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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-14-08 国王尚敬の、進貢のため耳目官毛徤元等を遣わすむねの符文(一七二四、一〇、□)
琉球国中山王尚(敬)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐す。貢典に遵依して二年に一貢す。欽遵して案に在り。査するに、雍正二年、乃ち当に進貢すべきの期なり。特に耳目官毛徤元・正議大夫蔡淵・都通事紅士顕等を遣わして、表・咨を齎捧し、海船二隻に坐駕して官伴・水梢共に二百員名を過ぎざるを率領せしむ。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は礼字第五号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は礼字第六号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第四号半印勘合の符文を給して都通事紅士顕等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使耳目官一員 毛徤元 人伴一十二名
副使正議大夫一員 蔡淵 人伴一十二名
都通事一員 紅士顕 人伴七名
在船都通事二員 金声/蔡墉 人伴八名
在船使者四員 向明良 童咸熙/東国柱 楊天祥 人伴一十六名
存留通事一員 蔡培 人伴六名
在船通事一員 陳継宗 人伴四名
管船火長・直庫四名 阮為模 陳志広/陳以樛 司得功
右の符文は都通事紅士顕等に付す。此れを准ず
雍正二年(一七二四)十月 日給す
注(1)蔡培 一六九〇-一七六二年。久米村蔡氏(儀間家)十二世。この時、福建に三年滞在したほか、康煕年間にも福建で学習する。官は紫金大夫に陞る(『家譜(二)』二七九頁)。
琉球国中山王尚(敬)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐す。貢典に遵依して二年に一貢す。欽遵して案に在り。査するに、雍正二年、乃ち当に進貢すべきの期なり。特に耳目官毛徤元・正議大夫蔡淵・都通事紅士顕等を遣わして、表・咨を齎捧し、海船二隻に坐駕して官伴・水梢共に二百員名を過ぎざるを率領せしむ。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は礼字第五号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は礼字第六号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第四号半印勘合の符文を給して都通事紅士顕等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使耳目官一員 毛徤元 人伴一十二名
副使正議大夫一員 蔡淵 人伴一十二名
都通事一員 紅士顕 人伴七名
在船都通事二員 金声/蔡墉 人伴八名
在船使者四員 向明良 童咸熙/東国柱 楊天祥 人伴一十六名
存留通事一員 蔡培 人伴六名
在船通事一員 陳継宗 人伴四名
管船火長・直庫四名 阮為模 陳志広/陳以樛 司得功
右の符文は都通事紅士顕等に付す。此れを准ず
雍正二年(一七二四)十月 日給す
注(1)蔡培 一六九〇-一七六二年。久米村蔡氏(儀間家)十二世。この時、福建に三年滞在したほか、康煕年間にも福建で学習する。官は紫金大夫に陞る(『家譜(二)』二七九頁)。