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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-25-20 国王尚清の、皇帝と皇太子への進貢慶賀のため正議大夫陳賦等を遣わす符文(一五三七、八、二〇)
琉球国中山王尚清、進貢、慶賀等の事の為にす。
今、特に正議大夫陳賦を遣わし、長史蔡廷美等と同に、表箋文各一通を齎捧せしむ。黄字号海船一隻に坐駕して馬一十五匹・硫黄二万斤并びに鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十六把・鍍金銅結束紅漆鞘沙魚皮靶腰刀一十把・鍍金銅結束螺鈿鞘沙魚皮靶腰刀六把を装載し、京に赴き御前に進賀し、其の鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十二把・鍍金銅結束紅漆鞘沙魚皮靶腰刀一十把は、京に赴き正位東宮に進賀し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 陳賦
使者二員 高志 邁治剌
都通事一員 梁顕
人伴十九名
存留在船使者一員 馬益志 人伴二名
存留在船通事一員 金昇 人伴二名
国王附搭の蘇木一千斤・紅銅一千斤
嘉靖十六年(一五三七)八月二十日
右の符文は正議大夫陳賦及び通事梁顕等に付し、此れに准ぜしむ
符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖十七年三月丁酉の条に記事がある。
(1)梁顕 一五一八-八七年。神谷親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)四世。東南アジアへ三回、明へ六回の渡航の他、官生や総理唐栄司、紫金大夫などの経歴を持つとも伝える(『家譜(二)』七六二頁)。
(2)金昇 一五一〇-七九年。友寄親雲上。久米村金氏(具志堅家)五世。渡明は六回、官は都通事に至る(『家譜(二)』五七頁)。
琉球国中山王尚清、進貢、慶賀等の事の為にす。
今、特に正議大夫陳賦を遣わし、長史蔡廷美等と同に、表箋文各一通を齎捧せしむ。黄字号海船一隻に坐駕して馬一十五匹・硫黄二万斤并びに鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十六把・鍍金銅結束紅漆鞘沙魚皮靶腰刀一十把・鍍金銅結束螺鈿鞘沙魚皮靶腰刀六把を装載し、京に赴き御前に進賀し、其の鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十二把・鍍金銅結束紅漆鞘沙魚皮靶腰刀一十把は、京に赴き正位東宮に進賀し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 陳賦
使者二員 高志 邁治剌
都通事一員 梁顕
人伴十九名
存留在船使者一員 馬益志 人伴二名
存留在船通事一員 金昇 人伴二名
国王附搭の蘇木一千斤・紅銅一千斤
嘉靖十六年(一五三七)八月二十日
右の符文は正議大夫陳賦及び通事梁顕等に付し、此れに准ぜしむ
符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖十七年三月丁酉の条に記事がある。
(1)梁顕 一五一八-八七年。神谷親雲上。久米村呉江梁氏(亀嶋家)四世。東南アジアへ三回、明へ六回の渡航の他、官生や総理唐栄司、紫金大夫などの経歴を持つとも伝える(『家譜(二)』七六二頁)。
(2)金昇 一五一〇-七九年。友寄親雲上。久米村金氏(具志堅家)五世。渡明は六回、官は都通事に至る(『家譜(二)』五七頁)。