{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
1-39-03 朝鮮国王李瑈より琉球国王あて、漂流人の送還に謝し、返礼する書簡(一四六一、七、七)
朝鮮国王李瑈、琉球国王殿下に奉復す。
書を承けて起居の佳勝なるを知り、仍お厚貺を奉じ欣感して交拝す。弊邦と貴国と壌地相い夐かなりと雖も、雅より隣並の義有り。王乃ち遠く信使を遣わし用て殷勤を致す。又、漂去せる人口を刷還し、流離を免れ室家相い保つを得しむ。王の賢に非ざれば、交隣を慎重すること未だ是くの如くする能わざるなり。去る戊寅の年、吾羅沙也文還るの時、不腆の綿紬二百一十匹・綿布一千三十一匹もて付送して用て厚意に答う。今、弊産を将て謹んで回价に付し、少しく謝悰を布ぶ。領納せらるれば幸為り。海波遼闊にして耗を致し良に艱なり。余、冀わくは序に順い自嗇せんことを。
天順五年(一四六一)七月初七日
注(1)李瑈 第七代国王、世祖。在位一四五五-六八年。
(2)書 琉球国王の書簡。『李朝実録』世祖七年(天順五)五月己巳の条に収録されている。
(3)信使 『李朝実録』世祖七年六月辛未・六月丁丑の条に僧徳源とある。
(4)刷還 他国に流浪した自国人を連れ帰ること。この漂流人については、前注(2)の『李朝実録』には「孔佳等二名」とし、前注(3)の『李朝実録』六月丁丑の条には「羅州住の船軍の梁成、錦山住の私奴高石寿」とある。
(5)戊寅の年 天順二年(世祖四年、一四五八)。この年、琉球国王の使者吾羅沙也文が漂流人を送還した(『李朝実録』世祖四年二月乙卯の条)。
(6)吾羅沙也文 博多か対馬の人であろうとされる(田中健夫『中世対外関係史』東京大学出版会、一九七五年、三〇三頁)。
(7)綿紬 粗繭や真綿からつむいだ糸で製した織物。つむぎ。
(8)綿布 朝鮮における綿布の生産は、高麗期に中国から木綿の種子が伝来して始まり、李朝では主に慶尚道・全羅道・忠清道で産出した。木綿が日本への回賜品に登場するのは世宗即位年(一四一八)以降で、木綿を生産しない日本が強く希望し、成宗朝(一四七〇-九四)にはその流出はピークに達した(前掲田中著、一七二-五頁)。
(9)回价 帰る使者。价はつかい。
(10)序に順い ものごとがうまくゆくこと。
(11)自嗇 自愛に同じか。
朝鮮国王李瑈、琉球国王殿下に奉復す。
書を承けて起居の佳勝なるを知り、仍お厚貺を奉じ欣感して交拝す。弊邦と貴国と壌地相い夐かなりと雖も、雅より隣並の義有り。王乃ち遠く信使を遣わし用て殷勤を致す。又、漂去せる人口を刷還し、流離を免れ室家相い保つを得しむ。王の賢に非ざれば、交隣を慎重すること未だ是くの如くする能わざるなり。去る戊寅の年、吾羅沙也文還るの時、不腆の綿紬二百一十匹・綿布一千三十一匹もて付送して用て厚意に答う。今、弊産を将て謹んで回价に付し、少しく謝悰を布ぶ。領納せらるれば幸為り。海波遼闊にして耗を致し良に艱なり。余、冀わくは序に順い自嗇せんことを。
天順五年(一四六一)七月初七日
注(1)李瑈 第七代国王、世祖。在位一四五五-六八年。
(2)書 琉球国王の書簡。『李朝実録』世祖七年(天順五)五月己巳の条に収録されている。
(3)信使 『李朝実録』世祖七年六月辛未・六月丁丑の条に僧徳源とある。
(4)刷還 他国に流浪した自国人を連れ帰ること。この漂流人については、前注(2)の『李朝実録』には「孔佳等二名」とし、前注(3)の『李朝実録』六月丁丑の条には「羅州住の船軍の梁成、錦山住の私奴高石寿」とある。
(5)戊寅の年 天順二年(世祖四年、一四五八)。この年、琉球国王の使者吾羅沙也文が漂流人を送還した(『李朝実録』世祖四年二月乙卯の条)。
(6)吾羅沙也文 博多か対馬の人であろうとされる(田中健夫『中世対外関係史』東京大学出版会、一九七五年、三〇三頁)。
(7)綿紬 粗繭や真綿からつむいだ糸で製した織物。つむぎ。
(8)綿布 朝鮮における綿布の生産は、高麗期に中国から木綿の種子が伝来して始まり、李朝では主に慶尚道・全羅道・忠清道で産出した。木綿が日本への回賜品に登場するのは世宗即位年(一四一八)以降で、木綿を生産しない日本が強く希望し、成宗朝(一四七〇-九四)にはその流出はピークに達した(前掲田中著、一七二-五頁)。
(9)回价 帰る使者。价はつかい。
(10)序に順い ものごとがうまくゆくこと。
(11)自嗇 自愛に同じか。