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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-104-29 国王尚灝の、冊封謝恩のため、法司王舅毛光国等を派遣するむねの符文(嘉慶十三《一八〇八》、九、十三)
琉球国中山王尚(灝)、天恩に恭謝する事の為にす。
切照するに、嘉慶十三年に欽差の正使翰林院編修斉(鯤)・副使工科給事中費(錫章)、詔勅を恭捧して敝国に賁臨し、詔勅を宣読して王爵を授封するを蒙る。盛典、已に行われ、例として官を遣わして土儀を具し、京に赴きて謝恩する有り。此れが為に特に正使法司王舅毛光国・副使紫金大夫鄭章観・使者毛維新・都通事鄭嘉訓等を遣わし、表章を齎捧し、海船一隻に坐駕し、官伴・水梢一百四十三員名を率領するの外、護送の官伴・水梢三十三員名、共計一百七十六員名有り。土儀の金鶴形一対―鶴踏銀岩座各全・盔甲一領―護手護膁各全・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘鍍金銅結束腰刀二十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束鎗一十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束袞刀一十把・黒漆洒金馬鞍一坐―轡銜絡頭前後牽鞧屧脊障坭鐙倶全・金彩画囲屏二対・精製雅扇五百把・土糸綿二百束・練蕉布三百疋・土苧布一百疋・白剛錫五百觔・紅銅五百觔を装載し、前来して京に赴き天恩に恭謝せんとす。
拠りて今差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発し、以て通行に便ならしむべし。此れが為に、王府の礼字第一百八十八号の半印勘合符文を給し、都通事鄭嘉訓等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得ること毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
正使法司王舅一員 毛光国 人伴二十五名
副使紫金大夫一員 鄭章観 人伴一十七名
使者一員 毛維新 人伴七名
都通事一員 鄭嘉訓 人伴六名
護送都通事一員 蔡肇基 人伴四名
在船使者二員 向思礼/愈新 人伴八名
存留通事一員 楊式梁 人伴六名
王舅大夫随帯通事二員 金文和/蔡世豪 人伴五名
管船火長・直庫二員 林家榕 慶賜福
外に、護送直庫の善開基・仲喜の二名有り
水梢共に五十八名
外に、護送の水梢二十六名有り
右の符文は都通事鄭嘉訓等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十三年(一八〇八)九月十三日
注(1)向思礼 嘉慶十三年の在船使者。
(2)斉愈新 嘉慶十三年の在船使者。
(3)楊式梁 嘉慶十三年の存留通事。
(4)林家榕 嘉慶十三年の管船火長。
(5)仲喜 嘉慶十三年の護送直庫。
琉球国中山王尚(灝)、天恩に恭謝する事の為にす。
切照するに、嘉慶十三年に欽差の正使翰林院編修斉(鯤)・副使工科給事中費(錫章)、詔勅を恭捧して敝国に賁臨し、詔勅を宣読して王爵を授封するを蒙る。盛典、已に行われ、例として官を遣わして土儀を具し、京に赴きて謝恩する有り。此れが為に特に正使法司王舅毛光国・副使紫金大夫鄭章観・使者毛維新・都通事鄭嘉訓等を遣わし、表章を齎捧し、海船一隻に坐駕し、官伴・水梢一百四十三員名を率領するの外、護送の官伴・水梢三十三員名、共計一百七十六員名有り。土儀の金鶴形一対―鶴踏銀岩座各全・盔甲一領―護手護膁各全・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘鍍金銅結束腰刀二十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束鎗一十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束袞刀一十把・黒漆洒金馬鞍一坐―轡銜絡頭前後牽鞧屧脊障坭鐙倶全・金彩画囲屏二対・精製雅扇五百把・土糸綿二百束・練蕉布三百疋・土苧布一百疋・白剛錫五百觔・紅銅五百觔を装載し、前来して京に赴き天恩に恭謝せんとす。
拠りて今差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発し、以て通行に便ならしむべし。此れが為に、王府の礼字第一百八十八号の半印勘合符文を給し、都通事鄭嘉訓等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得ること毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
正使法司王舅一員 毛光国 人伴二十五名
副使紫金大夫一員 鄭章観 人伴一十七名
使者一員 毛維新 人伴七名
都通事一員 鄭嘉訓 人伴六名
護送都通事一員 蔡肇基 人伴四名
在船使者二員 向思礼/愈新 人伴八名
存留通事一員 楊式梁 人伴六名
王舅大夫随帯通事二員 金文和/蔡世豪 人伴五名
管船火長・直庫二員 林家榕 慶賜福
外に、護送直庫の善開基・仲喜の二名有り
水梢共に五十八名
外に、護送の水梢二十六名有り
右の符文は都通事鄭嘉訓等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十三年(一八〇八)九月十三日
注(1)向思礼 嘉慶十三年の在船使者。
(2)斉愈新 嘉慶十三年の在船使者。
(3)楊式梁 嘉慶十三年の存留通事。
(4)林家榕 嘉慶十三年の管船火長。
(5)仲喜 嘉慶十三年の護送直庫。