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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-10 世子尚寧の、進貢謝恩と請封のため長史鄭道等を遣わす符文(一五九九、二、二七)
琉球国中山王世子尚(寧)、進貢、謝恩、請封等の事の為にす。
今、特に長史・使者・通事等の官の鄭道等を遣わし、表文一通を齎捧せしむ。小船一隻に坐駕し、馬四匹・硫黄一万斤・黒漆鞘沙魚皮靶腰刀二十把・紅漆鞘黒漆靶鍍金銅結束鎗一十柄・線穿鉄甲二領、頭盔全・細嫩土夏布二十匹・花螺一百個・海螺二千個を装載し、齎して礼部に赴き告稟して進収せしむる外、今、洪字第十九号半印勘合符文を給して前去せしむ。沿途の経過の各該地方の関津把隘の去処及び駅逓・巡司等の衙門の官吏は、往廻して彼に到らば、即便に放行し、留難して便ならざるを得しむる毋れ。須らく出給に至るべき者なり。
計開 赴京の
長史一員 鄭道 人伴一十名
使者一員 兪美玉 人伴五名
都通事一員 蔡朝信 人伴三名
存留在船使者二員 陳国良 毛喜 人伴四名
存留在船通事一員 梁基 人伴二名
貢謝の方物を除くの外、附搭の土夏布二百匹
右の符文は都通事蔡朝信等に付し、此れに准ぜしむ
万暦二十七年(一五九九)二月二十七日給す
進貢謝恩請封等の/事の為にす 符文
注*『明実録』万暦二十七年十二月甲申の条に関連の記事がある。
(1)兪美玉 加賀寿親雲上重光。一五五九-一六一二年。那覇兪氏(根路銘家)二世(『家譜(四)』四九七頁)。
(2)蔡朝信 一五五一-一六〇八年。屋良通事親雲上。久米村蔡氏(儀間家)七世(『家譜(二)』二五七頁)。
(3)梁基 一五六五-一六〇四年。神谷通事親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)五世(『家譜(二)』七六三頁)。
琉球国中山王世子尚(寧)、進貢、謝恩、請封等の事の為にす。
今、特に長史・使者・通事等の官の鄭道等を遣わし、表文一通を齎捧せしむ。小船一隻に坐駕し、馬四匹・硫黄一万斤・黒漆鞘沙魚皮靶腰刀二十把・紅漆鞘黒漆靶鍍金銅結束鎗一十柄・線穿鉄甲二領、頭盔全・細嫩土夏布二十匹・花螺一百個・海螺二千個を装載し、齎して礼部に赴き告稟して進収せしむる外、今、洪字第十九号半印勘合符文を給して前去せしむ。沿途の経過の各該地方の関津把隘の去処及び駅逓・巡司等の衙門の官吏は、往廻して彼に到らば、即便に放行し、留難して便ならざるを得しむる毋れ。須らく出給に至るべき者なり。
計開 赴京の
長史一員 鄭道 人伴一十名
使者一員 兪美玉 人伴五名
都通事一員 蔡朝信 人伴三名
存留在船使者二員 陳国良 毛喜 人伴四名
存留在船通事一員 梁基 人伴二名
貢謝の方物を除くの外、附搭の土夏布二百匹
右の符文は都通事蔡朝信等に付し、此れに准ぜしむ
万暦二十七年(一五九九)二月二十七日給す
進貢謝恩請封等の/事の為にす 符文
注*『明実録』万暦二十七年十二月甲申の条に関連の記事がある。
(1)兪美玉 加賀寿親雲上重光。一五五九-一六一二年。那覇兪氏(根路銘家)二世(『家譜(四)』四九七頁)。
(2)蔡朝信 一五五一-一六〇八年。屋良通事親雲上。久米村蔡氏(儀間家)七世(『家譜(二)』二五七頁)。
(3)梁基 一五六五-一六〇四年。神谷通事親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)五世(『家譜(二)』七六三頁)。