琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-02-09 国王尚貞の、進貢のため耳目官毛興龍等を遣わすむねの符文(一七〇二、一〇、八)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕四十一年の貢期に当り、特に耳目官毛興龍・正議大夫蔡応祥・都通事蔡灼等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔等の方物を装運して両船に分載す。一船は義字第七十四号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第七十五号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第七十三号半印勘合の符文を給して都通事蔡灼等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 毛興龍 人伴一十二名
正議大夫一員 蔡応祥 人伴一十二名
都通事一員 蔡灼 人伴七名
在船都通事二員 毛文善/金璋 人伴九名
在船使者四員 毛文傑・毛温良/向自長・伊善遴 人伴一十六名
存留通事一員 曾暦 人伴六名
在船通事一員 蔡文漢 人伴五名
管船火長・直庫四名 阮玠・魏鳳・松永茂・長立功
右の符文は都通事蔡灼等に付す。此れを准ず
康煕四十一年(一七〇二)十月初八日

注(1)金璋 一六六一-一七三一年。久米村金氏(具志堅家)十世。赤嶺秀才。正議大夫。この進貢の帰途に風のため大島に漂着、鹿児島を経て帰国した(『家譜(二)』六〇頁)。
(2)毛温良 座喜味親方盛守。一六七七-一七三八年。首里毛氏(座喜昧家)八世。家譜には在船使者に任じた記録はない(『家譜(三)』七一七頁)。
(3)曾暦 一六七七-一七四六年。久米村曾氏(仲宗根家)七世。砂辺親方。のちに名を信と改めた。久米村総役に陞る(『家譜(二)』三九五頁)。〔〇五-〇一〕参照。
(4)蔡文漢 生没年不詳。久米村蔡氏(具志家)十一世。蔡文溥の弟(『家譜(二)』三〇一頁)。
(5)阮玠 生没年不詳。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世(『家譜(二)』一五三頁)。
(6)魏鳳 生没年不詳。久米村魏氏(慶佐次家)五世(『家譜(二)』二三頁)。
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