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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-07-09 世曾孫尚敬の、進貢のため耳目官馬献功等を遣わすむねの符文(一七一四、一一、一一)
琉球国中山王世曾孫尚(敬)、進貢の事の為にす。
切照するに、敝国は世々天朝の隆恩に沐す。貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕五十三年、乃ち当に進貢すべきの期なり。特に耳目官馬献功・正議大夫阮璋・都通事梁得宗等を遣わし、表・咨を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第九十八号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第九十九号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は文憑無ければ、各処の官軍の阻留するを恐る。此の為に理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第九十七号半印勘合の符文を給して都通事梁得宗等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 馬献功 人伴一十二名
正議大夫一員 阮璋 人伴一十二名
都通事一員 梁得宗 人伴七名
在船都通事二員 陳其湘/鄭士綬 人伴八名
在船使者四員 東是伯 容芳声/吉如昇 麻冕 人伴十六名
存留通事一員 鄭秉彝 人伴六名
在船通事一員 鄭士紳 人伴四名
管船火長・直庫四名 孫有臨 仲宗根/林士綱 与那嶺
右の符文は都通事梁得宗等に付す。此れを准ず
康煕五十三年(一七一四)十一月十一日
注(1)鄭士紳 一六八一-一七二九年。久高親雲上。久米村鄭氏(真栄里家)五世。都通事などとして三回中国に渡る(『家譜(二)』六八七頁)。
(2)孫有臨 一六九一-一七五〇年。屋比久秀才。久米村孫氏(安座間家)四世(『家譜(二)』四一九頁)。
琉球国中山王世曾孫尚(敬)、進貢の事の為にす。
切照するに、敝国は世々天朝の隆恩に沐す。貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕五十三年、乃ち当に進貢すべきの期なり。特に耳目官馬献功・正議大夫阮璋・都通事梁得宗等を遣わし、表・咨を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第九十八号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第九十九号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は文憑無ければ、各処の官軍の阻留するを恐る。此の為に理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第九十七号半印勘合の符文を給して都通事梁得宗等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 馬献功 人伴一十二名
正議大夫一員 阮璋 人伴一十二名
都通事一員 梁得宗 人伴七名
在船都通事二員 陳其湘/鄭士綬 人伴八名
在船使者四員 東是伯 容芳声/吉如昇 麻冕 人伴十六名
存留通事一員 鄭秉彝 人伴六名
在船通事一員 鄭士紳 人伴四名
管船火長・直庫四名 孫有臨 仲宗根/林士綱 与那嶺
右の符文は都通事梁得宗等に付す。此れを准ず
康煕五十三年(一七一四)十一月十一日
注(1)鄭士紳 一六八一-一七二九年。久高親雲上。久米村鄭氏(真栄里家)五世。都通事などとして三回中国に渡る(『家譜(二)』六八七頁)。
(2)孫有臨 一六九一-一七五〇年。屋比久秀才。久米村孫氏(安座間家)四世(『家譜(二)』四一九頁)。