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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
(二)正徳二年(一五〇七)三月丙辰(十三日) 琉球国中山王尚真、奏して毎歳一貢を乞う。礼部覆議す。 「琉球は其の初め朝貢不時なり。成化十一年(一四七五)に至り、使臣回りて福州に至り殺掠して患を為すに因り、始めて勅して二年一貢せしむ。比、入貢の期限を過違するを以て、乃ち此の奏を為し、以て其の非を飾る。今、宜しく成化間の勅の如くすべし。庶わくは馭夷の正法を失わざらんことを」。 上、琉球は外夷なるを以て、旧の如く歳一入貢せしむ。