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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-04 国王尚元の、進貢謝恩のため正議大夫鄭憲等を遣わす符文(一五七一、二、二一)
琉球国中山王尚元、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫鄭憲を遣わし、長史鄭祐等と同に、表箋各一通を齎捧せしむ。本国の小船一隻に坐駕し、馬二匹・生硫黄五千斤、及び護送の都通事鄭禄等の船内に馬二匹・生硫黄五千斤、共に生硫黄一万斤・共に馬四匹、金結束金起沙魚皮紋靶紅漆鞘腰刀二把・銀起沙魚皮紋靶紅漆鞘腰刀二把・鍍金銅結束紅漆鞘線紮靶腰刀二十把・鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十把・鍍金銅結束紅漆鞘貼金靶鎗一十把・束香一百斤・蘇木一千三百斤を装載し、京に赴き進貢し謝恩す。仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 鄭憲 人伴一十名
長史一員 鄭祐 人伴一十名
使者一員 馬羅美 人伴五名
通事一員 紅文綬 人伴二名
存留在船使者一員 華阯 人伴二名
存留在船通事一員 蔡朝傑 人伴二名
護送の小船に坐駕する都通事一員 鄭禄 人伴三名
護送の小船に坐駕する使者一員 柏金 人伴二名
国王附搭の蘇木二千斤
隆慶五年(一五七一)二月二十一日
右の符文は正議大夫鄭憲・通事紅文綬等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*『明実録』隆慶五年十一月辛巳の条に関連の記事がある。
(1)銀起沙魚皮紋靶紅漆鞘腰刀 対応する執照〔三一-〇六〕には「銀結束銀起沙魚皮…」とある。
(2)蔡朝傑 一五三九-八七年。屋良通事。久米村蔡氏(儀間家)七世(『家譜(二)』二五六頁)。
(3)鄭禄 生没年不詳。久米村鄭氏(湖城家)八世(『市史宝案抄』一九八頁)。
琉球国中山王尚元、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫鄭憲を遣わし、長史鄭祐等と同に、表箋各一通を齎捧せしむ。本国の小船一隻に坐駕し、馬二匹・生硫黄五千斤、及び護送の都通事鄭禄等の船内に馬二匹・生硫黄五千斤、共に生硫黄一万斤・共に馬四匹、金結束金起沙魚皮紋靶紅漆鞘腰刀二把・銀起沙魚皮紋靶紅漆鞘腰刀二把・鍍金銅結束紅漆鞘線紮靶腰刀二十把・鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十把・鍍金銅結束紅漆鞘貼金靶鎗一十把・束香一百斤・蘇木一千三百斤を装載し、京に赴き進貢し謝恩す。仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 鄭憲 人伴一十名
長史一員 鄭祐 人伴一十名
使者一員 馬羅美 人伴五名
通事一員 紅文綬 人伴二名
存留在船使者一員 華阯 人伴二名
存留在船通事一員 蔡朝傑 人伴二名
護送の小船に坐駕する都通事一員 鄭禄 人伴三名
護送の小船に坐駕する使者一員 柏金 人伴二名
国王附搭の蘇木二千斤
隆慶五年(一五七一)二月二十一日
右の符文は正議大夫鄭憲・通事紅文綬等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*『明実録』隆慶五年十一月辛巳の条に関連の記事がある。
(1)銀起沙魚皮紋靶紅漆鞘腰刀 対応する執照〔三一-〇六〕には「銀結束銀起沙魚皮…」とある。
(2)蔡朝傑 一五三九-八七年。屋良通事。久米村蔡氏(儀間家)七世(『家譜(二)』二五六頁)。
(3)鄭禄 生没年不詳。久米村鄭氏(湖城家)八世(『市史宝案抄』一九八頁)。