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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-09-20 世曾孫尚敬の、進貢し、また冊封使を迎接するため、耳目官向秉乾等を遣わすむねの符文(一七一八、九、一七)
琉球国中山王世曾孫尚(敬)、進貢し接封する事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕五十七年の貢期に当り、特に耳目官向秉乾・正議大夫楊聯桂・接封正議大夫陳其湘・都通事鄭秉彝等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢共に二百一十九員名を率領せしむ。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第一百零七号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第一百零八号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝する外、恭しく天使、敝国に按臨するを接えんとす。
茲に差わす所の員役は若し文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第一百零六号半印勘合の符文を給して都通事鄭秉彝等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 向秉乾 人伴一十二名
正議大夫一員 楊聯桂 人伴一十二名
接封正議大夫一員 陳其湘 人伴二十一名
都通事一員 鄭秉彝 人伴五名
在船通事二員 陳以栢/孫廷璽 人伴八名
在船使者四員 毛興祚 向保昌/毛時珍 斉彦士 人伴十六名
存留通事一員 程允升 人伴五名
在船通事一員 蔡垣 人伴四名
管船夥長・直庫四名 金総 長立功/毛如徳 喜屋武
水梢共に一百二十名
右の符文は都通事鄭秉彝等に付す。此れを准ず
康煕五十七年(一七一八)九月十七日給す
注(1)毛如徳 一六九八-一七三五年。久米村毛氏(与世山家)四世。和宇慶親雲上。後に都通事に陞る(『家譜(二)』七一二頁)。
琉球国中山王世曾孫尚(敬)、進貢し接封する事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕五十七年の貢期に当り、特に耳目官向秉乾・正議大夫楊聯桂・接封正議大夫陳其湘・都通事鄭秉彝等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢共に二百一十九員名を率領せしむ。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第一百零七号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第一百零八号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝する外、恭しく天使、敝国に按臨するを接えんとす。
茲に差わす所の員役は若し文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第一百零六号半印勘合の符文を給して都通事鄭秉彝等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 向秉乾 人伴一十二名
正議大夫一員 楊聯桂 人伴一十二名
接封正議大夫一員 陳其湘 人伴二十一名
都通事一員 鄭秉彝 人伴五名
在船通事二員 陳以栢/孫廷璽 人伴八名
在船使者四員 毛興祚 向保昌/毛時珍 斉彦士 人伴十六名
存留通事一員 程允升 人伴五名
在船通事一員 蔡垣 人伴四名
管船夥長・直庫四名 金総 長立功/毛如徳 喜屋武
水梢共に一百二十名
右の符文は都通事鄭秉彝等に付す。此れを准ず
康煕五十七年(一七一八)九月十七日給す
注(1)毛如徳 一六九八-一七三五年。久米村毛氏(与世山家)四世。和宇慶親雲上。後に都通事に陞る(『家譜(二)』七一二頁)。