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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-99-13 世孫尚灝の、接貢のため都通事鄭永泰等を派遣するむねの執照(嘉慶十《一八〇五》、八、六)
琉球国中山王世孫尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回する事の為にす。
照得するに、敝国は業に嘉慶九年秋に於て貢使の耳目官毛廷勷・正議大夫鄭国鼎等を遣わし、表章・方物を齎捧し天朝に入貢す。業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き聖禧を叩祝して案に在り。
茲に還国の期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事鄭永泰等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し前みて福建に至り、皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣毛廷勷・鄭国鼎・毛廷器を接り、在閩の存留通事林興基等と与に還国せんとす。
但だ差する所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第一百八十二号の半印勘合執照一道を給発し、存留通事王秉行等に付し、収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 鄭永泰 跟伴四名
在船使者二員 毛著隆/馬国材 跟伴八名
存留通事一員 王秉行 跟伴六名
管船夥長・直庫二名 阮以佐 善開基
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事王秉行等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十年(一八〇五)八月初六日
注(1)王秉行 嘉慶十年接貢の存留通事。『宝案』ではほかに嘉慶二十年の中国難民護送船の都通事として名がみえる(巻一一八)。
(2)馬国材 嘉慶十年接貢の在船使者。『宝案』ではほかに嘉慶十四年冊封謝恩使の迎接の在船使者として名がみえる(巻一〇七)。
(3)阮以佐 乾隆三十六~道光六年(一七七一~一八二六)。久米村系阮氏(濱比嘉家)八世。嘉慶十年黄冠に陞る。嘉慶十年接貢の管船夥長(『家譜(二)』一八八頁)。
琉球国中山王世孫尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回する事の為にす。
照得するに、敝国は業に嘉慶九年秋に於て貢使の耳目官毛廷勷・正議大夫鄭国鼎等を遣わし、表章・方物を齎捧し天朝に入貢す。業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き聖禧を叩祝して案に在り。
茲に還国の期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事鄭永泰等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し前みて福建に至り、皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣毛廷勷・鄭国鼎・毛廷器を接り、在閩の存留通事林興基等と与に還国せんとす。
但だ差する所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第一百八十二号の半印勘合執照一道を給発し、存留通事王秉行等に付し、収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 鄭永泰 跟伴四名
在船使者二員 毛著隆/馬国材 跟伴八名
存留通事一員 王秉行 跟伴六名
管船夥長・直庫二名 阮以佐 善開基
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事王秉行等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十年(一八〇五)八月初六日
注(1)王秉行 嘉慶十年接貢の存留通事。『宝案』ではほかに嘉慶二十年の中国難民護送船の都通事として名がみえる(巻一一八)。
(2)馬国材 嘉慶十年接貢の在船使者。『宝案』ではほかに嘉慶十四年冊封謝恩使の迎接の在船使者として名がみえる(巻一〇七)。
(3)阮以佐 乾隆三十六~道光六年(一七七一~一八二六)。久米村系阮氏(濱比嘉家)八世。嘉慶十年黄冠に陞る。嘉慶十年接貢の管船夥長(『家譜(二)』一八八頁)。