琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-31-28 国王尚永の、万暦十四年派遣の赴京の官員の消息をたずねると共に官生を接回するため使者馬達路等を遣わす執照(一五八八、四、四)
琉球国中山王尚(永)、夷命を保全して以て遠望を慰むる事の為にす。
通事金仕歴の掲稟に拠るに、万暦十四年(一五八六)十一月内、命を奉じて前往し、方物を進貢す。俱に稟に照らして収むる外、例に照らして大夫・使者等の官の梁応等、起送して京に赴き、進貢するを蒙るを准く。通事金仕歴に於ては、摘発して先に回りて国に到る。其の余の人船は梁応の京より回到する日を待候して、一併に開洋し駕して帰□せんとするに、況に本船、限を違えて未だ還らず。料るに必ず船隻の年久しくして朽壊損傷し船の駕して帰る無きか、或いは開洋して行きて中海に至り風を被りて損失せるか、未だ真実を見ず。急ぎて都通事金仕歴を差わし、海船一隻を督駕し、前来して朝貢の官員を接回し、兼ねて歴監の官生鄭週等を接して領回し、国に到りて省親せしむ。先年の事例に比照して、今差わす員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して未便なるを恐る。本国、除外に今、宙字三十九号半印勘合執照を給して都通事金仕歴に付し、収執して前去せしむ。沿海の処所の巡海の哨船の官軍は、如し彼の験実に遇到すれば即便に放行し、阻滞し留難して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
計開
使者三員 馬達路 丹加泥 鄭通
都通事一員 金仕歴
人伴九名
管船火長・直庫二名 陳栄 馬益志
梢水共に九十一名
万暦十六年(一五八八)四月初四日給す
右の執照は都通事金仕歴等に付し、此れに准ぜしむ
夷命を保全して以て/遠望を慰むる事の為にす 執照

注(1)陳栄 生没年不詳。久米村陳氏(仲本家)七世。のち一度は火長、一度は通事として明へ渡る(『家譜(二)』四八九頁)。
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MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

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