琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-39-07 満剌加国王より琉球国あて、返礼の咨(一四六九、一、二六)
満剌加国王、微礼の事の為にす。謹んで琉球国王の金堦殿下に奉る。
朝に聞く、滄海に収攬するの由は其の負販経商に務むるにして、乃ち薄土を以てするなり、と。然れども其の宝景は四方の舟車を通じ、商賈の積聚する所、金銀錦綉あり、百貨の茂竹する処、青松桃源の儀なり。先世の聿修の徳を聖承し、齪齬するも昌んならんと欲す。貴国、朝に海宇を混一し万物を仁育し、其の生の盛んなるは前代に非ず。交隣は天の皇恩福徳を感ずるに於てす。
殿下の咨して使臣安遠路・通事蔡回保等を遣わし宝舟を掌管して微国に到らしむるを蒙る。豊楽民安、瓊瑤は武を歌うの勇あり。貿易を任従して咨旨に違う毋く、荷くも礼重の儀を遺さん。微国聊か素宝を備え奉献して回国すれば深幸なり。万冀わくは、懐蓋の景いにして旧朋の意を覧んことを。鳴呼万歳。帝王誠意あり、廷臣有望にして清風高節なり。蟠渓周富の思いを御す。錦帆高く掛け称風して回国すれば、歓は因って永遠広甚ならん。二渡の宝舟は平安に歳々率いて再復すれば便と為さん。須らく咨に至るべき者なり。
今、微礼を開す
別布好㕷十一個 別〓(亠+氐)㕷十九個
南母掌十個 山南八好㕷五個
左達五個
右、琉球国に咨す
成化五年(一四六九)正月二十六日発行
微礼の事

注(1)聿修 (先人の徳を)述べおさめること、
(2)安遠路…を遣わし 〔四一-一二〕参照。
(3)蔡回保 生没年不詳。久米村蔡氏(儀間家)三世(『家譜(二)』二五〇頁)。
(4)瓊瑤 人からの贈り物や詩文・書信。
(5)懐蓋の…覧んことを 心をひろくもって旧い友人の気持ちをごらん下さい、の意か。
(6)蟠渓周富 立派な家臣を得て国が富むことか。蟠渓(磻渓)は陜西省宝鶏県の東南にある渭水の支流。周の文王が魚釣をしていた呂尚(太公望)に出会って師に招請したところ。
(7)称風 風にのる。称は趁に同じ。
(8)別布好㕷 別布は苾布に同じか。〔三九-〇八〕注(5)参照。
(9)別〓(亠+氐)㕷 これも苾布に類するものか。
(10)南母掌 〔三九-〇四〕注(6)参照。
(11)山南八好㕷 シナバフォ(synabafo)の一種。ベンガル産の白いきめの細かい綿織物で、『瀛涯勝覧』榜葛剌国の条に「沙納巴付。闊五尺。長二丈。便如生平羅様。即布羅也」とある。トメ・ピレス『東方諸国記』は七種類のシナパフォがあると記す(一九七頁)。
(12)左達 〔三九-〇四〕注(4)参照。
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