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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
3-04-05 琉球国中山王世子尚泰より関係当局あて、咸豊十一年の接貢船の派遣に当たり、便宜を図られたき旨、梁得功等に付した執照(咸豊十一《一八六一》、八、二)
琉球国中山王世子尚(泰)、恭しく勅書を迎え、併びに使臣を接回する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は業に咸豊十年秋に於て耳目官の向志道・正議大夫の鄭徳潤等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢せしめ、業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き、叩きて聖禧を祝らしめて案に在り。
茲に国に還るの期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事の毛嘉桐等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領せしめ、海船一隻に坐駕して前みて福建に至り、恭しく皇上の勅書・欽賜の物件を迎え、併びに京より回るの使臣の向志道・鄭徳潤、都通事の毛発栄を接り、閩に在るの存留通事の蔡大鼎等と与に国に還らしめんとす。
但だ、差わす所の員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第三百二十三号半印勘合の執照一道を給発して存留通事の梁得功等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海の巡哨官軍は験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開す。
在船都通事一員 毛嘉桐 人伴四名
在船使者二員 麻徳濡毛廷鋐 人伴八名
存留通事一員 梁得功 人伴六名
管船夥長・直庫二名 陳作桂 内克秀
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事梁得功等に付す。此れに准ぜられよ
咸豊十一年(一八六一)八月初二日
注*語注は〔三―〇二―〇四〕参照。
(1)梁得功 久米村系梁氏。咸豊十一年の存留通事。同治三年の結状(〔三―一〇―一七〕)では長史、富山通事親方として名がみえる。
(2)麻徳濡 当山親雲上(『毛姓家譜 支流』毛嘉桐の譜)。首里系麻氏。咸豊十一年接貢船の在船使者。
(3)毛廷鋐 首里系毛氏。咸豊十一年接貢船の在船使者。
(4)陳作桂 咸豊十一年接貢船の管船夥長。
(5)内克秀 咸豊十一年接貢船の管船直庫。
琉球国中山王世子尚(泰)、恭しく勅書を迎え、併びに使臣を接回する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は業に咸豊十年秋に於て耳目官の向志道・正議大夫の鄭徳潤等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢せしめ、業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き、叩きて聖禧を祝らしめて案に在り。
茲に国に還るの期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事の毛嘉桐等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領せしめ、海船一隻に坐駕して前みて福建に至り、恭しく皇上の勅書・欽賜の物件を迎え、併びに京より回るの使臣の向志道・鄭徳潤、都通事の毛発栄を接り、閩に在るの存留通事の蔡大鼎等と与に国に還らしめんとす。
但だ、差わす所の員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第三百二十三号半印勘合の執照一道を給発して存留通事の梁得功等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海の巡哨官軍は験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開す。
在船都通事一員 毛嘉桐 人伴四名
在船使者二員 麻徳濡毛廷鋐 人伴八名
存留通事一員 梁得功 人伴六名
管船夥長・直庫二名 陳作桂 内克秀
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事梁得功等に付す。此れに准ぜられよ
咸豊十一年(一八六一)八月初二日
注*語注は〔三―〇二―〇四〕参照。
(1)梁得功 久米村系梁氏。咸豊十一年の存留通事。同治三年の結状(〔三―一〇―一七〕)では長史、富山通事親方として名がみえる。
(2)麻徳濡 当山親雲上(『毛姓家譜 支流』毛嘉桐の譜)。首里系麻氏。咸豊十一年接貢船の在船使者。
(3)毛廷鋐 首里系毛氏。咸豊十一年接貢船の在船使者。
(4)陳作桂 咸豊十一年接貢船の管船夥長。
(5)内克秀 咸豊十一年接貢船の管船直庫。