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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-16-13 国王尚巴志より礼部あて、海船の賜与と附搭貨への銅銭給与に対する謝恩の進貢の事、附搭貨への永楽銭給与を請う事、海船の修理を請う事の咨(一四三一、三、一九)
琉球国中山王尚巴志、謝恩等の事の為にす。
今、各件の合に行うべき事理を将て開坐し移咨す。施行せよ。須らく咨に至るべき者なり。
計三件
一件、謝恩の事。長史梁回・使者達旦尼等の告に随拠するに称すらく、宣徳三年(一四二八)、本国の差を蒙り、表文・方物を齎捧して、欽差の内官柴山の来船に附搭し、装載して京に赴く。謝恩の事完り、梁回等、呈を備え礼部に前赴し、船隻を賜わり回国して往来し朝貢するを奏するを告乞せるに縁り、海船一隻を欽賜せられて国に到り、并びに衣服等の件を齎す。呈して施行を乞う、と。長史鄭義才・使者南者結制等に随拠するに、表文・方物を齎捧して各々船隻を駕し、装載して京に赴き謝恩す。所有の附搭の蘇木等の物は、給価の銅銭を欽賜せられて国に到る、と。此れを得て、前事を参照するに理として合に通行すべし。今、使者由南結制を遣わし、使者謂慈勃也等と同に、共に表文一通を齎捧し、及び洪・恭等字号海船三隻に坐駕し、馬六十五匹・硫黄二万斤を装載し、京に赴き謝恩せしむ。咨して施行を請う。
一件、番貨の事。今、使者由南結制等、洪字号海船一隻に坐駕し、蘇木・胡椒を附搭する有り。如し給価を蒙らば、上年の事例に照らして永楽通宝銭を支給し、回国して流通し伝用するを乞う。其の余の船隻の附搭の数は、乞う、常例に依りて絹匹等の物を給価せんことを。誠に便益と為す。咨して施行を請う。
一件、船隻の事。使者由南結制等の告に拠るに称すらく、永楽十六年(一四一八)の間、欽依して福建に於て□□に撥与せる洪字号海船一隻、国に到り、逓年往来し朝貢し、今に経るまで年久しく、船身并びに槓椇は俱に各々損壊す。告して施行を乞う、と。此れを得て参照するに、原王相懐機等の領駕し来れる船に係わるの外、見に本国、木料を産せざるに縁り、式に依りて修理し堅固ならしむる能わず。乞為う、具奏して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。
右、礼部に咨す
宣徳六年(一四三一)三月十九日
謝恩等の事
此の一起 洪字船は馬二十五匹を貢す 恭字船は馬二十匹・硫黄二万斤小、今報ず一万斤正、を貢す 盤字船は馬二十匹・硫黄二万斤小、今報ず一万斤正、を貢す
咨
注(1)達旦尼 この遣使の時の咨〔一六-〇九〕では達他尼と表記する。
(2)長史鄭義才…謝恩す この遣使については〔一六-〇七〕参照。
(3)由南結制 この入貢は『明実録』宣徳六年八月辛亥・九月丁卯の条に記事がある。
(4)謂慈勃也 この入貢は『明実録』宣徳六年九月乙亥・辛巳の条に記事がある。
(5)上年の事例 上年は去年。ここでは先年の事例の意か。〔一六-〇七〕参照。
(6)常例…給価せん 『歴代宝案』中の洪煕より宣徳初の咨文は附搭貨の抽分の優免と宝鈔の給与を請うが、この記述からみて、この頃には宝鈔を絹匹に折給していたと考えられる。『万暦会典』巻一一三、礼部七〇に各附搭貨への給賜の価格の記載があり、「琉球…毎鈔二百貫、折絹一疋」とある。附搭貨の給価については小葉田淳『増補中世南島通交貿易史の研究』「給価法」(臨川書店、平成五年)に記述がある。
琉球国中山王尚巴志、謝恩等の事の為にす。
今、各件の合に行うべき事理を将て開坐し移咨す。施行せよ。須らく咨に至るべき者なり。
計三件
一件、謝恩の事。長史梁回・使者達旦尼等の告に随拠するに称すらく、宣徳三年(一四二八)、本国の差を蒙り、表文・方物を齎捧して、欽差の内官柴山の来船に附搭し、装載して京に赴く。謝恩の事完り、梁回等、呈を備え礼部に前赴し、船隻を賜わり回国して往来し朝貢するを奏するを告乞せるに縁り、海船一隻を欽賜せられて国に到り、并びに衣服等の件を齎す。呈して施行を乞う、と。長史鄭義才・使者南者結制等に随拠するに、表文・方物を齎捧して各々船隻を駕し、装載して京に赴き謝恩す。所有の附搭の蘇木等の物は、給価の銅銭を欽賜せられて国に到る、と。此れを得て、前事を参照するに理として合に通行すべし。今、使者由南結制を遣わし、使者謂慈勃也等と同に、共に表文一通を齎捧し、及び洪・恭等字号海船三隻に坐駕し、馬六十五匹・硫黄二万斤を装載し、京に赴き謝恩せしむ。咨して施行を請う。
一件、番貨の事。今、使者由南結制等、洪字号海船一隻に坐駕し、蘇木・胡椒を附搭する有り。如し給価を蒙らば、上年の事例に照らして永楽通宝銭を支給し、回国して流通し伝用するを乞う。其の余の船隻の附搭の数は、乞う、常例に依りて絹匹等の物を給価せんことを。誠に便益と為す。咨して施行を請う。
一件、船隻の事。使者由南結制等の告に拠るに称すらく、永楽十六年(一四一八)の間、欽依して福建に於て□□に撥与せる洪字号海船一隻、国に到り、逓年往来し朝貢し、今に経るまで年久しく、船身并びに槓椇は俱に各々損壊す。告して施行を乞う、と。此れを得て参照するに、原王相懐機等の領駕し来れる船に係わるの外、見に本国、木料を産せざるに縁り、式に依りて修理し堅固ならしむる能わず。乞為う、具奏して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。
右、礼部に咨す
宣徳六年(一四三一)三月十九日
謝恩等の事
此の一起 洪字船は馬二十五匹を貢す 恭字船は馬二十匹・硫黄二万斤小、今報ず一万斤正、を貢す 盤字船は馬二十匹・硫黄二万斤小、今報ず一万斤正、を貢す
咨
注(1)達旦尼 この遣使の時の咨〔一六-〇九〕では達他尼と表記する。
(2)長史鄭義才…謝恩す この遣使については〔一六-〇七〕参照。
(3)由南結制 この入貢は『明実録』宣徳六年八月辛亥・九月丁卯の条に記事がある。
(4)謂慈勃也 この入貢は『明実録』宣徳六年九月乙亥・辛巳の条に記事がある。
(5)上年の事例 上年は去年。ここでは先年の事例の意か。〔一六-〇七〕参照。
(6)常例…給価せん 『歴代宝案』中の洪煕より宣徳初の咨文は附搭貨の抽分の優免と宝鈔の給与を請うが、この記述からみて、この頃には宝鈔を絹匹に折給していたと考えられる。『万暦会典』巻一一三、礼部七〇に各附搭貨への給賜の価格の記載があり、「琉球…毎鈔二百貫、折絹一疋」とある。附搭貨の給価については小葉田淳『増補中世南島通交貿易史の研究』「給価法」(臨川書店、平成五年)に記述がある。