{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
2-23-13 国王尚敬の、接貢のため存留通事梁琴等に付した執照(乾隆四《一七三九》、十、二十七)
琉球国中山王尚(敬)、進貢の官員を接回する事の為にす。
照得するに、乾隆三年冬、特に耳目官向維豪・正議大夫蔡墉等を遣わし、表文・方物を齎捧し、官伴・水梢を率領し、船二隻に駕して閩に来たる。已経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。進京の官伴及び存留の官伴を除くの外、所有の両船の員役は、慶賀王舅向啓猷等と同に本年八月内に帰国す。今、旧例に遵い、特に都通事鄭秉哲等を遣わし、官伴・水梢共に八十八員名を率領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に赴きて、恭しく勅書併びに欽賜の物件、及び京より回る貢使向維豪等を接えるの外、附搭せる漂海の難夷朝鮮国の人氏、共に二十名を解送して前来す。
所拠の差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に執照を給発し、以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第三十五号の半印勘合執照を給し、存留通事梁琴等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開す
都通事一員 鄭秉哲 跟伴四名
使者二員 温啓泰/毛廷器 跟伴八名
存留通事一員 梁琴 跟伴六名
管船夥長・直庫二名 林大模 馬利国
水梢共に六十四名
右の執照は存留通事梁琴等に付し、此れを准ず
乾隆四年(一七三九)十月二十七日
注(1)今 校訂本は「全」だが「今」の誤りか。
(2)梁琴 康煕三十七~乾隆十四年(一六九八~一七四九)。久米村系梁氏十一世(古謝家)。名嘉地里之子親雲上。雍正二年、読書習礼のため福建に赴く。乾隆四年の接貢の存留通事、十三年の都通事となる(『家譜(二)』八一四頁)。
(3)温啓泰 渡名喜親雲上紹方(『家譜(二)』六二〇頁、鄭秉哲の譜)。乾隆四年の使者。『宝案』では雍正元年の使者(巻一三)としても名がみえる。
(4)管 底本(県図本)は一字欠、台湾本は「在」とするが「管」か。
(5)林大模 乾隆四年の管船夥長。
(6)馬利国 乾隆四年、六年(巻二四)、十二年(巻二八)の管船直庫。
琉球国中山王尚(敬)、進貢の官員を接回する事の為にす。
照得するに、乾隆三年冬、特に耳目官向維豪・正議大夫蔡墉等を遣わし、表文・方物を齎捧し、官伴・水梢を率領し、船二隻に駕して閩に来たる。已経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。進京の官伴及び存留の官伴を除くの外、所有の両船の員役は、慶賀王舅向啓猷等と同に本年八月内に帰国す。今、旧例に遵い、特に都通事鄭秉哲等を遣わし、官伴・水梢共に八十八員名を率領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に赴きて、恭しく勅書併びに欽賜の物件、及び京より回る貢使向維豪等を接えるの外、附搭せる漂海の難夷朝鮮国の人氏、共に二十名を解送して前来す。
所拠の差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に執照を給発し、以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第三十五号の半印勘合執照を給し、存留通事梁琴等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開す
都通事一員 鄭秉哲 跟伴四名
使者二員 温啓泰/毛廷器 跟伴八名
存留通事一員 梁琴 跟伴六名
管船夥長・直庫二名 林大模 馬利国
水梢共に六十四名
右の執照は存留通事梁琴等に付し、此れを准ず
乾隆四年(一七三九)十月二十七日
注(1)今 校訂本は「全」だが「今」の誤りか。
(2)梁琴 康煕三十七~乾隆十四年(一六九八~一七四九)。久米村系梁氏十一世(古謝家)。名嘉地里之子親雲上。雍正二年、読書習礼のため福建に赴く。乾隆四年の接貢の存留通事、十三年の都通事となる(『家譜(二)』八一四頁)。
(3)温啓泰 渡名喜親雲上紹方(『家譜(二)』六二〇頁、鄭秉哲の譜)。乾隆四年の使者。『宝案』では雍正元年の使者(巻一三)としても名がみえる。
(4)管 底本(県図本)は一字欠、台湾本は「在」とするが「管」か。
(5)林大模 乾隆四年の管船夥長。
(6)馬利国 乾隆四年、六年(巻二四)、十二年(巻二八)の管船直庫。