琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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資料名
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歴代宝案巻号
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タイトル
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1-01-17 皇帝より世子尚円へ、使臣が衣服の禁制に違反したことを譴責する勅諭(一四七一、四、八)
琉球国世子尚円に勅す。
近ごろ差来の長史蔡璟、大紅織金蟒竜羅段二匹を将て、私かに針工を喚び、館に在りて衣服を剪裁するに因り、所司以聞す。璟称すらく、宣徳三年(一四二八)、朝廷の給賜するに係わり、本国従り帯来す、と。事、該部に下して査照するに、彼の時、原、蟒竜花様を給賜すること無し。此れ応に禁ずべきの物に係わる。縦使果たして本国従り帯来するも、亦た宜しく明白に告知して工に命じて裁製すべきを当と為す。今、却って然らず。事は違有るに属す。羅段は収留し、璟等は礼を以て遣回せしむるを除くの外、特に爾に諭して之を知らしむ。故に勅す。
成化七年(一四七一)四月初八日

注*この事件は『明実録』成化七年三月戊戌の条に記事がある。
(1)長史 成化七年、朝鮮の申叔舟撰『海東諸国紀』「琉球国紀」に「有左右長史二人、出納王命」とある。この記事は本文書中の蔡璟が、天順五年(一四六一)琉球国の副使として朝鮮に至った際の口述(『李朝実録』世祖八年〈一四六二〉二月癸巳の条に収録)によるものと思われる。又、『海東諸国紀』に弘治十四年(一五〇一)に追加された「琉球国」の記事には「長史二員正議大夫二員用事者也、並以中朝人来居者為之」とある。
『明実録』における長史の初出は永楽元年で、永楽九年四月癸巳の条には長史に関する記事がある。〔一二-一二〕注(2)王相を参照。
『歴代宝案』第一集における長史は外交事務を扱い久米村系の人をもって任じた。明代では進貢の使臣をも勤めたが、南明の隆武二年(一六四六)〔三七-〇八〕〔三七-一〇〕〔三七-一四〕〔三七-一七〕を最後に長史の派遣はなくなる。清代の長史については序、注(11)を、中国明朝の長史については〔〇一-三二〕注(54)を参照。
(2)蔡璟 この時の入貢の記事が『明実録』成化七年三月甲申の条にある。なお〔一七-一五〕を参照のこと。
(3)蟒竜 四爪又は三爪の竜。
(4)該部 礼部。
(5)彼の時、原、蟒竜花様を給賜すること無し 宣徳三年十月十三日付勅諭〔〇一-〇九〕に、蟒竜花様(花様は模様)の頒賜はない。
(6)応に禁ずべきの物に係わる 『万暦会典』巻六一、冠服二、に官民人等に対する禁止の色として玄・黄・紫の三色、模様として蟒竜その他の規定がある。
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TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944
MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

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