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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-25-15 国王尚真の、進貢謝恩のため長史金良等を遣わす符文(一五二三、八、一七)
琉球国中山王尚真、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫鄭縄を遣わし、長史金良等と同に、表文一通を齎捧せしむ。仁字号海船一隻に坐駕して馬一十五匹・硫黄二万斤を装載し、京に赴き進貢し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
長史一員 金良
使者三員 寿達魯 馬南比 嘉満度 通事一員 蔡邃
人伴二十一名
国王附搭の蘇木二千斤・胡椒一千斤
嘉靖二年(一五二三)八月十七日
右の符文は長史金良・通事蔡邃等に付し、此れに准ぜしむ
進貢等の/事の為にす 符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖三年四月壬寅・己未の各条に記事があり、金良は入貢したが、鄭縄は風のために到達できなかったことがわかる。そのため鄭縄は、翌年福建に補貢している(『明実録』嘉靖四年三月戊寅条)。
(1)寿達魯 儀間親雲上真孟。一四九四-一五七七年。首里麻氏(田名家)四世。家譜はこの時の事を宝丸御船の官舎として閩に至ったとする(『家譜(三)』五八一頁)。
(2)蔡邃 生没年不詳。久米村蔡氏(儀間家)五世(『家譜(二)』二五二頁)。
琉球国中山王尚真、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫鄭縄を遣わし、長史金良等と同に、表文一通を齎捧せしむ。仁字号海船一隻に坐駕して馬一十五匹・硫黄二万斤を装載し、京に赴き進貢し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
長史一員 金良
使者三員 寿達魯 馬南比 嘉満度 通事一員 蔡邃
人伴二十一名
国王附搭の蘇木二千斤・胡椒一千斤
嘉靖二年(一五二三)八月十七日
右の符文は長史金良・通事蔡邃等に付し、此れに准ぜしむ
進貢等の/事の為にす 符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖三年四月壬寅・己未の各条に記事があり、金良は入貢したが、鄭縄は風のために到達できなかったことがわかる。そのため鄭縄は、翌年福建に補貢している(『明実録』嘉靖四年三月戊寅条)。
(1)寿達魯 儀間親雲上真孟。一四九四-一五七七年。首里麻氏(田名家)四世。家譜はこの時の事を宝丸御船の官舎として閩に至ったとする(『家譜(三)』五八一頁)。
(2)蔡邃 生没年不詳。久米村蔡氏(儀間家)五世(『家譜(二)』二五二頁)。