官の向元模・正議大夫の梁必達・都通事の林奕潢等を遣わし、表章を齎捧し、梢役共に一百九十九員名を率領せしめ、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を将て均分して両船に装載せしめ、一船の礼字第二百八十九号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を装運し、一船の礼字第二百九十号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を載運し、前みて福建等処承宣布政使司に至って投納し、起送して京に赴き叩きて聖禧を祝らしめんとす。
又、特に王舅の毛増光・正議大夫の梁学孔・都通事の魏国香等を遣わし、咨文を齎捧し、跟伴共に三十三員名を率領せしめ、二号貢船に坐駕して前みて福建へ詣り、布政使司に陳請して督/撫両院に転詳せしめ、聖諭もて𠸄咭唎・咈囒哂の両国人、敝国に在りて医を行い通商するを弭止し、留まる所の人数を接回するを奏請せしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。合行しく符文を給発すべし。此れが為に王府、礼字第二百八十八号半印勘合の符文一道を給発して都通事の林奕潢等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。
須らく符文に至るべき者なり。
計開す。
請諭
正使王舅一員 毛増光 人伴一十三名
副使正議大夫一員 梁学孔 人伴一十二名
都通事一員 魏国香 人伴五名
進貢
正使耳目官一員 向元模 人伴一十二名
副使正議大夫一員 梁必達 人伴一十二名
朝京都通事一員 林奕潢 人伴七名
在船都通事二員 林興教/周大光 人伴八名
在船使者四員 斉好善 毛文魁/向世傑 向維城 人伴一十六名
存留通事一員 阮孝銓 人伴六名
在船通事一員 王受祉 人伴四名
管船火長・直庫四名 王作梅 永利渡/蔡邦佐 常得順
水梢共に一百一十九名
右の符文は都通事林奕潢等に付す。此れに准ぜられよ
道光二十六年(一八四六)八月初二日
注(1)阮孝銓 一八〇六~七四年。久米村阮氏(浜比嘉家)九世。浜比嘉親方。道光十九年都通事座敷に陞任。同二十六年進貢存留通事として福州に渡り三年間滞在。咸豊元年中議大夫、同七年正議大夫、同十一年紫金大夫に陞る(『家譜(二)』一八九頁)。