琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

MENU

  • TOP
  • お知らせ
  • 琉球王国交流史
    • 詳細検索
    • 交流史資料紹介
    • もっと知りたい交流史
    • 歴史年表
  • 近代沖縄史料
    • 詳細検索
    • 近代沖縄と新聞
    • もっと知りたい近代沖縄
    • 歴史年表
  • 本サイトについて
  • アンケート

琉球王国交流史

Top   »  詳細検索   »  検索結果   »  資料詳細

{{ryu_data.f5}}

資料詳細

資料ID.
{{ryu_data.f32}}
資料種別
{{ryu_data.f5}}
資料名
{{ryu_data.f7}}
歴代宝案巻号
{{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
著者等
{{ryu_data.f30}}
タイトル
中国暦
{{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
西暦
{{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
曜日
{{ryu_data.f16}}
差出
{{ryu_data.f21}}
宛先
{{ryu_data.f22}}
文書形式
{{ryu_data.f26}}
書誌情報
{{ryu_data.f27}}
関連サイト情報
訂正履歴
{{ryu_data.f24}}
備考
{{ryu_data.f33}}
データの著作権・利用規約 PDFを保存

テキスト

PDF

1-35-16 国王尚貞の、赴京の官員を接回するため都通事鄭明良等を遣わす執照(一六九一、一〇、八)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の官員を接回する事の為にす。
照得するに、康煕二十九年(一六九〇)冬、特に耳目官温允傑・正議大夫金元達等を遣わし、水梢を率領して船二隻を駕し閩に来り、表章・方物を齎捧せしむ。已経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して進京し聖禧を叩祝す。進京の官伴及び存留の官伴を除く外、所有の両船の員役は仍お原船に坐して本年夏汛に摘回せり。今、旧例に遵い入覲の官伴は船を撥して接回し、久しく閩の地に滞りて以て天朝の廩餼を糜すに至らず。此の為に、特に都通事鄭明良等を遣わし、水梢共に八十四員名を率領して海船一隻に坐駕し、前来して皇上の勅書併びに欽賜の御物、同じく貢使温允傑等を迎接せしむ。
茲に所拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に理として合に執照を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府、義字第五十一号半印勘合執照を給して存留通事梁鏞等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
都通事一員 鄭明良 人伴五名
使者二員 雍克寛 召弘祚 人伴八名
存留通事一員 梁鏞 人伴五名
管船夥長・直庫二名 陳其瀾 丙起才
水梢共に六十名
康煕三十年(一六九一)十月初八日給す
右の執照は存留通事梁鋪等に付し、此れに准ぜしむ

注(1)梁鋪 一六六三-一七〇二年。国吉親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)十世。王命を奉じ中国に六年間学ぶ。都通事に任じ、座敷に陞る(『家譜(二)』七六八頁)。
864

琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

問い合わせ先:沖縄県教育庁文化財課

TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944
MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

© 2021 - 2025 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

TOP