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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-25-19 国王尚清の、謝恩のため王舅毛実等を遣わす符文(一五三五、二、八)
琉球国中山王尚清、謝恩等の事の為にす。
今、特に王舅毛実を遣わし、長史蔡瀚等と同に、表文一通を齎捧せしむ。埕字号船及び小船共に二隻に坐駕し、金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束衮刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束衮刀一十把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束腰刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束腰刀四十把・黒漆鞘銅結束腰刀八十把・鍍金銅結束線穿鉄甲一領・鍍金銅線穿手套一付・線穿鉄護腿一付・貼金鉄護臁一付・頭盔一頂・金箔彩画屛風一対・両面泥金扇二百把・泥金水墨画扇二百把・貼片金水墨画扇一百五十把・貼金穿馬鉄甲二付・貼金馬鉄面二個・象牙五百斤・束香二百斤・檀香二百斤を装載し、京に赴き謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
王舅一員 毛実
長史一員 蔡瀚
使者一員 沈布理
都通事一員 梁梓 人伴二十八名
存留在船使者一員 賈満度 従人二名
護送の小船に坐駕する使者一員 銭林 従人二名
護送の小船に坐駕する通事一員 林喬 従人二名
国王附搭の蘇木一千斤・倭銅一千斤
嘉靖十四年(一五三五)二月初八日
右の符文は長史蔡瀚・都通事梁梓等に付し、此れに准ぜしむ
謝恩等の/事の為にす 符文
注*この謝恩については『明実録』嘉靖十四年十二月丁酉、十五年正月乙丑の各条に記事がある。
(1)梁梓 生没年不詳。久米村呉江梁氏(亀嶋家)。官生として南京国子監に入学。のち長史(『家譜(二)』七五八頁)。
(2)林喬 生没年不詳。久米村林氏(名嘉山家)三世。通事のち都通事として暹羅へ一回、明へ五回使する(『家譜(二)』九一九頁)。
琉球国中山王尚清、謝恩等の事の為にす。
今、特に王舅毛実を遣わし、長史蔡瀚等と同に、表文一通を齎捧せしむ。埕字号船及び小船共に二隻に坐駕し、金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束衮刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束衮刀一十把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束腰刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束腰刀四十把・黒漆鞘銅結束腰刀八十把・鍍金銅結束線穿鉄甲一領・鍍金銅線穿手套一付・線穿鉄護腿一付・貼金鉄護臁一付・頭盔一頂・金箔彩画屛風一対・両面泥金扇二百把・泥金水墨画扇二百把・貼片金水墨画扇一百五十把・貼金穿馬鉄甲二付・貼金馬鉄面二個・象牙五百斤・束香二百斤・檀香二百斤を装載し、京に赴き謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
王舅一員 毛実
長史一員 蔡瀚
使者一員 沈布理
都通事一員 梁梓 人伴二十八名
存留在船使者一員 賈満度 従人二名
護送の小船に坐駕する使者一員 銭林 従人二名
護送の小船に坐駕する通事一員 林喬 従人二名
国王附搭の蘇木一千斤・倭銅一千斤
嘉靖十四年(一五三五)二月初八日
右の符文は長史蔡瀚・都通事梁梓等に付し、此れに准ぜしむ
謝恩等の/事の為にす 符文
注*この謝恩については『明実録』嘉靖十四年十二月丁酉、十五年正月乙丑の各条に記事がある。
(1)梁梓 生没年不詳。久米村呉江梁氏(亀嶋家)。官生として南京国子監に入学。のち長史(『家譜(二)』七五八頁)。
(2)林喬 生没年不詳。久米村林氏(名嘉山家)三世。通事のち都通事として暹羅へ一回、明へ五回使する(『家譜(二)』九一九頁)。