琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-01-21 皇帝より国王尚円へ、福州における琉球人の強盗殺人の罪を責め、今後二年一貢とすることを告げる勅諭(一四七五、四、二〇)
皇帝、琉球国中山王尚円に勅諭す。
先に該王の差来せる使者沈満志并びに通事蔡璋等、京に赴き進貢す。已に例に照らして賞賜し、人を差わし、伴送して福建地方に至らしめ打発し登船して去訖る。期せずして、船、外海に到りて風に阻まる。成化十年(一四七四)六月初八日に、本船の姓名不知の番人、潜行して岸に登り、福州府懐安県四都の居民の陳二官夫妻を将て殺死し、房屋を焼毀し、所有の家財・猪・鶏等の物は尽く劫掠を被り、前去する有り。其の鎮守等の官、審べて被害の家の隣右の人等の供報明白なるに拠り実を具して奏聞す。今、王の国の差来せる正議大夫程鵬等の回還するに因り、特に勅を降して省諭す。勅至らば、王宜しく蔡璋等の鈐束を行わざるの罪を責問し、并びに殺人し放火し行兇せる番人を追究して法に依りて懲治すべし。今後、二年一貢し、毎船止だ一百人多くも一百五十人を過ぎざるを許すのみ。国王の正貢を除くの外、例に照らして、胡椒等の物を附搭するを許すも、其の余の正副使人等、私貨を夾帯して前来して買売し、及び途に在りて事を生じ、平民を擾害し、官府を打攪し、国王の忠順の意に累有らしむるを許さず。王、其れ之を省みよ、之を省みよ。故に諭す。
広運
成化十一年(一四七五)四月二十日
之宝

注*この勅諭は『明実録』成化十一年四月戊子の条にある。これに対する琉球側の回答の文書は〔一二-二一〕。又、この事件と、尚円の即位事情との関連について論じたものに、冨村真演「尚円考」『琉大法文学部紀要、史学地理学篇』一八、昭和五〇年、同「尚円即位の考察」『南島史学』九、一九七六年がある。
(1)沈満志 この入貢について『明実録』成化十年四月丙辰の条に記事がある。
(2)蔡璋 一四四五-一五〇四年。久米村蔡氏の三世。この事件後も進貢に通事をつとめ、長史にまで陞った(『家譜(二)』二四八頁)。
(3)伴送 外国の使節が来貢した時、官員を派遣して京師への往復につきそわせること。琉球の場合は通例として往路は福建の武官、復路は鴻臚寺序班がその任に当った。
(4)打発 行かせる、派遺する。
(5)番人 外国人。ここでは琉球人。
(6)懐安県四都 福州府に属する県で万暦七年に侯官県に併入され、現、閩侯県付近。都は宋代の保甲法による行政区画のなごりで、明代には集落名に化している。
(7)前去 行く、行ってしまう、出向く。また文書用語としての前去は〔〇五-〇六〕注(8)参照。
(8)供報 供述書。
(9)正議大夫 『歴代宝案』第一集における正議大夫は成化元年(一四六五)の程鵬が初出〔一二-一九〕〔一七-一六〕で、『明実録』はそれ以降である。通常の進貢の際の正使に任じた。康煕二年、紫金大夫が現れるまで久米村系進貢職の最高位で、二員を定員としたようである。弘治十四年(一五〇一)の朝鮮の記録に言及されている(〔〇一-一七〕注(1)長史を参照)。清代については序、注(16)を参照。
(10)程鵬 生没年不詳。一四三九年から八七年までの間に、初めは通事として、のちには正議大夫として入貢は十三回に及んだ(『大百科』)。
(11)省諭 反省を促すための勅諭。
(12)鈐束 厳重に取り締まる。
(13)打攪 邪魔する。
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