{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
2-39-20 国王尚穆の、進貢のため耳目官向全才等を派遣するむねの符文(乾隆二十一《一七五六》、十二、二十四)
琉球国中山王尚(穆)、進貢の事の為にす。
切照するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一貢を欽遵せしこと、案に在り。
査するに、乾隆二十一年は乃ち進貢の期に当たれば、特に耳目官向全才、正議大夫阮超群・都通事鄭余慶等を遣わし、表咨を齎捧して、海船二隻に坐駕して、官伴・水梢、両船に均幇せるの上下の員役、共に二百を過ぎざるの員名を率領し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔、紅銅三千觔、煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載せしむ。一船は礼字第七十一号、煎熟硫黄六千三百觔、紅銅一千五百觔、煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は礼字第七十二号、煎熟硫黄六千三百觔、紅銅一千五百觔、煉熟白剛錫五百觔を装載して、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。所拠の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に符文を給発し、以て通行するに便ならしむべし。
今、王府、礼字第七十号の半印勘合の符文を給し、都通事鄭余慶等に付して収執し前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開、京に赴く
正使耳目官一員 向全才 人伴一十二名
副使正議大夫一員 阮超群 人伴一十二名
都通事一員 鄭余慶 人伴七名
護送都通事一員 梁増 人伴四名
在船都通事一員 蔡光祖 人伴四名
在船使者四名 葛開経 翁文達/楊善積 孟元達 人伴一十六名
存留通事一員 毛維基 人伴六名
在船通事一員 魏献蘭 人伴四名
管船火長・直庫四名 毛景裕 安広志/鄭諧 島永烈 外に有り
護送直庫 馬得功・仲克済 二名
水梢共に一百十六名、外に護送の水梢二十六名有り
右の符文は、都通事鄭余慶等に付し、此れを准ず
乾隆二十一年十二月二十四日 給す
琉球国中山王尚(穆)、進貢の事の為にす。
切照するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一貢を欽遵せしこと、案に在り。
査するに、乾隆二十一年は乃ち進貢の期に当たれば、特に耳目官向全才、正議大夫阮超群・都通事鄭余慶等を遣わし、表咨を齎捧して、海船二隻に坐駕して、官伴・水梢、両船に均幇せるの上下の員役、共に二百を過ぎざるの員名を率領し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔、紅銅三千觔、煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載せしむ。一船は礼字第七十一号、煎熟硫黄六千三百觔、紅銅一千五百觔、煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は礼字第七十二号、煎熟硫黄六千三百觔、紅銅一千五百觔、煉熟白剛錫五百觔を装載して、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。所拠の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に符文を給発し、以て通行するに便ならしむべし。
今、王府、礼字第七十号の半印勘合の符文を給し、都通事鄭余慶等に付して収執し前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開、京に赴く
正使耳目官一員 向全才 人伴一十二名
副使正議大夫一員 阮超群 人伴一十二名
都通事一員 鄭余慶 人伴七名
護送都通事一員 梁増 人伴四名
在船都通事一員 蔡光祖 人伴四名
在船使者四名 葛開経 翁文達/楊善積 孟元達 人伴一十六名
存留通事一員 毛維基 人伴六名
在船通事一員 魏献蘭 人伴四名
管船火長・直庫四名 毛景裕 安広志/鄭諧 島永烈 外に有り
護送直庫 馬得功・仲克済 二名
水梢共に一百十六名、外に護送の水梢二十六名有り
右の符文は、都通事鄭余慶等に付し、此れを准ず
乾隆二十一年十二月二十四日 給す