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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-32 世子尚賢の、進貢のため正議大夫金応元等を遣わす符文(一六四四、二、二八)
琉球国中山王世子尚(賢)、進貢の事の為にす。
案照するに、崇禎七年(一六三四)十一月十九日、聖旨を奉ずるに、三年両次に朝貢せよ、とあり。此れを欽む。欽遵して、此の為に、欽依内の事理を奉じ遵守して奉行せよ、等の因あり。此れを奉じ、査して案照するに、崇禎十七年(一六四四)は歳に循い期に及びて、擬するに合に進貢すべし。此の為に、特に正議大夫・使者・都通事等の官の金応元等を遣わし、表・箋・咨文各一通を齎捧し、二船に分坐し、水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百人の数に盈たず。庶務を愜労して、馬一十匹、海螺殻三千個、例として進むる生硫黄二万斤等の方物を載運し、来朝して進貢す。生硫黄二万斤は、行移の国に到れるを承准するに拠り、遵依して法の如く煎煉す。進むる毎の熟黄は応該に一万二千六百斤にして額に充つべし。今年分は二船の大小同じからざるに装載するに拠り、方物は多寡均しからず。一船仁字五十五号は硫黄七千六百斤・馬六匹・螺殻二千個を装載し、一船仁字五十六号は硫黄五千斤・馬四匹・螺殻一千個を装載し、二船の協幇して解運するは崇禎十七年分の貢期の常額を充盈して並びに欠少無し、等の因あり。差遣の、方物を解運する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。合行に給照して以て通行に便ならしむべし。此の為に今、仁字第五十四号半印勘合符文を給し、都通事鄭思善等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わぼ、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 金応元 人伴十名
使者一員 吉時逢 人伴八名
都通事一員 鄭思善 人伴六名
存留在船都通事一員 王克善 人伴五名
存留在船使者四員 楊富春 林徳 毛啓元 杜良守 人伴八名
存留在船通事二員 林春光 梁応材 人伴六名
管船火長・直庫四名 林士奇 陳結華 二郎 馬介那
右の符文は都通事鄭思善等に付し、此れに准ぜしむ
附搭の土夏布二百匹
崇禎十七年(一六四四)二月二十八日給す
符文
注(1)仁字第五十四号 〔三三-二四〕に同番号があり、何らかの誤りか。
(2)梁応材 一六二二-五九年。大嶺親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)八世(『家譜(二)』七六五頁)。
(3)陳結華 一六二一-九九年。仲本親雲上。久米村陳氏(仲本家)九世(『家譜(二)』四九一頁)。
琉球国中山王世子尚(賢)、進貢の事の為にす。
案照するに、崇禎七年(一六三四)十一月十九日、聖旨を奉ずるに、三年両次に朝貢せよ、とあり。此れを欽む。欽遵して、此の為に、欽依内の事理を奉じ遵守して奉行せよ、等の因あり。此れを奉じ、査して案照するに、崇禎十七年(一六四四)は歳に循い期に及びて、擬するに合に進貢すべし。此の為に、特に正議大夫・使者・都通事等の官の金応元等を遣わし、表・箋・咨文各一通を齎捧し、二船に分坐し、水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百人の数に盈たず。庶務を愜労して、馬一十匹、海螺殻三千個、例として進むる生硫黄二万斤等の方物を載運し、来朝して進貢す。生硫黄二万斤は、行移の国に到れるを承准するに拠り、遵依して法の如く煎煉す。進むる毎の熟黄は応該に一万二千六百斤にして額に充つべし。今年分は二船の大小同じからざるに装載するに拠り、方物は多寡均しからず。一船仁字五十五号は硫黄七千六百斤・馬六匹・螺殻二千個を装載し、一船仁字五十六号は硫黄五千斤・馬四匹・螺殻一千個を装載し、二船の協幇して解運するは崇禎十七年分の貢期の常額を充盈して並びに欠少無し、等の因あり。差遣の、方物を解運する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。合行に給照して以て通行に便ならしむべし。此の為に今、仁字第五十四号半印勘合符文を給し、都通事鄭思善等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わぼ、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 金応元 人伴十名
使者一員 吉時逢 人伴八名
都通事一員 鄭思善 人伴六名
存留在船都通事一員 王克善 人伴五名
存留在船使者四員 楊富春 林徳 毛啓元 杜良守 人伴八名
存留在船通事二員 林春光 梁応材 人伴六名
管船火長・直庫四名 林士奇 陳結華 二郎 馬介那
右の符文は都通事鄭思善等に付し、此れに准ぜしむ
附搭の土夏布二百匹
崇禎十七年(一六四四)二月二十八日給す
符文
注(1)仁字第五十四号 〔三三-二四〕に同番号があり、何らかの誤りか。
(2)梁応材 一六二二-五九年。大嶺親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)八世(『家譜(二)』七六五頁)。
(3)陳結華 一六二一-九九年。仲本親雲上。久米村陳氏(仲本家)九世(『家譜(二)』四九一頁)。