琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-197-12 琉球国中山王世子尚泰より、咸豊五年の接貢船の派遣に当たり、関係当局へ便宜供与要請のため、存留通事魏掌治等に付した執照(咸豊五《一八五五》、八、三)
琉球国中山王世子尚(泰)、恭しく勅書を迎え、併びに使臣を接回する事の為にす。
案照したるに、敝国は貢典に欽遵し、業に咸豊四年の秋に於て特に紫巾官の向邦棟・正議大夫の毛克進等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢せしめ、兼ねて御書匾額を欽賜せらるるを謝し、併びに皇后を冊立するの慶典を賀せしむ。業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き叩きて聖禧を祝り、兼ねて天恩に謝し、並びに賀敬を伸べしめて案に在り。
茲に国に還るの期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事の毛鳳彩等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領せしめ、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至りて、恭しく皇上の勅書・欽賜の物件を迎え、併びに使臣の向邦棟・毛克進、都通事の阮孝銓を接り、存留通事の林世元等と与に国に還らしめんとす。
但だ、差する所の員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第三百十号半印勘合の執照一道を給発して存留通事の魏掌治等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海の巡哨官軍は験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開す。
在船都通事一員   毛鳳彩 人伴四名
在船使者二員    向開元/向光地    人伴八名
存留通事一員    魏掌治  人伴六名
管船夥長・直庫二名  梁大観 金永保
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事魏掌治等に付す。此れに准ぜられよ
咸豊五年(一八五五)八月初三日

注(1)魏掌治 嘉慶二十四年(一八一九)~?。楚南親雲上。久米村系魏氏(楚南家)十世。道光二十年に勤学として福建に渡る。二十三年、家督を継いで美里間切楚南地頭職を賜る。二十八年に国王尚泰の襲名謝恩の際の楽師となり、三十年に江戸に赴いている。咸豊五年接貢船の存留通事となる(『家譜(二)』四六頁)。
(2)向光地 伊志嶺里之子親雲上(『家譜(二)』鄭宏謨の譜、六一二頁)。咸豊五年・八年の在船使者。
(3)梁大観 咸豊五年の管船直庫。
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