{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
1-27-16 国王尚貞の、進貢のため耳目官温允傑等を遣わす符文(一六九〇、一〇、一一)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
旨の二年一貢を奉じ、欽遵せるは案に在り。査照するに、康煕二十九年(一六九〇)は貢に当るの期なれば敢えて愆越せず。此の為に、特に耳目官温允傑・正議大夫金元達・都通事鄭職良等の官を遣わし、表・咨を齎捧して前来し進貢せしむ。因りて海船二隻を備えて水梢を率領するに、毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百斤・海螺殻三千個・紅銅三千斤を解運して福建等処承宣布政使司に前赴して投納し、京に赴く。
拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府、今、義字第四十八号半印勘合符文を給して都通事鄭職良等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
耳目官一員 温允傑 人伴一十三名
正議大夫一員 金元達 人伴一十三名
都通事一員 鄭職良 人伴六名
在船都通事二員 林茂豊 魏士哲 人伴八名
在船使者四員 戴守敬 方宏宗 牛秉孝 鳳儀時 人伴一十六名
存留通事一員 蔡肇功 人伴六名
在船通事一員 蔡炳 人伴四名
管船火長・直庫四名 毛彩 阮廷章 王可喜 丙起才
右の符文は都通事鄭職良等に付し、此れに准ぜしむ
康煕二十九年(一六九〇)十月十一日給す
注*この進貢については『清実録』康煕三十年九月癸丑の条に記事がある。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
旨の二年一貢を奉じ、欽遵せるは案に在り。査照するに、康煕二十九年(一六九〇)は貢に当るの期なれば敢えて愆越せず。此の為に、特に耳目官温允傑・正議大夫金元達・都通事鄭職良等の官を遣わし、表・咨を齎捧して前来し進貢せしむ。因りて海船二隻を備えて水梢を率領するに、毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百斤・海螺殻三千個・紅銅三千斤を解運して福建等処承宣布政使司に前赴して投納し、京に赴く。
拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府、今、義字第四十八号半印勘合符文を給して都通事鄭職良等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
耳目官一員 温允傑 人伴一十三名
正議大夫一員 金元達 人伴一十三名
都通事一員 鄭職良 人伴六名
在船都通事二員 林茂豊 魏士哲 人伴八名
在船使者四員 戴守敬 方宏宗 牛秉孝 鳳儀時 人伴一十六名
存留通事一員 蔡肇功 人伴六名
在船通事一員 蔡炳 人伴四名
管船火長・直庫四名 毛彩 阮廷章 王可喜 丙起才
右の符文は都通事鄭職良等に付し、此れに准ぜしむ
康煕二十九年(一六九〇)十月十一日給す
注*この進貢については『清実録』康煕三十年九月癸丑の条に記事がある。