歴代宝案訳注本2-37-12 世子尚穆の、乾隆二十年の接貢のため耳目官毛元翼等を派遣するむねの執照(乾隆二十《一七五五》、十、二十七)
資料詳細
- 資料ID.
- y1744
- 資料種別
- 歴代宝案訳注本
- 資料名
- 歴代宝案訳注本第5冊
- 歴代宝案巻号
- 2集 037巻 12号
- 著者等
- 生田滋(訳注)
- タイトル
- 2-37-12 世子尚穆の、乾隆二十年の接貢のため耳目官毛元翼等を派遣するむねの執照(乾隆二十《一七五五》、十、二十七)
- 中国暦
- 乾隆20年 10月 27日
- 西暦
- 1755年 11月 30日
- 曜日
- 差出
- 【琉球】中山王(尚穆)
- 宛先
- 文書形式
- 執照
- 書誌情報
- 生田滋(訳注)、沖縄県教育庁文化財課史料編集班(編)『歴代宝案 訳注本第5冊』沖縄県教育委員会、2013年
- 関連サイト情報
- 訂正履歴
- 備考
- ・本資料はCC BY-NDライセンスによって許諾されています。ライセンスの内容を知りたい方はhttps://creativecommons.org/licenses/by-nd/4.0/deed.jaでご確認ください。
テキスト
2-37-12 世子尚穆の、乾隆二十年の接貢のため耳目官毛元翼等を派遣するむねの執照(乾隆二十《一七五五》、十、二十七)
琉球国中山王世子尚(穆)、進貢の官員を接回する事の為にす。
照得するに、乾隆十九年冬、特に耳目官毛元翼・正議大夫蔡宏謨等を遣わし、表文・方物を齎捧し、官伴・水梢を率領し、船二隻に駕して閩に来る。已経に福建等処承宣布政使司に移咨して起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす、等の因、案に在り。
今、旧例に遵いて特に都通事鄭秉和等を遣わし、官伴・水梢共に八十五員名を率領し、海船一隻に坐駕して福建に前来し、皇上の勅書併びに欽賜の物件及び京より回る貢使毛元翼・蔡宏謨・存留官楊文彬等を恭接す。所拠の差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に執照を給発し、以て通行に便ならしむべし。
今、王府、礼字第六十八号の半印勘合の執照を給し、存留通事毛景成等に附して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 鄭秉和 跟伴四名
在船使者 二員 姚鴻緒/翁文修 跟伴八名
存留通事 一員 毛景成 跟伴六名
管船夥長・直庫 二名 梁廷輔 陳得安
水梢共に六十一名
右の執照は、存留通事毛景成等に附し、此れを准ず
乾隆二十年十月二十七日 給す
注(1)毛景成 許田親雲上(鄭国枢の譜、『家譜(二)』五八一頁)。 『宝案』では他に乾隆二十年の存留通事、二十九年の在船都通 事、三十三年の朝京都通事、三十七年の正議大夫として名がみえる。
(2)梁廷輔 国吉里之子親雲上(鄭展猷の譜、『家譜(二)』六八四頁)。『宝案』では他に乾隆三十五年の在船通事、四十九年の在船都通事として名がみえる。
琉球国中山王世子尚(穆)、進貢の官員を接回する事の為にす。
照得するに、乾隆十九年冬、特に耳目官毛元翼・正議大夫蔡宏謨等を遣わし、表文・方物を齎捧し、官伴・水梢を率領し、船二隻に駕して閩に来る。已経に福建等処承宣布政使司に移咨して起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす、等の因、案に在り。
今、旧例に遵いて特に都通事鄭秉和等を遣わし、官伴・水梢共に八十五員名を率領し、海船一隻に坐駕して福建に前来し、皇上の勅書併びに欽賜の物件及び京より回る貢使毛元翼・蔡宏謨・存留官楊文彬等を恭接す。所拠の差去せる員役は、並えて文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に執照を給発し、以て通行に便ならしむべし。
今、王府、礼字第六十八号の半印勘合の執照を給し、存留通事毛景成等に附して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 鄭秉和 跟伴四名
在船使者 二員 姚鴻緒/翁文修 跟伴八名
存留通事 一員 毛景成 跟伴六名
管船夥長・直庫 二名 梁廷輔 陳得安
水梢共に六十一名
右の執照は、存留通事毛景成等に附し、此れを准ず
乾隆二十年十月二十七日 給す
注(1)毛景成 許田親雲上(鄭国枢の譜、『家譜(二)』五八一頁)。 『宝案』では他に乾隆二十年の存留通事、二十九年の在船都通 事、三十三年の朝京都通事、三十七年の正議大夫として名がみえる。
(2)梁廷輔 国吉里之子親雲上(鄭展猷の譜、『家譜(二)』六八四頁)。『宝案』では他に乾隆三十五年の在船通事、四十九年の在船都通事として名がみえる。
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