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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-02-15 福王朱由崧の、崇禎帝と皇后に謚と廟号を奉る詔(一六四四、六、□)
奉天承運の皇帝、詔して曰く、昊天降割して竜馭の遐かに升るを悲しみ、聖徳崇隆にして鴻称の允に協うを惟う。制もて既に□□□□□謹んで称天を上る。洪いに惟うに、我が大行皇帝、億兆の人を撫し、十□□を踰ゆ。□□□□□堯の欽明あり、菲食悪衣し、神□竜飛するや、邸を伐ち、即ち従容として恭顕の奸を定め、□□□□□門、更に指揮して方召の績を成す。祗んで廟に事え、対越して必ず虔み、壇林に歩禱すれば滂沱として立に応ず。時に撤懸して減膳し、歳々蠲租して省刑す。善を聞けば必ず行い、沛いなること江河の決する若し。幽きの燭らさざるは無く、烱らかなること日月の明の如し。龐恩は懿親に茂展し、叡慮は牧吏に弥々周し。六官は戈綈の倹き有り。一夜として釈巻するの時無し。功既に巍巍たり、徳も亦た蕩蕩たり。上は以て姚姒に方輈す可く、下は以て高光を跨跡す可し。然れども猶お朽索を馭して以て兢々として懐い、宵衣を攬りて惕れ慮る。賢を求むること渇くが若し、奉国は以て従うに難からず。民を視ること傷むが如し、何ぞ止だ推心して置くのみならんや。三代より以来、聖武仁倹なること未だ先帝の如き者有らざるなり。
大行皇后は、徳は皇英に儷び、徽は任姒に侔し。先に潜邸に嬪たりと曰い、旋りて中宮に正位す。簪珥の箴に殷勤にして、蚕糸の職を斉え栗む。濯竜に申ねて誡むれば、外戚は驕奢に敗るる罔く、詵羽もて仁を垂るれば、内庭は僉其の楽愷を頌う。彤史は雎洲の徳を著し星軒は麟趾の祥を衍ぶ。式穀の訓、威如たり、服繒の風、允に若う。三代より以来、温恭淑慎なること未だ先后の如き者有らざるなり。
廼ち、天心測る不し、邦禍忽ち臻り、六位嘗を乱し、三光序を失う。先皇帝、越三超五の聖徳を以て国に殉じて上賓す。先皇后、俔天応地の母儀を以て、竜に従い掩い照らす。哀として中夏を纒め、憤として敷天を結ぐ。従来守成の主、此の奇凶に際うを聞かず。多難の邦を歴観するも、未だ嘗て茲の惨烈を見ず。蒼梧天遠し、霊馭に攀れるは何の繇を以てなりや。金栗雲深し、叡顔を望めども安くに在りや。然うして日月薄蝕するとも、二曜の徳は自ら昭らかなり。陰陽愆違えども、両儀の功は掩れず。況んや患難の際に当り、惟だ百姓の惓るるあり、崩逝の時、猶お凶荒の惻惻たるをや。茲を以て怙冒の聖、曷ぞ悲慕の情に勝えんや。
其れ大行皇帝に尊謚を上って紹天繹道剛明恪倹揆文奮武敦仁懋孝烈皇帝と曰い、廟号は思宗とす。大行皇后の尊謚は孝節貞粛淵恭荘毅奉天靖聖烈皇后と曰う。鳴呼、哀思して展礼し、一人は追祀の忱を崇くし、徳を表し徽を揚げ、万国は帰尊の願を企つ。尚わくは挙朝嘗胆し、率土、戈に枕するを期せよ。思いて益々思う、国讐を俘えて宗廟に陳べ、烈に烈を成すを以てし、神京に復りて簴鍾を奠めん。詔して中外に告げ、咸く聞知せしむ。
皇帝
尊親
崇禎十七年(一六四四)六月 日
之宝
注*本文書は南明の福王朱由崧(弘光帝)が発した崇禎帝と皇后への謚詔で、〔〇二-一六〕〔〇二-一七〕とともに崇禎十七年七月に班行され(李清撰『南渡録』同年七月壬辰の条)、翌年に琉球へもたらされたと思われる(〔〇八-二四〕参照)。
(1)昊天降割 昊天は天、降割は災をくだす。
(2)菲食 粗食。
(3)竜飛 天子の位につく。
(4)邸を伐ち…恭顕の奸を定め 恭顕は漢代の宦官弘恭と石顕。崇禎帝が即位後に宦官の魏忠賢一派を粛清したことをさす。
(5)方召 周の宣王の臣の方叔と召虎。王命により蛮夷を平定した。
(6)対越 天地神明に答える。
(7)壇林に歩禱 禅林に徒歩で詣でて祈願する。
(8)撤懸して減膳 懸は鐘かけ。撤楽減膳に同じ。無駄を省きぜいたくをやめて、気持ちをひきしめる。
(9)龐恩 高大な恩。
(10)懿親 美しい情愛のある親族関係。
(11)牧吏 地方官。
(12)戈綈 黒色のつむぎ。
(13)釈巻 本を手からはなして置く。
(14)姚姒に方輈す 姚姒は舜と禹の姓。方輈はくるまを並べる。舜・禹に匹敵する意。
(15)高光を跨跡す 高光は前漢の高祖と後漢の光武帝。跨跡はふみこえる。
(16)朽索を馭す くちた縄で馬を駆る。甚だ困難で危険なたとえ。
(17)推心 誠心をうつしおく。人を信じ誠意をもって交わること。
(18)皇英 娥皇と女英。堯の娘で舜の妃となった。
(19)任姒 大任と大姒。大任は周の文王の母、大姒は武王の母。ともに賢母であった。徽は美しいこと。
(20)潜邸に嬪たり 潜邸は天子が即位する前に居た邸。〔〇二-〇九〕参照。嬪は側女。
(21)簪珥の箴 周の宣王の夫人姜后がこうがいと耳飾りをはずして、王に政事をかえりみるよう諫めた故事。
(22)濯竜 洛陽城中にあった園の名。後漢の明帝の馬后が養蚕を行った所。馬后は自分の一族を優遇することを許さなかった。
(23)詵羽 后妃が互いに嫉妬せず、子孫が多いこと。
(24)彤史 宮中の政令・后妃の事を記す女官。
(25)雎洲 夫婦の道が行われ、家庭がよく修まること。
(26)星軒 星の名。軒轅星。皇后・妃の象。
(27)威如 威厳あるさま。
(28)服繒 繒は絹の総称。服練の誤用で、馬后が質素な練(ねりぎぬ、文様がない)の衣服を用いた故事のことか。
(29)六位 易の六つの卦爻。天地人の三道にかたどる。
(30)三光 日・月・星。
(31)越三超五 三五は三皇五帝をさす。
(32)俔天応地の母儀 俔天は天の妹にもたとうべき美しい人(前注(19)の大姒をさす)。応地は未詳。母儀は人の母たる者の手本。
(33)竜 帝王。
(34)守成 先君の成法を守る。
(35)蒼梧 湖南省寧遠県。舜帝が崩じたとされる所。
(36)金栗 不詳。あるいは金粟の誤りか。金粟山には唐の玄宗皇帝陵がある。
(37)二曜 日月。
(38)両儀 天地。
(39)凶荒 飢饉。
(40)思宗 翌年の弘光元年二月に毅宗と改められた(『南渡録』同年同月丙子の条)。
(41)神京 京師。ここでは北京。
(42)簴鍾 鐘と鐘かけの柱。祖先を祭る意か。
奉天承運の皇帝、詔して曰く、昊天降割して竜馭の遐かに升るを悲しみ、聖徳崇隆にして鴻称の允に協うを惟う。制もて既に□□□□□謹んで称天を上る。洪いに惟うに、我が大行皇帝、億兆の人を撫し、十□□を踰ゆ。□□□□□堯の欽明あり、菲食悪衣し、神□竜飛するや、邸を伐ち、即ち従容として恭顕の奸を定め、□□□□□門、更に指揮して方召の績を成す。祗んで廟に事え、対越して必ず虔み、壇林に歩禱すれば滂沱として立に応ず。時に撤懸して減膳し、歳々蠲租して省刑す。善を聞けば必ず行い、沛いなること江河の決する若し。幽きの燭らさざるは無く、烱らかなること日月の明の如し。龐恩は懿親に茂展し、叡慮は牧吏に弥々周し。六官は戈綈の倹き有り。一夜として釈巻するの時無し。功既に巍巍たり、徳も亦た蕩蕩たり。上は以て姚姒に方輈す可く、下は以て高光を跨跡す可し。然れども猶お朽索を馭して以て兢々として懐い、宵衣を攬りて惕れ慮る。賢を求むること渇くが若し、奉国は以て従うに難からず。民を視ること傷むが如し、何ぞ止だ推心して置くのみならんや。三代より以来、聖武仁倹なること未だ先帝の如き者有らざるなり。
大行皇后は、徳は皇英に儷び、徽は任姒に侔し。先に潜邸に嬪たりと曰い、旋りて中宮に正位す。簪珥の箴に殷勤にして、蚕糸の職を斉え栗む。濯竜に申ねて誡むれば、外戚は驕奢に敗るる罔く、詵羽もて仁を垂るれば、内庭は僉其の楽愷を頌う。彤史は雎洲の徳を著し星軒は麟趾の祥を衍ぶ。式穀の訓、威如たり、服繒の風、允に若う。三代より以来、温恭淑慎なること未だ先后の如き者有らざるなり。
廼ち、天心測る不し、邦禍忽ち臻り、六位嘗を乱し、三光序を失う。先皇帝、越三超五の聖徳を以て国に殉じて上賓す。先皇后、俔天応地の母儀を以て、竜に従い掩い照らす。哀として中夏を纒め、憤として敷天を結ぐ。従来守成の主、此の奇凶に際うを聞かず。多難の邦を歴観するも、未だ嘗て茲の惨烈を見ず。蒼梧天遠し、霊馭に攀れるは何の繇を以てなりや。金栗雲深し、叡顔を望めども安くに在りや。然うして日月薄蝕するとも、二曜の徳は自ら昭らかなり。陰陽愆違えども、両儀の功は掩れず。況んや患難の際に当り、惟だ百姓の惓るるあり、崩逝の時、猶お凶荒の惻惻たるをや。茲を以て怙冒の聖、曷ぞ悲慕の情に勝えんや。
其れ大行皇帝に尊謚を上って紹天繹道剛明恪倹揆文奮武敦仁懋孝烈皇帝と曰い、廟号は思宗とす。大行皇后の尊謚は孝節貞粛淵恭荘毅奉天靖聖烈皇后と曰う。鳴呼、哀思して展礼し、一人は追祀の忱を崇くし、徳を表し徽を揚げ、万国は帰尊の願を企つ。尚わくは挙朝嘗胆し、率土、戈に枕するを期せよ。思いて益々思う、国讐を俘えて宗廟に陳べ、烈に烈を成すを以てし、神京に復りて簴鍾を奠めん。詔して中外に告げ、咸く聞知せしむ。
皇帝
尊親
崇禎十七年(一六四四)六月 日
之宝
注*本文書は南明の福王朱由崧(弘光帝)が発した崇禎帝と皇后への謚詔で、〔〇二-一六〕〔〇二-一七〕とともに崇禎十七年七月に班行され(李清撰『南渡録』同年七月壬辰の条)、翌年に琉球へもたらされたと思われる(〔〇八-二四〕参照)。
(1)昊天降割 昊天は天、降割は災をくだす。
(2)菲食 粗食。
(3)竜飛 天子の位につく。
(4)邸を伐ち…恭顕の奸を定め 恭顕は漢代の宦官弘恭と石顕。崇禎帝が即位後に宦官の魏忠賢一派を粛清したことをさす。
(5)方召 周の宣王の臣の方叔と召虎。王命により蛮夷を平定した。
(6)対越 天地神明に答える。
(7)壇林に歩禱 禅林に徒歩で詣でて祈願する。
(8)撤懸して減膳 懸は鐘かけ。撤楽減膳に同じ。無駄を省きぜいたくをやめて、気持ちをひきしめる。
(9)龐恩 高大な恩。
(10)懿親 美しい情愛のある親族関係。
(11)牧吏 地方官。
(12)戈綈 黒色のつむぎ。
(13)釈巻 本を手からはなして置く。
(14)姚姒に方輈す 姚姒は舜と禹の姓。方輈はくるまを並べる。舜・禹に匹敵する意。
(15)高光を跨跡す 高光は前漢の高祖と後漢の光武帝。跨跡はふみこえる。
(16)朽索を馭す くちた縄で馬を駆る。甚だ困難で危険なたとえ。
(17)推心 誠心をうつしおく。人を信じ誠意をもって交わること。
(18)皇英 娥皇と女英。堯の娘で舜の妃となった。
(19)任姒 大任と大姒。大任は周の文王の母、大姒は武王の母。ともに賢母であった。徽は美しいこと。
(20)潜邸に嬪たり 潜邸は天子が即位する前に居た邸。〔〇二-〇九〕参照。嬪は側女。
(21)簪珥の箴 周の宣王の夫人姜后がこうがいと耳飾りをはずして、王に政事をかえりみるよう諫めた故事。
(22)濯竜 洛陽城中にあった園の名。後漢の明帝の馬后が養蚕を行った所。馬后は自分の一族を優遇することを許さなかった。
(23)詵羽 后妃が互いに嫉妬せず、子孫が多いこと。
(24)彤史 宮中の政令・后妃の事を記す女官。
(25)雎洲 夫婦の道が行われ、家庭がよく修まること。
(26)星軒 星の名。軒轅星。皇后・妃の象。
(27)威如 威厳あるさま。
(28)服繒 繒は絹の総称。服練の誤用で、馬后が質素な練(ねりぎぬ、文様がない)の衣服を用いた故事のことか。
(29)六位 易の六つの卦爻。天地人の三道にかたどる。
(30)三光 日・月・星。
(31)越三超五 三五は三皇五帝をさす。
(32)俔天応地の母儀 俔天は天の妹にもたとうべき美しい人(前注(19)の大姒をさす)。応地は未詳。母儀は人の母たる者の手本。
(33)竜 帝王。
(34)守成 先君の成法を守る。
(35)蒼梧 湖南省寧遠県。舜帝が崩じたとされる所。
(36)金栗 不詳。あるいは金粟の誤りか。金粟山には唐の玄宗皇帝陵がある。
(37)二曜 日月。
(38)両儀 天地。
(39)凶荒 飢饉。
(40)思宗 翌年の弘光元年二月に毅宗と改められた(『南渡録』同年同月丙子の条)。
(41)神京 京師。ここでは北京。
(42)簴鍾 鐘と鐘かけの柱。祖先を祭る意か。