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資料詳細
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-20-05 国王尚豊より布政司あて、進貢船二隻の消息を問う咨(一六三八、一、二五)
初めて二船を遣わし三年両貢して帰るを探報する咨。
琉球国中山王尚(豊)、安危を告探して介慮を釈寛し、貢歳を明らかにして輸誠を闡らかにする事の為にす。
照得するに、該国往に天啓三年(一六二三)より聖旨を奉ずるに、矜恤し培植して暫く五年一貢に寛む、等の因あり。崇禎七年(一六三四)十一月十九日に至り、復た聖旨を奉ずるに、海藩、貢期を復し旧に照らして方物を加進するを請う。情詞は真に懇なり。議に依りて允従し、船を増すこと一隻なるも水手の数は百に盈たざらしめ、并びに諭して、遵行して以て恪順を昭らかにせしめよ、とあり。此れを欽み、欽遵す。礼部の聖旨を欽奉し移咨して国に到るを承准すれば、此れを准け欽依内の事理に依奉し、会典の三年両次に遵照して朝貢し、其れ加増の方物は、馬六匹を増して共に十匹と成し、硫黄一万斤を増して共に二万斤と成し、螺殻三千個を増し、一船を量増するも、水手の数は百に盈たざらしめよ、等の因あり。咨を准くるに称すらく、聖旨を奉じ、此れを欽み、欽遵せよ、とあり。欽依内の事理に依奉し遵守して奉行す、等の因あり。
此の為に、照得するに、該藩、聖旨の頒を奉じ、竜顔に臨欽して咫尺なり。貢歳に当るに届り、敢えて期に愆う罔し。崇禎九年十月内、遵依して虔んで任土の方物の馬十匹・硫黄二万斤・螺殻三千個を備え、船二隻を遣わし均幇して解運せしむ。毎船の水手の数は百に盈たず。此の為に情を将て備咨し、正議大夫・使者・通事等の官の林国用等を差わして表箋を齎捧し、水手を率領して二船に分駕し、風を占い解纜するを応候し、時に当りて発軔し揚帆し、福建等処承宣布政使司に前赴して投逓し、方物を転解し員役を起送して京に赴き、表箋を馳捧し闕を叩いて山呼せしむ、等の因あり。
此の為に拠りて駅に在りて庶務の職守に当該する等の員役は存留するを除くの外、余は合に時に応じて帰復すべく延緩を容さざれば、始めて該藩の敬畏忠誠なるを得ん。期を爽えて杳音するを致さば、藩は情として惑慮無きこと難し。就ち権に忖度するに、倘し伺斉し闕を叩きて事竣る等の員役もて、一併に携え帰らんと欲するは、理に於て順なるに似たり。十に一も敢えて然るを疑わんや。且つ二船の省に在る有り。況んや崇禎七年の進貢に差わせる正議大夫・使者・通事等の官の蔡錦等をや。事竣りて当に崇禎九年夏至に廻るべきも、計程するに已に争でか一歳を越遅せるや。茲に迄って南風盛んに発し、理として合に彙斉して急帰すべきは再贅を庸うる無し。先後両次に差遣して前来せるに拠り、在前の員役は総計するに僅かに二百多人に足る。中に就き摘して廻還せしむるは、明台、定めて区処する有らん。豈に駐箚し坐して餼廩を糜やすを容し、違遅を盼望せんや。耆亀に準罔ければ、人をして昏惑せしむること滋々甚し。天海の常無きに惑い、風濤の測り叵きに惑う。反りて之を思うに、万邦帰順し天海の霊神の呵護して順を助け、大都に九重の霊爽を瞻仰すれば、煩冤は頓かに万一を消さん。続いて昏思するに、岐路には間々狼子の野心、貪残性を成すの輩有り。陽に商として下海し、陰に盗として負隅す。梟獍と勾接して搆済張獰し、風に随いて出没し、聴候して摽掠し海上に羅織して毎に官商の患為り。惑慮するに、進貢の人船の往廻して乖遭蹇遇すれば、奮健の危を逃れ難し。此の一端に拠り、憂は深く膈に結び、昼は飧に安んぜず、宵は枕に帖んじ難し。
照得するに、該藩、綸綍維新たなるを仰奉し、進貢は旧に照らすを賜准せらる。此の為に、遵依して奉行し、寅み備えて方物を倍増す。是を用て船二隻を挙げて尽く載せ、帰順して心を一にす。先後に差去せる員役は、共に二百多人にして、靡盬に勤王するに非ざるは無し。未だ去来の安危を卜せず、往廻の順逆を知る罔し。去きては貢務の敬君は重しと為すに繫関するを慮り、来りては臣の民の陥溺を憂え、己を揣りて奚ぞ安からんや。往廻の安危の介慮を釈かんと欲すれば、急赴して端的を告詢するに逾る無し。伏して廻文を奉じて帰報すれば始めて解豁し寛慰するを得ん、等の因あり。
此の為に、備咨して都通事蔡祚隆等を差遣し、使者章邦彦等を訳導し、水梢を率領して土造の快船一隻に御駕し、天朝に前赴して進貢の二船の安危の端的を告訪せしむれば、貢歳の重務を申明し、藩臣の微忱を展布ぶるに庶からん、等の因あり。此の為に、理として合に貴司に移咨して知会すべし。遵いて前項の縁繇を将て備咨し、原遣等の官の都通事蔡祚隆等に着令し馳逓して告投せしむ。煩為わくは査照して施行せんことを、等の因あり。此の為に、南風の早汛の発原に乗得し、希わくは亟やかに廻文を下し帰国して急報せしめんことを。返棹の良期を滞らしむる勿れ。此の為に移咨す。須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
崇禎十一年(一六三八)正月二十五日 再対して過を正す 注*本文書は表面的には進貢船の消息をたずねる咨文であるが、崇禎九年に帰るべき蔡錦らは崇禎七年の王銀詐取事件にかかわっており、事件の早急な解決を暗に督促するものであろう。〔二〇-〇三〕参照。
(1)二船 崇禎九年十月の林国用らの船をさす。
(2)五年一貢 〔一八-二〇〕参照。
(3)崇禎七年 ここから注(4)まで〔〇四-〇九〕の琉球国の立場からする要約。
(4)等の因あり 〔〇四-〇九〕の要約の終り。
(5)発軔 車を動かしはじめる。出発する。
(6)明台 天子の政を行う台。ここでは布政司をさす。
(7)駐箚 任地に留まる。ここでは琉球の使臣が閩に留まること。
(8)盼望 望む、欲する。
(9)耆亀に準罔ければ 耆亀は年老いた亀。耆亀で大海を象徴させ、海の変り易く定めがたいことをいうか。
(10)霊爽 すぐれて不思議なこと。ここでは天子をさす。
(11)煩冤 煩はわずらい、冤はわざわい。
(12)負隅 地形の険に依って割拠すること。
(13)梟獍 梟は母を食う鳥、獍は父を食う獣。転じて凶悪忘恩の人。
(14)勾接 勾は引く、誘う。接はまじわる、近づく。
(15)搆済張獰 多くのものが徒党をくんで悪事をほしいままにすること。
(16)羅織 あみを張る。無実の人を罪におとし入れる。
(17)乖遭蹇遇 だまし討ちにし、待ちうけ、行く手をふさぐ。
(18)奮健 武勇をふるうこと。
(19)飧 食事。
(20)廻文 返書。回文に同じ。
(21)章邦彦 宜野湾親方正成。生没年不詳。首里章氏の一世。尚賢・尚質王代の三司官(『市史宝案抄』四一三頁)。
(22)訳導 通訳して導くこと。
(23)発原 発源に同じ。事の始まり。