琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-39-08 国王尚穆の、冊封の謝恩及び進貢のため王舅馬宣哲等を派遣するむねの符文(乾隆二十一《一七五六》、十、十二)
琉球国中山王尚(穆)、天恩に恭謝する事の為にす。
切照するに、乾隆二十一年、欽差の正使翰林院侍講全魁・副使翰林院侍講周煌の詔勅を恭捧し、敝国に賁臨して詔勅を宣読し、王爵を授封するを蒙る。盛典已に行われ、例として官を遣わして土儀を具し、京に赴きて謝恩せんとする有り。此れが為に特に正使法司王舅馬宣哲・副使紫金大夫鄭秉哲・使者向廷瑛・都通事毛如苞等を遣わし、表咨を齎捧し、官伴総共計六十六員名を率領し、頭号船一隻に坐駕し、土儀の金鶴形一対―鶴踏銀岩座各全・盔甲一領・護手護膁各全・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘鍍金銅結束腰刀二十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束鎗一十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束衮刀一十把・黒漆洒金馬鞍一坐・轡銜絡頭前後牽鞧屧背障坭鐙倶全・金彩画囲屏二対・精製雅扇五百把・土糸綿二百束・練蕉布二百疋・紋蕉布一百疋・土苧布一百疋・白剛錫五百觔・紅銅五百觔を装載して前来し、京に赴きて天恩に恭謝せんとす。今、差去せる員役は並えて文馮無きに拠り、誠に所在の官軍の盤阻して便なるざるを恐る。理として合に符文を給発し、以てする通行に便ならしむべし。
此れが為に王府、礼字第六十九号の半印勘合の符文を給し、都通事毛如苞等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開、京に赴く
正使法司王舅一員   馬宣哲     人伴二十五名
副使紫金大夫一員   鄭秉哲     人伴一十七名
使者一員       向廷瑛     人伴七名
都通事一員      毛如苞     人伴六名
王舅大夫随帯通事   鄭鴻勲/金宿  人伴五名

右の符文は、都通事毛如苞等に付し、此れを准ず
乾隆二十一年十月十二日 給す

注(1)盤阻 盤詰(尋問)して阻害すること。
1768

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問い合わせ先:沖縄県教育庁文化財課

TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944
MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

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