琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-149-06 国王尚灝の、接貢のため都通事王秉謙等に付した執照(道光九《一八二九》、八、三)
琉球国中山王尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回する事の為にす。
照得するに、本爵は業に道光八年秋に貢使耳目官毛世輝・正議大夫楊徳昌等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢せしむ。経に本爵、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せしめて案に在り。
茲に還国の期に当り、例として応に船を撥りて接回すべし。此れが為に特に都通事王秉謙等を遣わす。梢役を帯領し、共に八十九員名なり。海船一隻に坐駕し、前みて福建に至りて、皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京より回る使臣毛世輝・楊徳昌・鄭択中と在閩の存留通事鄭元偉等を接えて還国せしめんとす。
但だ差わす所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第二百四十八号の半印勘合の執照一道を給発して存留通事楊徳述等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海巡哨の官軍は、験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 王秉謙 人伴四名
在船使者二員 翁邦柱/向致遠 人伴八名
存留通事一員 楊徳述 人伴六名
管船夥長・直庫二名 林奕潢 楊維順
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事楊徳述等に付し、此れを准けしむ
道光九年(一八二九)八月初三日

注(1)表章 表は〔一四七-〇一〕〔一四七-〇二〕、章(奏)は〔一四七-〇三〕。
(2)楊徳述 久米系楊氏。山口通事親雲上。道光九年(一八二九)接貢の存留通事(『家譜(二)』八三九頁、梁弘文の譜参照)。
(3)翁邦柱 座間味里之子親雲上盛復。道光三年(一八二三)返船の官舎(在船使者)、同九年接貢の才府(在船使者)として中国に渡る(『家譜(二)』一〇頁、王秉謙の譜参照)。
(4)向致遠 道光九年(一八二九)接貢の在船使者。『歴代宝案』では道光十六年にも進貢の在船使者として名がみえる。
(5)夥長 火長とも。運航を掌る船長。琉球では後に、航海の際に儀礼的、宗教的分野を担当した。〔一四七-一九〕注(21)「管船火長・直庫」参照。
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