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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-118-09 国王尚灝の、中国の難民呉利徳等・朝鮮の難民千一得等の護送のため、都通事王秉行等に付した執照(嘉慶二十《一八一五》、八、十三)
琉球国中山王尚(灝)、護照を給発し以て関津に憑し、以て難人を送らんが事の為にす。
照得したるに、嘉慶十九年十二月二十五日、広東省潮州府澄海県の商民呉利徳等、共に五十八名は、船一隻に駕し、天津府に到り、以て貿易を為す。回郷の時、洋中にて陡かに大風に遇い、本国属地の八重山島に飄入し、礁に衝りて破船す。淹死せる八名を除くの外、現在五十名は、該地方官、救養し護送して国に到る。業経に館に発りて安挿し、例に照らして廩餼・衣服等の項を給与す。
又、嘉慶十九年十一月十五日、朝鮮国八道の内、全羅道人千一得等共に七名は、船一隻に駕し、祭州に往到す。還郷の時、颶風に遇着し、本国属島の太平山島に飄到す。一名は洋に在りて疲死せるを除くの外、現在六名は、該地方官、救養し護送して国に到る。随即に館に発りて安頓し、例に照らして廩餼・衣服等の項を給与す。部文内の奉旨の事理に欽遵し、収養して解送せしめんとす。
茲に特に都通事王秉行等を遣わし、海船一隻に坐駕し、梢役共に六十七員名を率領し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第二百九号の半印勘合の執照一道を給発し、都通事王秉行等に附し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
被風の中国難商、船主呉利徳
舵水 陳利南 蔡光宜 劉其義
陳順利 譚府合 呉利欽
姚典利 陳義合 蔡明合
黄啓合 姚合発 陳英合
譚顕栄 陳振興 揚発利
邱傑存 林廷元 譚顕利
王元文 楊進利 余美利
陳著合 黄志明 邱傑信
林振発 楊吉合 陳順発
蔡乃勤 陳順利 郭佳利
郭佳発 林沢合 李耀珠
陳隆生 楊発士
客人 陳克如 呉桂記 林大奴
陳恊綱 陳見龍 劉猪
王 順 呉江合 李猪合
蔡 報 林廷玉 陳賛
蔡奴仔 江友存
以上、通船共計五十名
被風の朝鮮国難人 千一得 朱甲尹
金有福 金順元 高大福
曹栄周
以上、通船共計六名
護送都通事一員 王秉行 人伴四名
司養贍大使一員 馬超群 人伴四名
管船夥長・直庫二名 鄭志学・惟利航
水梢共に五十五名
右、執照は都通事王秉行等に附し、此れを准けしむ
嘉慶二十年(一八一五)八月十三日
琉球国中山王尚(灝)、護照を給発し以て関津に憑し、以て難人を送らんが事の為にす。
照得したるに、嘉慶十九年十二月二十五日、広東省潮州府澄海県の商民呉利徳等、共に五十八名は、船一隻に駕し、天津府に到り、以て貿易を為す。回郷の時、洋中にて陡かに大風に遇い、本国属地の八重山島に飄入し、礁に衝りて破船す。淹死せる八名を除くの外、現在五十名は、該地方官、救養し護送して国に到る。業経に館に発りて安挿し、例に照らして廩餼・衣服等の項を給与す。
又、嘉慶十九年十一月十五日、朝鮮国八道の内、全羅道人千一得等共に七名は、船一隻に駕し、祭州に往到す。還郷の時、颶風に遇着し、本国属島の太平山島に飄到す。一名は洋に在りて疲死せるを除くの外、現在六名は、該地方官、救養し護送して国に到る。随即に館に発りて安頓し、例に照らして廩餼・衣服等の項を給与す。部文内の奉旨の事理に欽遵し、収養して解送せしめんとす。
茲に特に都通事王秉行等を遣わし、海船一隻に坐駕し、梢役共に六十七員名を率領し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第二百九号の半印勘合の執照一道を給発し、都通事王秉行等に附し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
被風の中国難商、船主呉利徳
舵水 陳利南 蔡光宜 劉其義
陳順利 譚府合 呉利欽
姚典利 陳義合 蔡明合
黄啓合 姚合発 陳英合
譚顕栄 陳振興 揚発利
邱傑存 林廷元 譚顕利
王元文 楊進利 余美利
陳著合 黄志明 邱傑信
林振発 楊吉合 陳順発
蔡乃勤 陳順利 郭佳利
郭佳発 林沢合 李耀珠
陳隆生 楊発士
客人 陳克如 呉桂記 林大奴
陳恊綱 陳見龍 劉猪
王 順 呉江合 李猪合
蔡 報 林廷玉 陳賛
蔡奴仔 江友存
以上、通船共計五十名
被風の朝鮮国難人 千一得 朱甲尹
金有福 金順元 高大福
曹栄周
以上、通船共計六名
護送都通事一員 王秉行 人伴四名
司養贍大使一員 馬超群 人伴四名
管船夥長・直庫二名 鄭志学・惟利航
水梢共に五十五名
右、執照は都通事王秉行等に附し、此れを准けしむ
嘉慶二十年(一八一五)八月十三日