琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-41-05 琉球国王より満剌加国あて、読詩等を遣わして速やかな交易を請う咨(一四六四、八、九)
琉球国王、礼儀の事の為にす。
謹んで満剌加国王殿下に咨す。窃かに謂うに、信を結び盟を修むるは乃ち交隣の大典にして、有を以て無に易うるは誠に相生の要道なり。恭しく惟うに、賢王、踐祚するや寛仁大度にして、沢は群生を被い、名は列辟に揚ぐ。嚮者使を遣わし彼に適き殊方の土宜を貿易せしむ。荷くも衆をして協成し且つ侵漁して自ら利せず、宅心は公恕にして交隣輯和せしむるを蒙り、仍お饋恵を承く。何ぞ忘る可けんや。茲に干て復た正使読詩・通事蔡回保を遣わし、咨文及び回奉の礼物を齎し、庸て区区たる芹忱を表し、実に少しく万一に酬いん。亦た微貨有りて前来す。尚お望むらくは、遠人を寛洪し買売し早やかに回帰するを与さば利便ならん。永く惟い遐かに慕う。所有の径咨は鑑納するを幸惟う。無文を異しむ勿れ。須らく咨に至るべき者なり。
今礼物を開す
各色段五匹 青段二十匹
腰刀五把 扇三十把
大青盤二十個 小青盤四百個
青碗二千個
右、満剌加国に咨す
天順八年(一四六四)八月初九日
一、差わす勝号船 杜固麻沙里/正使読詩 通事蔡回保

注(1)賢王、踐祚 マラッカ国王マンスール=シャーの登位をさす。『明実録』によれば、前国王(ムザファール=シャー)の明朝に対する朝貢は景泰六年(一四五五)七月で終り、その後、天順三年(一四五九)に蘇丹芒速沙(スルタン・マンスール・シャーの漢字表記)が朝貢し、明朝は彼をマラッカ国王に封じ、故王を諭祭するための使者を遣わした(六月戊午、八月丙寅の条)。
(2)列辟 歴代の天子。
(3)嚮者使を遣わし 〔四一-〇一〕参照。
(4)宅心 気がまえ。
(5)蔡回保 家譜にこの満剌加国への派遣の記事があり、天順七年となっているが誤りであろう(『家譜(二)』二五〇頁)。
(6)径咨 用件のみの咨文、の意か。
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TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944
MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

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