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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-12-15 国王尚敬の、進貢と入監する官生のため耳目官毛弘徤等を遣わすむねの符文(一七二二、一一、三)
琉球国中山王尚(敬)、進貢の事の為にす。
切照するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕六十一年の貢期に当り、特に耳目官毛弘徤・正議大夫陳其湘・都通事蔡垣等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。両船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運する外、欽んで聖恩の兪允を蒙り、陪臣の子弟を入監し読書せしむ。茲に官生蔡用佐等三員を遣わし、更に土産の囲屛紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を将て、前んで福建等処承宣布政使司に詣りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に各処の官軍の阻留するを恐る。此の為に理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第一百十六号半印勘合の符文を給して都通事蔡垣等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使耳目官 一員 毛弘徤 人伴一十二名
副使正議大夫 一員 陳其湘 人伴一十二名
都通事 一員 蔡垣 人伴七名
在船都通事 二員 鄭元良/紅士顕 人伴八名
在船使者 四員 毛思聖 楊世昌/傅世哲 馬文彬 人伴一十六名
存留通事 一員 楊大成 人伴六名
在船通事 一員 林宗璉 人伴四名
官生 三人 蔡用佐・蔡元龍・鄭師崇 人伴三名
管船夥長・直庫 四名 紅世昌 方光祖/梁得温 照喜名
水梢共に一百二十名
右の符文は都通事蔡垣等に付す。此れを准ず
康煕六十一年(一七二二)十一月初三日給す
注(1)紅世昌 一七〇〇-二三年。久米村紅氏(和宇慶家)十一世。このときの入貢に同行し、遭難して卒す(『家譜(二)』二〇八頁)。
琉球国中山王尚(敬)、進貢の事の為にす。
切照するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕六十一年の貢期に当り、特に耳目官毛弘徤・正議大夫陳其湘・都通事蔡垣等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。両船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運する外、欽んで聖恩の兪允を蒙り、陪臣の子弟を入監し読書せしむ。茲に官生蔡用佐等三員を遣わし、更に土産の囲屛紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を将て、前んで福建等処承宣布政使司に詣りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に各処の官軍の阻留するを恐る。此の為に理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第一百十六号半印勘合の符文を給して都通事蔡垣等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使耳目官 一員 毛弘徤 人伴一十二名
副使正議大夫 一員 陳其湘 人伴一十二名
都通事 一員 蔡垣 人伴七名
在船都通事 二員 鄭元良/紅士顕 人伴八名
在船使者 四員 毛思聖 楊世昌/傅世哲 馬文彬 人伴一十六名
存留通事 一員 楊大成 人伴六名
在船通事 一員 林宗璉 人伴四名
官生 三人 蔡用佐・蔡元龍・鄭師崇 人伴三名
管船夥長・直庫 四名 紅世昌 方光祖/梁得温 照喜名
水梢共に一百二十名
右の符文は都通事蔡垣等に付す。此れを准ず
康煕六十一年(一七二二)十一月初三日給す
注(1)紅世昌 一七〇〇-二三年。久米村紅氏(和宇慶家)十一世。このときの入貢に同行し、遭難して卒す(『家譜(二)』二〇八頁)。