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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-23 世子尚豊の、進貢のため正議大夫鄭俊等を遣わす符文(一六三〇、一、一九)
琉球国中山王世子尚(豊)、進貢の事の為にす。
今、特に正議大夫・使者・通事等の官の鄭俊等を遣わし、咨を捧じ表を齎しむ。船隻に坐駕し、馬四匹・硫黄一万斤を載運して京に赴き進奉す。差去する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。合行に給照すべし。今、仁字第二十一号半印勘合符文を給し、通事梁廷器等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 鄭俊 人伴一十名
使者一員 馬如麟 人伴五名
通事一員 梁廷器 人伴四名
存留在船使者二員 毛纉賢 呉得栄 人伴四名
存留在船通事一員 鄭子楽 人伴二名
管船火長・直庫二名 葉茂 馬志
附搭の土夏布二百匹
崇禎三年(一六三〇)正月十九日給す
琉球国中山王世子尚(豊)、進貢の事の為にす。
今、特に正議大夫・使者・通事等の官の鄭俊等を遣わし、咨を捧じ表を齎しむ。船隻に坐駕し、馬四匹・硫黄一万斤を載運して京に赴き進奉す。差去する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。合行に給照すべし。今、仁字第二十一号半印勘合符文を給し、通事梁廷器等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 鄭俊 人伴一十名
使者一員 馬如麟 人伴五名
通事一員 梁廷器 人伴四名
存留在船使者二員 毛纉賢 呉得栄 人伴四名
存留在船通事一員 鄭子楽 人伴二名
管船火長・直庫二名 葉茂 馬志
附搭の土夏布二百匹
崇禎三年(一六三〇)正月十九日給す