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資料詳細
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-08-17 福建布政司より琉球国あて、琉球人救恤に対する謝恩を称して入港した船を帰国させ、貢期を守ることを命ずる咨(一六三六、四、二二)
福建等処承宣布政使司、夷船を飛報する事の為にす。
案照するに、崇禎八年(一六三五)四月十一日、軍門都御史沈(猶竜)の批を奉ず。福州府署海防事汀州府同知黄色中の呈に拠る。閩安鎮巡簡雷正化の報に拠るに、本月初六日未時、夷船一隻有りて鎮を過ぎて港に進む。卑職、兵を督して査するに、琉球国中山王府の通事王克善に拠るに、差を奉じて長史鄭藩献等の官、水梢を率領し船隻に坐駕し方物もて前来し、謝恩す。三月内、開洋して本日鎮を過ぎて港に進む、等の情あり。職に到る。此れに拠る。具呈して転報す。照詳せよ、等の縁繇あり。批を奉ずるに、夷国の入貢謝恩は常期有り、限制有り。琉球は受封以来、両年の中、夷船凡そ四たび至り、既に謝恩せり。又、探聴を曰いて既に入貢せり。又、謝恩を曰うは、今、何の恩に謝する所かを知らず。須らく義例有らば乃ち敢えて上聞すべし。如し其れ上聞す可からざれば、決ず私かに閩地に留めしむるの理無し。且つ中山王は既に皇恩を受くれば当に国憲を明らかにすべし。此の船は定ず未だ必ずしも是れ本王の遣わす所ならず。如し誤遣に係わるも亦た、応に阻回して中国の法を申明すべし。布政司に仰くるに、按都二司・兵海二道と会同して来因を査問せよ。咨して該国に還し、以て本王の効順して法を守るを明らかならしめよ。其の通事・員役の惑誘の情弊の有りや無しやは、另に申究を行え、とあり。
此に依奉して、按都二司・兵海二道に備移す。煩わくは、憲批内の事理に依り、細査して明確ならしめんことを。即ちに繇もて覆するを希う、以て憑りて転詳せん、と。及び海防館に行するに、来船は何の因なるや、謝する所は何の恩なるや、載するは何の方物なるや、義例の有りや無しや、其の船の来れるは果たして国王の遣わす所なるや否や、符文・印信執照の有りや無しや、応に阻回すべきや否や、及び通事・員役の惑誘の情弊の有りや無しやを即ちに査し、逐一細査して明確にし、火速に具繇して詳報せよ。以て憑りて転詳す、とありて去後る。
続いて該館の詳もて称するに拠る。本司の箚付を蒙り、按察司・兵備道・巡海道の憲牌を蒙る。布政司の照会を准くるに、軍門都御史沈(猶竜)の批を奉ずるに、前繇に同じ。備牌して、館に仰くるに、即ちに前項の夷船の進港を査せよ。謝恩は是れ該国の遣わす所に係わるや否や、果たして例に合するや否や、細査して明確にし、具繇して詳報せよ。仍お船内を査して、夾帯する別項の貨物の有りや無しや、通事・員役の惑誘の情弊の有りや無しやを逐一究明し、併せて詳せよ。以て憑りて移覆し転詳す、等の因あり。此れを蒙り、随即に通事官曾大正に行令して夷船に前往し、査明し訳審せしめて去後る。
続いて本官の回称するに拠るに、牌文を遵奉して、(曾大)正等、随即に船に到りて訳査す。夷官の長史鄭藩献等の口称に拠るに、彼の国は天朝の洪恩に沐するも未だ万一を報ずるを得る能わず。茲に為せるは、崇禎六年(一六三三)、本国の轄島の麻姑山の属夷、米を運びて入琉し、冊封に供応し、事竣りて島に回るに風に遭い飄して海壇地方に至る。本船は礁に衝りて打破し、俱に水中に溺し、僅かに存する潑即盧等三十九名は、海壇遊把総楊止戈に洋を猟して救護せらる。署印通判に解送し、兵海二道爺に転解し、九月十四日に柔遠駅に発りて安挿し、已に請詳して両院の批允を蒙り、日に衣食を給して豢養す。幸いにして余生を得て保全して国に帰る。本国主、深恩に感激し天啓五年(一六二五)太平山の夷人の失水の事例に遵照して、今春、特に長史等の官共に六員、伴梢一百名を遣わし、海船一隻に坐駕し、方物を装載し、表箋文もて前来し、京に赴きて謝恩し、帯する所の随身の銀貨は常規にて按臨して盤験し、冊にて報ずるを聴候せしむ。献の船は、二月二十日に開洋し、駕して中海に到り、陡かに颶風に遭いて、船桅は打折し幾乎沈没せんとす。幸いに天恩の福祐を蒙り、飄して四月初六日に至りて方めて閩に抵り虞無きを得たり。切に、献の本船は海に在りて波濤の日久しく、船破れ損漏して棲止するに堪えず。方物を防るに、壊るる有らば罪責の軽きに匪ざるを恐る、等の縁繇あり。正等、夷官・夷衆に諭令して、一人も登岸を許さず。詳允を候ちて吊進せんとするに、続いて中軍官の、正等と同に、出港を諭令するを蒙る。奈んせん、船に桅無く、篷無く、撐駕するも前まず。伏して憲奪を乞う。今、査を行うを蒙りて、理として合に実に従り回報すべし。中間に並びに別夷を夾帯するの情弊無し。其の方物は、俱に符文・執照に載すれば、抄を備えて呈報す。伏して転詳せんことを乞う、等の情あり。職に到る。此れに拠る。理として合に回報し通詳すべし、等の縁繇あり、司に到る。此の案に拠る。
按都二司・兵海二道の来因を査明し繇もて覆し、具詳するを候つの間、又、海防館の呈に拠る。巡海道の批を蒙る。卑職の前の詳の縁繇に拠る。批を蒙るに、来享来王の制に定期有るは、惟だに以て小国奔命の労を恤するのみに非ず、亦た以て朝廷尊厳の体を彰らかにするなり。今、中山王、受封して甫めて両年にして使臣已に四たび至るは、令甲に非ざるに似たり。失水の夷を安挿するを以て遠来し謝恩して辞と為すに至りては、此れ柔遠の常にして事に於て頗る細なり。果たして以て軽々しく至尊を瀆す可けんや。海防館に仰くるに、憲牌に遵照し、会典を備査せよ。該国の来船の応に阻回すべきや否やは、三日内に確かに詳せよ。仍お通事・奸棍の交通して事を生ずるを厳禁す。司・道の詳示するを候て。繳す、とあり。此れを蒙り、該卑職、会典を査得するに、載する所は惟だ五年一貢の礼有るのみにして、并びに謝恩の事無し。受封して謝するは、猶お冊立の大典を曰うがごとし。遭風の潑即盧等、哀れみて食せしむるに至りては、院・道、一に矜恤の仁を念うに過ぎず。原より未だ朝廷に上聞せず。何ぞ此れに援りて名と為し、中国を窺伺するや。其の繇は、蓋し中山王、初めて立つに年少く、未だ故典を諳んぜずして其の臣下、中国に貿易して日本に転販するを利とするに縁るのみ。理として応に阻回し、再び計るを待たざるべし。猶お焉を説う有り。旧例として、貢船は必ず先ず梅花・千石の間に泊し、卑館、上台に報聞して、具に進泊を許すを候ち、方めて敢えて入港す。此の番の船は、命を請うに繇らずして径に内河へ入る。昨に之を論じて鎮外に退出せしむれども、漫に桅の折るるを以て詞と為す。夫れ桅の折るるも、以て逆水にして鎮内に入る可ければ、独以て順水にして鎮外に出ずる可からざらんや。内港は省城に迫近し、以て牙棍と交通す可きを利とするに非ざる無きのみ。宜しく一憲牌を発し、督令して鎮を出だしむべきに似たり。即え遽かに外洋に往くは便ならざるも、或いは恰山・琅岐の近処に在りて棲泊し、以て桅を葺するを俟ちて往かしめば、猶お会地に逼処して牙棍と交通するに至らざるがごときに庶からん。其れ閩鎮の文武の官吏の、入港を擅放し攔阻を行わざるに及びては、応に并びに議すべきに似たり、等の縁繇あり。司に到れば此れに拠る。
随いで按察司の牒呈を准く。福州府海防館の査詳に行処するに前繇あり。司に到れば此れに拠る。随いで該按察使盧、看得するに、夷国の入貢謝恩は俱に常制有り。今、琉球の貢船来りて泊するも、既に入貢の期に非ず。謝恩を称し、潑即盧を矜全するを以て名と為すに至りては、則ち此れ地方の柔遠の常事に係わり、原より未だ上聞せず。例として軽々しく瀆す無し。則ち咨して船隻を還さば、乃ち法守は之宜しく然るべし。再た旧例を査するに、貢船の内泊には必ず防館の申報を待つ。今、此の船は報聞を待たず径に内港に入る。是れ何れの情に属するや、当に併せて一体に申諭を行うべき所なり。仍お、該地方の内に入るを擅放し攔阻を為さざるの罪を究すれば、法守は彰明にして、功令は匪を画するに庶からん。朝廷の政を尊ぶ所以にして小国を訓す所以なり、等の縁繇あり。司に到る。此れを准く。
又、巡視海道帯管福州兵備道副使徐(応秋)の牒呈を准く。福州府海防の査詳に行拠するに前繇あり。此れに拠る。該本道看得するに、琉球は素より恭順の国を称し、累朝、浩蕩の恩に沐す。而して会典の貢期は必ず定むるに年を以てし、人・船皆之の限を為す。寧くんぞ属国向慕の誠を体せざらんや。正に高厚に仰酬するを以て、煩数を事とせず。共を明らかにして要荒を界別するも、屢々匍匐奔命せしめ難きなり。今、中山王、潑即盧等の漂泊して還り得たるを以て因りて使臣を遣わして表謝す。地方の官に在りては夷属を矜恤するは、原より以て皇仁を宣布するにして、聖明の怙冐は天の如し。豈に涓滴を以て徳を示さんや。況んや両年の内、夷船四たび閩中に至り、往来の跡、既に頻なり。夷夏の防、漸く弛む。万一浸淫に習熟すれば、奸人其の舶に附して以て通番し牙儈、其の人を誘いて釁を起こさん。舟の非時に至れるは稽詰に難きも将来突かに詐偽影射有らば意外は慮う可く、誰か其の咎を執らん。或いは該国、天恩を感念するも、備査するに暇あらず、夫の成憲は祖宗に于て立法するに定制の意は未だ之を深く思わず。例を創むるに、軽々しく阻回を開きて用て画一に遵うは未便なり。是れ貴司に在りて酌議し主持するのみ、等の縁繇あり。移覆して司に到る。此れを准く。
又、巡視海道兼理辺儲副使徐(応秋)の牒呈を准く。福州府海防館の査詳に批拠するに、前繇あり。道に到る。此れに拠る。該本道看得するに、朝廷の覆幬は無外にして、其の属国を待するに恩有り、礼有り。輸琛入貢に各々限制を為すは、著わして彝章に在り。数百年来、共に遵う所なり。中山王、新たに冊命を承け、業に其の方物もて闕廷に表謝し、已に恭順を明らかにす。属夷の、風に遭いて閩に泊し、此の中の院・道、案を査して優恤して之を遣わす若きは情理として宜しく爾るべし。原より未だ上聞せず。今、其の感激に拠り入謝するは、小国の誠を申ぶると云うと雖も、至尊を煩瀆し、実に未だ来王の例に合わず。該国王、新たに立ちて未だ典故を諳んぜず。或いは悞遣に属さんか。然るに向者に該国、三年両貢を求め、会議するに尚お会典と未だ合わざるを以て、敢えて軽々しく徇わず。則ち今日の来れるは、義例として無き所にして、開端は慮う可し。応に阻回して以て祖宗の制を守り、一に以て夷夏の防を存すべきに似たり。物力を惜しみて以て字小の仁を申べ、郵伝を省きて以て駅騒の累を免れ、奸猾の交通するの釁孼を杜ぎ、陪臣の貿易するの濫觴を節せば、国憲、海防両つながら之を得ん、等の因あり。移覆して司に到る。此れを准く。
又、都司李(〓(幺+月))の咨を准く。布政使司の咨を准くるに、前事あり、謝恩の夷船を酌議せよ、等の因あり。該本司、看得するに、該国の属夷、颶に遭いて漂泊し、院・道、恤するに衣糧を以てし船に附して帰国せしむ。茲に乃ち輸琛して表謝するは恭順嘉す可し。且つ先年、夷を恤するに拠り修謝するの事例は、名有るに属するに似たり。但だ、会典を査するに、貢は常期有りて時に非ざれば禁ず。該国は崇禎六年封を受けてより以来、四たび夷船を駕し、滄溟万里、向化の梯航を昭らかにするに足ると雖も、然れども一時に絡繹すれば恪守の甸服に非ざるを恐る。況んや近ごろ邸報に接するに、西北の番夷は、俱に守臣は人数を厳禁するの旨有り。即ち朝鮮は守礼の邦にして、節に明旨を奉じ、使臣の行李の往来は厳しく査験を加う。則ち該国の此の挙は、応に去留を裁酌して、以て瑣瀆を煩わすを無からしむべき者に似たるなり、等の因あり。備咨して司に到る。此れを准く。
該本司看得するに、属夷の貢享は例有り、期有り。撫照の典を示し、華夏の防を厳しくする所以なり。琉球は、受封以来、両年に四たび至る。之を五年の常貢に律するに、例として多く未だ合わず。謝恩、探聴と曰うに至りては名として多く未だ馴れず。天朝に在りては尊は穹窿に埒し。豈に梯航に籍りて遠きを示さんや。小夷に在りては誼として当に恭順なるべく、何ぞ繁縟なる輸誠を煩わさんや。潑即盧等、失風して閩に飄し、此の中の院・道、飼沫を量加するは、皇仁の浩蕩なるを体するに過ぎずして、恩を示すと曰うに匪ず。原より未だ奏請して以て伝宣するを待たず。寧くんぞ報謝を煩わさんや。乃ち箋を粛み物を備え耑ら使して来庭するは、総て該藩の新たに立ちて未だ故典を諳んぜず、臣下の借端し蛍惑するに縁る。然るに既に隆恩を受くれば、宜しく森憲に遵うべし。義例として無き所は、理として軽々しく徇い難し。況んや頻りに物力を労するをや。反って字小の仁に非ず。屢々宸厳を瀆すは豈に尊王の体を成さんや。且つ海氛尚お戒む。衣袽・郵伝は方に供億し難し。貿易の濫觴は当に杜ぐべく、煽誘の隠隙は宜しく防ぐべし。当に阻回すべきは、応に異議無かるべきに似たり。惟だ館の詳に拠るに、夷衆の籲称すらく、本船は桅を損して尚お出港し難し、と。統て□台の酌示して転行し遵照せしむるを候つ。未だ明文を奉ぜずして径に内地に入るに至りては、誰か指引を為せるや。則ち牙棍の接搆は虞る可く、攔阻を行わざれば、則ち官吏の疎玩は逭れ難し。更に憲断して飭行するを祈る。法を毖み威を申ぶれば、柔遠、戢奸両つながら之を得ん。呈を具して会詳す、等の縁繇あり。
批を奉ず。査するに拠るに、夷船の此に来れるは乃ち六年の失水し疾救せる小事なり。中国は広大にして地方の属弁は皆、溺るるを援け夷を活かすを得。当年は尋常と看作して、原より未だ天聴を瑣瀆せず。今、輒ち代りて聞するは的に義例無し。本院、貢疏の中に声説して明白にす。貢期・海禁は当に天語の申飭有れば、夷船は風を候ちて還国すべし。此に繳す、とあり。此れを奉ず。
依奉して福防館に備行し遵照して夷使に諭令して風を候ちて還国せしむ。其の進謝の方物は、館の詳に拠るに、査して義例無ければ以て上聞し難し。未だ批を奉ぜざるも司、盤験して来使の齎回を聴す。本司復た代りて呈詳して、船桅を葺し返棹して以て生還を保たしむ。合に就ち移知すべし。此の為に貢期・海禁の明旨の申飭、及び修船の縁繇の另文を将て移知するを除くの外、備繇して貴国に移咨す。請う、憲批内の事理に依り、査照して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。
右、琉球国に咨す
崇禎九年(一六三六)四月二十二日
注(1)沈(猶竜) 崇禎八年-十二年、福建巡撫に任。
(2)批 布政司がうけた沈(猶竜)の批は以下の「福州府署海防事…」より注(18)まで。
(3)福州府署海防事汀州府同知黄色中 海防は知府の下の同知(あるいはその下の通判)の職掌である。この職は『歴代宝案』の中ではしばしば「海防官(館)」と称される。署…事は代理の意味で、福州府の海防(同知)を臨時につとめる汀州府同知のことである。『乾隆福建通志』巻二六には汀州府同知黄色中の名がみえる。
(4)黄色中の呈 以下の「閩安鎮…」より注(11)まで。文中に明記されていないが、この呈は布政司に対して出され、さらに巡撫にとりついだものである。
(5)閩安鎮 福州府城の東、閩江の北岸にあり、現在は福州市に属する。明・清を通じて巡検司(次注参照)が置かれていた。
(6)巡簡 同じ発音の巡検のことと思われる。要衝の関津に設けられた巡検司では、往来の者の荷を検査し、犯罪人・逃亡者などを取り締った。巡検はその長で、配下に司吏・弓兵等を有する(『万暦会典』巻一三九、『万暦福州府志』巻一三)。
(7)卑職 官吏が自らを謙称していう語。ここでは閩安鎮巡簡のこと。
(8)職に到る 閩安鎮巡簡雷正化の報が、福州府署海防事汀州府同知黄色中のもとに到る。
(9)此れに拠る 拠此は、下級からの来文をうけたとき、その引用の帰結を示すため用いられる語で、これをうけた、の意。
(10)転報 とりついで報告する。
(11)等の縁繇あり 注(4)の黄色中の呈の終り。
(12)四たび至り… 崇禎六年十月十五日の呉鶴齢等による冊封謝恩、七年四月三日の鄭子廉等による探問、七年九月十一日の蔡錦等による入貢、及びこの度問題とされている八年二月十九日の鄭藩献等による失水謝恩、である。それぞれ〔一九-二一〕〔一九-二二〕、〔〇八-一六〕、〔二六-二六〕〔三三-一三〕を参照。
(13)義例 道理にかなった例。
(14)国憲 国のおきて。
(15)按都二司 按察司と都指揮司。
(16)兵海二道 兵備道と巡海道。
(17)惑誘の情弊 (悪事に)惑わし誘いこむ、という不祥事。
(18)另に申究を行え、とあり 注(1)の沈(猶竜)の批の終り。
(19)申究 念を入れて取り調べる。
(20)憲批 憲は上官にかかわることの尊称で、ここでは巡撫沈(猶竜)の批のこと。
(21)海防館に行す これは注(24)の箚付に同じ。以下より注(22)まで。
(22)以て憑りて転詳す 注(21)の行の終り。
(23)該館の詳 該館は海防館。詳文は、以下の「本司の箚付を蒙り…」より注(51)まで。この詳は布政司・按察司・兵備道・巡海道に提出された。
(24)本司の箚付を蒙り…憲牌を蒙る 海防館は布政司の箚付と、按察使・兵備道・巡海道からの憲牌をうけとった。以下は憲牌の内容で、注(27)まで。
(25)箚付 訓令文。上級官庁から下級へ行移する文書であるが、上司がその所属の下級衙門に給することが多い。
(26)布政司の照会 その内容は前の段落の「煩わくは…」から「転詳せん」まで。
(27)等の因あり 注(24)の海防館がうけた憲牌の終り。
(28)行令 命令を出す。
(29)本官の回称 海防館の通事官曾大正の回答。以下から注(49)まで。牌文は注(24)の憲牌のこと。
(30)長史鄭藩献等の口称 以下の「彼の国は…」より注(43)まで。なお、このとき鄭藩献等が齎していたのは表〔一三-一一〕、箋〔一三-一二〕、咨〔一九-二三〕、符文〔二六-二七〕、執照〔三三-一四〕である。
(31)麻姑山 宮古島。
(32)海壇 現在の平潭県海壇島。
(33)海壇遊 隆慶年間(一五六七-七二)の初め海壇島に遊兵鎮守が設けられた(『乾隆福建通志』巻一六)。
(34)署印通判 ここでは福州府海防館の責任者を代理でつとめていた通判と思われる。
(35)転解 取り次いで送る。
(36)両院 巡撫と巡按。
(37)豢養 庇護する。
(38)太平山の…事例 〔一八-一二〕を参照。
(39)随身 身におびる。
(40)按臨 その場におもむく。
(41)冊 帳簿、帳面。
(42)棲止 宿泊する。
(43)等の縁繇あり 注(30)の鄭藩献の口称はここまで。
(44)吊進 吊はひっかける。ここでは船を曳いて進ませるの意。
(45)中軍官 明代、要害の地に鎮が置かれたが、鎮を管轄するその統率者を鎮守総兵官といい、そのもとに参将、遊撃、守備、把総等がそれぞれ一路、一城などに分れて兵を統率した。鎮兵には付近の都指揮司・衛の兵を充当した。これらの補佐官のうち、中軍(中央軍、本陣のあるところ)で軍務にあたる者を中軍官といい、坐営中軍官、巡撫中軍官などの呼称がある(『明史』巻七六、職官)。
(46)篷 竹などを編んで舟の上を覆うもの。ここでは篷帆(船の帆をいう)のことか。
(47)撐駕 さおさす。船を動かす。
(48)憲奪 上官による可否の裁定。
(49)等の情あり 注(29)の通事官曾大正の海防館への呈の終り。
(50)職 海防館の担当者(黄色中)。
(51)等の縁繇あり 注(23)の海防館の詳の終り。
(52)司 福建布政司。
(53)海防館の呈 福建布政司が再びうけた海防館の呈。この呈は、注(23)の詳に対して巡海道の批(指示)をうけ、海防館が巡海道に出したものと同文である。以下の「巡海道の批を蒙る」より注(65)まで。また巡海道の批は注(56)まで。
(54)令甲 最初の第一令。漢代に昔の詔令を保存し発布の前後により令甲・令乙…といった。転じて広く政令の意。
(55)奸棍 悪者。
(56)繳す、とあり 注(53)の巡海道の批の終り。
(57)会典を査得するに…五年一貢 本文書の後半にも繰り返される、会典に五年一貢と記載されている叙述は、あるいは当時そのような新しい規定が会典に付してあって当地で参照されていたのであろうか。なお〔〇四-〇九〕を参照。現在見ることができる『万暦会典』の記載は二年一貢である。
(58)冊立 ここでは冊封に同じ。
(59)千石 不詳。
(60)上台 憲台に同じで、上役、上官のこと。
(61)牙棍 牙は仲買人。棍は悪党、無頼漢の類をいう。
(62)督令 督飭に同じか。監督命令する。
(63)怡山・琅岐 怡山は閩江県亭頭郷の怡山天妃宮のあったところか。琅岐は閩江口の琅岐島。
(64)会地に逼処し 会地は都会。ここでは府城にごく接近して、の意。
(65)等の縁繇あり 注(53)の布政司への海防館の呈の終り。
(66)牒呈 下級から上級へ送る公文書の一つ。布政司がうけた按察司の牒呈は以下の「福州府海防館の…」より注(71)まで。
(67)査詳 調査して詳文をもって報告する。詳は注(23)の詳。
(68)按察使盧 この時期に盧姓の按察使は見当らないが、当時福建の右布政使である盧洪珪が代理をつとめた可能性も無しとしない(『乾隆福州府志』巻二九)。
(69)矜全 あわれんで助力を与える。
(70)法守 おきて。規則。
(71)等の縁繇あり 注(66)の按察司の牒呈の終り。
(72)巡視海道帯管福州兵備道副使徐(応秋) 巡視海道と兵備道を兼ねる(按察司の)副使の徐(応秋)。巡海道や兵備道は按察司の副使あるいは僉事をもってその職にあてた。『乾隆福建通志』巻二一に按察使司副使徐応秋の名がある。以下の「福州府海防の…」より注(83)までがその兵備道としての牒呈。
(73)共 共は供に通ず。「共球」〔〇三-二一〕の注(4)を参照。
(74)要荒 要服と荒服。国都を離れた遠方の地をいう。
(75)匍匐 力をつくしていそぐ。
(76)怙冐 たよりいただく。
(77)涓滴 しずく。小さなもののたとえ。
(78)夷夏の防 夷夏は夷狄と中国。防はつつみ(堤)。
(79)牙儈 仲買人。転じて悪徳商人。
(80)稽詰 取り調べて詰問する。
(81)影射 いつわる。他人の名儀をかたる。
(82)主持 責任を負って処置する。
(83)等の縁繇あり 注(72)の巡視海道帯管福州兵備道副使徐の牒呈の終り。
(84)巡視海道兼理辺儲副使徐(応秋) 理辺儲は、辺境の倉庫に貯えた糧食を管理する役。道員は必ずしも一人がただ一つの職務を有するのでなく、多くの場合は兼管した。この副使徐は注(72)の徐と同一人。その巡海道としての牒呈は以下の「福州府海防館の…」より注(93)まで。
(85)批拠 批をもって命じた結果、その回答をうけること。この批は注(53)の巡海道の批である。また省略されている海防館の査詳は注(53)の呈と同内容。
(86)覆幬 おおいそだてる。
(87)彝章 常に守るべき法則。
(88)此の中の ここの。ここでは福建の。
(89)悞遣 あやまって派遣する。
(90)開端 きっかけ(を作る)。
(91)郵伝 駅から駅へ馬を継ぎ立て荷物などを送ること。駅伝に同じ。
(92)濫觴 事の初め。みなもと。
(93)等の因あり 注(84)の巡視海道兼理辺儲副使徐の牒呈の終り。
(94)都司李(〓(幺+月))の咨 以下の「布政使の咨を…」より注(102)まで。李〓(幺+月)は『同治福建通志』巻一〇六に名がある。
(95)都司 明では都指揮使司およびその長官の都指揮使を都司と略称した。一省の軍制を掌り、衛と千戸所を統轄した。布政司(行政)、按察司(司法)とならんで都布按三司といわれる。都指揮使の下に都指揮同知と僉事がいてこれを補佐する。なお清制の都司については〔〇九-一〇〕注(20)参照。
(96)絡繹 往来が続いて絶えないさま。
(97)甸服 この場合は、九服の一つ、王畿から四方へ去ること五百里から千里の間の五百里の地、すなわち郊外の地。
(98)邸報 京報ともいい、官報にあたる。諭旨・題奏やその他の公の事項を兵部から地方へ送達したもの。
(99)守臣 諸侯。
(100)節 ほどをわきまえる、の意。
(101)行李 手荷物。
(102)等の因あり 注(94)の都司李(〓(幺+月))の咨の終り。
(103)伝宣 勅命を伝達する。
(104)借端 あることにかこつけて事を起こす。
(105)森憲 おごそかなのり。おきて。
(106)海氛 本来は海辺の気のことであるが、倭寇を婉曲にいう。
(107)衣袽 ふつうの着物と綿入れの着物。
(108)統て 切に。請願の強調に用いる。
(109)疎玩 おろそかにし軽んじる。
(110)憲断 断は判断。憲は上官の言動に対する敬辞。
(111)戢奸 奸悪をおさめる、とどめる。
(112)等の縁繇あり 本文書の冒頭の「案照するに崇禎八年…」からここまでの全文は、布政司が巡撫に提出した呈詳であって、以下、巡撫はこれに批を下す。
(113)批 巡撫の批。注(112)参照。
(114)属弁 文武の官吏。
(115)当年 当時。あのとき。
(116)貢疏 〔〇八-一八〕に巡撫沈(猶竜)の題がある。
(117)繳す 注(113)の巡撫の批の終り。
(118)福防館 福州府海防館。
(119)貢期・海禁の明旨の申飭〔〇八-一八〕。
福建等処承宣布政使司、夷船を飛報する事の為にす。
案照するに、崇禎八年(一六三五)四月十一日、軍門都御史沈(猶竜)の批を奉ず。福州府署海防事汀州府同知黄色中の呈に拠る。閩安鎮巡簡雷正化の報に拠るに、本月初六日未時、夷船一隻有りて鎮を過ぎて港に進む。卑職、兵を督して査するに、琉球国中山王府の通事王克善に拠るに、差を奉じて長史鄭藩献等の官、水梢を率領し船隻に坐駕し方物もて前来し、謝恩す。三月内、開洋して本日鎮を過ぎて港に進む、等の情あり。職に到る。此れに拠る。具呈して転報す。照詳せよ、等の縁繇あり。批を奉ずるに、夷国の入貢謝恩は常期有り、限制有り。琉球は受封以来、両年の中、夷船凡そ四たび至り、既に謝恩せり。又、探聴を曰いて既に入貢せり。又、謝恩を曰うは、今、何の恩に謝する所かを知らず。須らく義例有らば乃ち敢えて上聞すべし。如し其れ上聞す可からざれば、決ず私かに閩地に留めしむるの理無し。且つ中山王は既に皇恩を受くれば当に国憲を明らかにすべし。此の船は定ず未だ必ずしも是れ本王の遣わす所ならず。如し誤遣に係わるも亦た、応に阻回して中国の法を申明すべし。布政司に仰くるに、按都二司・兵海二道と会同して来因を査問せよ。咨して該国に還し、以て本王の効順して法を守るを明らかならしめよ。其の通事・員役の惑誘の情弊の有りや無しやは、另に申究を行え、とあり。
此に依奉して、按都二司・兵海二道に備移す。煩わくは、憲批内の事理に依り、細査して明確ならしめんことを。即ちに繇もて覆するを希う、以て憑りて転詳せん、と。及び海防館に行するに、来船は何の因なるや、謝する所は何の恩なるや、載するは何の方物なるや、義例の有りや無しや、其の船の来れるは果たして国王の遣わす所なるや否や、符文・印信執照の有りや無しや、応に阻回すべきや否や、及び通事・員役の惑誘の情弊の有りや無しやを即ちに査し、逐一細査して明確にし、火速に具繇して詳報せよ。以て憑りて転詳す、とありて去後る。
続いて該館の詳もて称するに拠る。本司の箚付を蒙り、按察司・兵備道・巡海道の憲牌を蒙る。布政司の照会を准くるに、軍門都御史沈(猶竜)の批を奉ずるに、前繇に同じ。備牌して、館に仰くるに、即ちに前項の夷船の進港を査せよ。謝恩は是れ該国の遣わす所に係わるや否や、果たして例に合するや否や、細査して明確にし、具繇して詳報せよ。仍お船内を査して、夾帯する別項の貨物の有りや無しや、通事・員役の惑誘の情弊の有りや無しやを逐一究明し、併せて詳せよ。以て憑りて移覆し転詳す、等の因あり。此れを蒙り、随即に通事官曾大正に行令して夷船に前往し、査明し訳審せしめて去後る。
続いて本官の回称するに拠るに、牌文を遵奉して、(曾大)正等、随即に船に到りて訳査す。夷官の長史鄭藩献等の口称に拠るに、彼の国は天朝の洪恩に沐するも未だ万一を報ずるを得る能わず。茲に為せるは、崇禎六年(一六三三)、本国の轄島の麻姑山の属夷、米を運びて入琉し、冊封に供応し、事竣りて島に回るに風に遭い飄して海壇地方に至る。本船は礁に衝りて打破し、俱に水中に溺し、僅かに存する潑即盧等三十九名は、海壇遊把総楊止戈に洋を猟して救護せらる。署印通判に解送し、兵海二道爺に転解し、九月十四日に柔遠駅に発りて安挿し、已に請詳して両院の批允を蒙り、日に衣食を給して豢養す。幸いにして余生を得て保全して国に帰る。本国主、深恩に感激し天啓五年(一六二五)太平山の夷人の失水の事例に遵照して、今春、特に長史等の官共に六員、伴梢一百名を遣わし、海船一隻に坐駕し、方物を装載し、表箋文もて前来し、京に赴きて謝恩し、帯する所の随身の銀貨は常規にて按臨して盤験し、冊にて報ずるを聴候せしむ。献の船は、二月二十日に開洋し、駕して中海に到り、陡かに颶風に遭いて、船桅は打折し幾乎沈没せんとす。幸いに天恩の福祐を蒙り、飄して四月初六日に至りて方めて閩に抵り虞無きを得たり。切に、献の本船は海に在りて波濤の日久しく、船破れ損漏して棲止するに堪えず。方物を防るに、壊るる有らば罪責の軽きに匪ざるを恐る、等の縁繇あり。正等、夷官・夷衆に諭令して、一人も登岸を許さず。詳允を候ちて吊進せんとするに、続いて中軍官の、正等と同に、出港を諭令するを蒙る。奈んせん、船に桅無く、篷無く、撐駕するも前まず。伏して憲奪を乞う。今、査を行うを蒙りて、理として合に実に従り回報すべし。中間に並びに別夷を夾帯するの情弊無し。其の方物は、俱に符文・執照に載すれば、抄を備えて呈報す。伏して転詳せんことを乞う、等の情あり。職に到る。此れに拠る。理として合に回報し通詳すべし、等の縁繇あり、司に到る。此の案に拠る。
按都二司・兵海二道の来因を査明し繇もて覆し、具詳するを候つの間、又、海防館の呈に拠る。巡海道の批を蒙る。卑職の前の詳の縁繇に拠る。批を蒙るに、来享来王の制に定期有るは、惟だに以て小国奔命の労を恤するのみに非ず、亦た以て朝廷尊厳の体を彰らかにするなり。今、中山王、受封して甫めて両年にして使臣已に四たび至るは、令甲に非ざるに似たり。失水の夷を安挿するを以て遠来し謝恩して辞と為すに至りては、此れ柔遠の常にして事に於て頗る細なり。果たして以て軽々しく至尊を瀆す可けんや。海防館に仰くるに、憲牌に遵照し、会典を備査せよ。該国の来船の応に阻回すべきや否やは、三日内に確かに詳せよ。仍お通事・奸棍の交通して事を生ずるを厳禁す。司・道の詳示するを候て。繳す、とあり。此れを蒙り、該卑職、会典を査得するに、載する所は惟だ五年一貢の礼有るのみにして、并びに謝恩の事無し。受封して謝するは、猶お冊立の大典を曰うがごとし。遭風の潑即盧等、哀れみて食せしむるに至りては、院・道、一に矜恤の仁を念うに過ぎず。原より未だ朝廷に上聞せず。何ぞ此れに援りて名と為し、中国を窺伺するや。其の繇は、蓋し中山王、初めて立つに年少く、未だ故典を諳んぜずして其の臣下、中国に貿易して日本に転販するを利とするに縁るのみ。理として応に阻回し、再び計るを待たざるべし。猶お焉を説う有り。旧例として、貢船は必ず先ず梅花・千石の間に泊し、卑館、上台に報聞して、具に進泊を許すを候ち、方めて敢えて入港す。此の番の船は、命を請うに繇らずして径に内河へ入る。昨に之を論じて鎮外に退出せしむれども、漫に桅の折るるを以て詞と為す。夫れ桅の折るるも、以て逆水にして鎮内に入る可ければ、独以て順水にして鎮外に出ずる可からざらんや。内港は省城に迫近し、以て牙棍と交通す可きを利とするに非ざる無きのみ。宜しく一憲牌を発し、督令して鎮を出だしむべきに似たり。即え遽かに外洋に往くは便ならざるも、或いは恰山・琅岐の近処に在りて棲泊し、以て桅を葺するを俟ちて往かしめば、猶お会地に逼処して牙棍と交通するに至らざるがごときに庶からん。其れ閩鎮の文武の官吏の、入港を擅放し攔阻を行わざるに及びては、応に并びに議すべきに似たり、等の縁繇あり。司に到れば此れに拠る。
随いで按察司の牒呈を准く。福州府海防館の査詳に行処するに前繇あり。司に到れば此れに拠る。随いで該按察使盧、看得するに、夷国の入貢謝恩は俱に常制有り。今、琉球の貢船来りて泊するも、既に入貢の期に非ず。謝恩を称し、潑即盧を矜全するを以て名と為すに至りては、則ち此れ地方の柔遠の常事に係わり、原より未だ上聞せず。例として軽々しく瀆す無し。則ち咨して船隻を還さば、乃ち法守は之宜しく然るべし。再た旧例を査するに、貢船の内泊には必ず防館の申報を待つ。今、此の船は報聞を待たず径に内港に入る。是れ何れの情に属するや、当に併せて一体に申諭を行うべき所なり。仍お、該地方の内に入るを擅放し攔阻を為さざるの罪を究すれば、法守は彰明にして、功令は匪を画するに庶からん。朝廷の政を尊ぶ所以にして小国を訓す所以なり、等の縁繇あり。司に到る。此れを准く。
又、巡視海道帯管福州兵備道副使徐(応秋)の牒呈を准く。福州府海防の査詳に行拠するに前繇あり。此れに拠る。該本道看得するに、琉球は素より恭順の国を称し、累朝、浩蕩の恩に沐す。而して会典の貢期は必ず定むるに年を以てし、人・船皆之の限を為す。寧くんぞ属国向慕の誠を体せざらんや。正に高厚に仰酬するを以て、煩数を事とせず。共を明らかにして要荒を界別するも、屢々匍匐奔命せしめ難きなり。今、中山王、潑即盧等の漂泊して還り得たるを以て因りて使臣を遣わして表謝す。地方の官に在りては夷属を矜恤するは、原より以て皇仁を宣布するにして、聖明の怙冐は天の如し。豈に涓滴を以て徳を示さんや。況んや両年の内、夷船四たび閩中に至り、往来の跡、既に頻なり。夷夏の防、漸く弛む。万一浸淫に習熟すれば、奸人其の舶に附して以て通番し牙儈、其の人を誘いて釁を起こさん。舟の非時に至れるは稽詰に難きも将来突かに詐偽影射有らば意外は慮う可く、誰か其の咎を執らん。或いは該国、天恩を感念するも、備査するに暇あらず、夫の成憲は祖宗に于て立法するに定制の意は未だ之を深く思わず。例を創むるに、軽々しく阻回を開きて用て画一に遵うは未便なり。是れ貴司に在りて酌議し主持するのみ、等の縁繇あり。移覆して司に到る。此れを准く。
又、巡視海道兼理辺儲副使徐(応秋)の牒呈を准く。福州府海防館の査詳に批拠するに、前繇あり。道に到る。此れに拠る。該本道看得するに、朝廷の覆幬は無外にして、其の属国を待するに恩有り、礼有り。輸琛入貢に各々限制を為すは、著わして彝章に在り。数百年来、共に遵う所なり。中山王、新たに冊命を承け、業に其の方物もて闕廷に表謝し、已に恭順を明らかにす。属夷の、風に遭いて閩に泊し、此の中の院・道、案を査して優恤して之を遣わす若きは情理として宜しく爾るべし。原より未だ上聞せず。今、其の感激に拠り入謝するは、小国の誠を申ぶると云うと雖も、至尊を煩瀆し、実に未だ来王の例に合わず。該国王、新たに立ちて未だ典故を諳んぜず。或いは悞遣に属さんか。然るに向者に該国、三年両貢を求め、会議するに尚お会典と未だ合わざるを以て、敢えて軽々しく徇わず。則ち今日の来れるは、義例として無き所にして、開端は慮う可し。応に阻回して以て祖宗の制を守り、一に以て夷夏の防を存すべきに似たり。物力を惜しみて以て字小の仁を申べ、郵伝を省きて以て駅騒の累を免れ、奸猾の交通するの釁孼を杜ぎ、陪臣の貿易するの濫觴を節せば、国憲、海防両つながら之を得ん、等の因あり。移覆して司に到る。此れを准く。
又、都司李(〓(幺+月))の咨を准く。布政使司の咨を准くるに、前事あり、謝恩の夷船を酌議せよ、等の因あり。該本司、看得するに、該国の属夷、颶に遭いて漂泊し、院・道、恤するに衣糧を以てし船に附して帰国せしむ。茲に乃ち輸琛して表謝するは恭順嘉す可し。且つ先年、夷を恤するに拠り修謝するの事例は、名有るに属するに似たり。但だ、会典を査するに、貢は常期有りて時に非ざれば禁ず。該国は崇禎六年封を受けてより以来、四たび夷船を駕し、滄溟万里、向化の梯航を昭らかにするに足ると雖も、然れども一時に絡繹すれば恪守の甸服に非ざるを恐る。況んや近ごろ邸報に接するに、西北の番夷は、俱に守臣は人数を厳禁するの旨有り。即ち朝鮮は守礼の邦にして、節に明旨を奉じ、使臣の行李の往来は厳しく査験を加う。則ち該国の此の挙は、応に去留を裁酌して、以て瑣瀆を煩わすを無からしむべき者に似たるなり、等の因あり。備咨して司に到る。此れを准く。
該本司看得するに、属夷の貢享は例有り、期有り。撫照の典を示し、華夏の防を厳しくする所以なり。琉球は、受封以来、両年に四たび至る。之を五年の常貢に律するに、例として多く未だ合わず。謝恩、探聴と曰うに至りては名として多く未だ馴れず。天朝に在りては尊は穹窿に埒し。豈に梯航に籍りて遠きを示さんや。小夷に在りては誼として当に恭順なるべく、何ぞ繁縟なる輸誠を煩わさんや。潑即盧等、失風して閩に飄し、此の中の院・道、飼沫を量加するは、皇仁の浩蕩なるを体するに過ぎずして、恩を示すと曰うに匪ず。原より未だ奏請して以て伝宣するを待たず。寧くんぞ報謝を煩わさんや。乃ち箋を粛み物を備え耑ら使して来庭するは、総て該藩の新たに立ちて未だ故典を諳んぜず、臣下の借端し蛍惑するに縁る。然るに既に隆恩を受くれば、宜しく森憲に遵うべし。義例として無き所は、理として軽々しく徇い難し。況んや頻りに物力を労するをや。反って字小の仁に非ず。屢々宸厳を瀆すは豈に尊王の体を成さんや。且つ海氛尚お戒む。衣袽・郵伝は方に供億し難し。貿易の濫觴は当に杜ぐべく、煽誘の隠隙は宜しく防ぐべし。当に阻回すべきは、応に異議無かるべきに似たり。惟だ館の詳に拠るに、夷衆の籲称すらく、本船は桅を損して尚お出港し難し、と。統て□台の酌示して転行し遵照せしむるを候つ。未だ明文を奉ぜずして径に内地に入るに至りては、誰か指引を為せるや。則ち牙棍の接搆は虞る可く、攔阻を行わざれば、則ち官吏の疎玩は逭れ難し。更に憲断して飭行するを祈る。法を毖み威を申ぶれば、柔遠、戢奸両つながら之を得ん。呈を具して会詳す、等の縁繇あり。
批を奉ず。査するに拠るに、夷船の此に来れるは乃ち六年の失水し疾救せる小事なり。中国は広大にして地方の属弁は皆、溺るるを援け夷を活かすを得。当年は尋常と看作して、原より未だ天聴を瑣瀆せず。今、輒ち代りて聞するは的に義例無し。本院、貢疏の中に声説して明白にす。貢期・海禁は当に天語の申飭有れば、夷船は風を候ちて還国すべし。此に繳す、とあり。此れを奉ず。
依奉して福防館に備行し遵照して夷使に諭令して風を候ちて還国せしむ。其の進謝の方物は、館の詳に拠るに、査して義例無ければ以て上聞し難し。未だ批を奉ぜざるも司、盤験して来使の齎回を聴す。本司復た代りて呈詳して、船桅を葺し返棹して以て生還を保たしむ。合に就ち移知すべし。此の為に貢期・海禁の明旨の申飭、及び修船の縁繇の另文を将て移知するを除くの外、備繇して貴国に移咨す。請う、憲批内の事理に依り、査照して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。
右、琉球国に咨す
崇禎九年(一六三六)四月二十二日
注(1)沈(猶竜) 崇禎八年-十二年、福建巡撫に任。
(2)批 布政司がうけた沈(猶竜)の批は以下の「福州府署海防事…」より注(18)まで。
(3)福州府署海防事汀州府同知黄色中 海防は知府の下の同知(あるいはその下の通判)の職掌である。この職は『歴代宝案』の中ではしばしば「海防官(館)」と称される。署…事は代理の意味で、福州府の海防(同知)を臨時につとめる汀州府同知のことである。『乾隆福建通志』巻二六には汀州府同知黄色中の名がみえる。
(4)黄色中の呈 以下の「閩安鎮…」より注(11)まで。文中に明記されていないが、この呈は布政司に対して出され、さらに巡撫にとりついだものである。
(5)閩安鎮 福州府城の東、閩江の北岸にあり、現在は福州市に属する。明・清を通じて巡検司(次注参照)が置かれていた。
(6)巡簡 同じ発音の巡検のことと思われる。要衝の関津に設けられた巡検司では、往来の者の荷を検査し、犯罪人・逃亡者などを取り締った。巡検はその長で、配下に司吏・弓兵等を有する(『万暦会典』巻一三九、『万暦福州府志』巻一三)。
(7)卑職 官吏が自らを謙称していう語。ここでは閩安鎮巡簡のこと。
(8)職に到る 閩安鎮巡簡雷正化の報が、福州府署海防事汀州府同知黄色中のもとに到る。
(9)此れに拠る 拠此は、下級からの来文をうけたとき、その引用の帰結を示すため用いられる語で、これをうけた、の意。
(10)転報 とりついで報告する。
(11)等の縁繇あり 注(4)の黄色中の呈の終り。
(12)四たび至り… 崇禎六年十月十五日の呉鶴齢等による冊封謝恩、七年四月三日の鄭子廉等による探問、七年九月十一日の蔡錦等による入貢、及びこの度問題とされている八年二月十九日の鄭藩献等による失水謝恩、である。それぞれ〔一九-二一〕〔一九-二二〕、〔〇八-一六〕、〔二六-二六〕〔三三-一三〕を参照。
(13)義例 道理にかなった例。
(14)国憲 国のおきて。
(15)按都二司 按察司と都指揮司。
(16)兵海二道 兵備道と巡海道。
(17)惑誘の情弊 (悪事に)惑わし誘いこむ、という不祥事。
(18)另に申究を行え、とあり 注(1)の沈(猶竜)の批の終り。
(19)申究 念を入れて取り調べる。
(20)憲批 憲は上官にかかわることの尊称で、ここでは巡撫沈(猶竜)の批のこと。
(21)海防館に行す これは注(24)の箚付に同じ。以下より注(22)まで。
(22)以て憑りて転詳す 注(21)の行の終り。
(23)該館の詳 該館は海防館。詳文は、以下の「本司の箚付を蒙り…」より注(51)まで。この詳は布政司・按察司・兵備道・巡海道に提出された。
(24)本司の箚付を蒙り…憲牌を蒙る 海防館は布政司の箚付と、按察使・兵備道・巡海道からの憲牌をうけとった。以下は憲牌の内容で、注(27)まで。
(25)箚付 訓令文。上級官庁から下級へ行移する文書であるが、上司がその所属の下級衙門に給することが多い。
(26)布政司の照会 その内容は前の段落の「煩わくは…」から「転詳せん」まで。
(27)等の因あり 注(24)の海防館がうけた憲牌の終り。
(28)行令 命令を出す。
(29)本官の回称 海防館の通事官曾大正の回答。以下から注(49)まで。牌文は注(24)の憲牌のこと。
(30)長史鄭藩献等の口称 以下の「彼の国は…」より注(43)まで。なお、このとき鄭藩献等が齎していたのは表〔一三-一一〕、箋〔一三-一二〕、咨〔一九-二三〕、符文〔二六-二七〕、執照〔三三-一四〕である。
(31)麻姑山 宮古島。
(32)海壇 現在の平潭県海壇島。
(33)海壇遊 隆慶年間(一五六七-七二)の初め海壇島に遊兵鎮守が設けられた(『乾隆福建通志』巻一六)。
(34)署印通判 ここでは福州府海防館の責任者を代理でつとめていた通判と思われる。
(35)転解 取り次いで送る。
(36)両院 巡撫と巡按。
(37)豢養 庇護する。
(38)太平山の…事例 〔一八-一二〕を参照。
(39)随身 身におびる。
(40)按臨 その場におもむく。
(41)冊 帳簿、帳面。
(42)棲止 宿泊する。
(43)等の縁繇あり 注(30)の鄭藩献の口称はここまで。
(44)吊進 吊はひっかける。ここでは船を曳いて進ませるの意。
(45)中軍官 明代、要害の地に鎮が置かれたが、鎮を管轄するその統率者を鎮守総兵官といい、そのもとに参将、遊撃、守備、把総等がそれぞれ一路、一城などに分れて兵を統率した。鎮兵には付近の都指揮司・衛の兵を充当した。これらの補佐官のうち、中軍(中央軍、本陣のあるところ)で軍務にあたる者を中軍官といい、坐営中軍官、巡撫中軍官などの呼称がある(『明史』巻七六、職官)。
(46)篷 竹などを編んで舟の上を覆うもの。ここでは篷帆(船の帆をいう)のことか。
(47)撐駕 さおさす。船を動かす。
(48)憲奪 上官による可否の裁定。
(49)等の情あり 注(29)の通事官曾大正の海防館への呈の終り。
(50)職 海防館の担当者(黄色中)。
(51)等の縁繇あり 注(23)の海防館の詳の終り。
(52)司 福建布政司。
(53)海防館の呈 福建布政司が再びうけた海防館の呈。この呈は、注(23)の詳に対して巡海道の批(指示)をうけ、海防館が巡海道に出したものと同文である。以下の「巡海道の批を蒙る」より注(65)まで。また巡海道の批は注(56)まで。
(54)令甲 最初の第一令。漢代に昔の詔令を保存し発布の前後により令甲・令乙…といった。転じて広く政令の意。
(55)奸棍 悪者。
(56)繳す、とあり 注(53)の巡海道の批の終り。
(57)会典を査得するに…五年一貢 本文書の後半にも繰り返される、会典に五年一貢と記載されている叙述は、あるいは当時そのような新しい規定が会典に付してあって当地で参照されていたのであろうか。なお〔〇四-〇九〕を参照。現在見ることができる『万暦会典』の記載は二年一貢である。
(58)冊立 ここでは冊封に同じ。
(59)千石 不詳。
(60)上台 憲台に同じで、上役、上官のこと。
(61)牙棍 牙は仲買人。棍は悪党、無頼漢の類をいう。
(62)督令 督飭に同じか。監督命令する。
(63)怡山・琅岐 怡山は閩江県亭頭郷の怡山天妃宮のあったところか。琅岐は閩江口の琅岐島。
(64)会地に逼処し 会地は都会。ここでは府城にごく接近して、の意。
(65)等の縁繇あり 注(53)の布政司への海防館の呈の終り。
(66)牒呈 下級から上級へ送る公文書の一つ。布政司がうけた按察司の牒呈は以下の「福州府海防館の…」より注(71)まで。
(67)査詳 調査して詳文をもって報告する。詳は注(23)の詳。
(68)按察使盧 この時期に盧姓の按察使は見当らないが、当時福建の右布政使である盧洪珪が代理をつとめた可能性も無しとしない(『乾隆福州府志』巻二九)。
(69)矜全 あわれんで助力を与える。
(70)法守 おきて。規則。
(71)等の縁繇あり 注(66)の按察司の牒呈の終り。
(72)巡視海道帯管福州兵備道副使徐(応秋) 巡視海道と兵備道を兼ねる(按察司の)副使の徐(応秋)。巡海道や兵備道は按察司の副使あるいは僉事をもってその職にあてた。『乾隆福建通志』巻二一に按察使司副使徐応秋の名がある。以下の「福州府海防の…」より注(83)までがその兵備道としての牒呈。
(73)共 共は供に通ず。「共球」〔〇三-二一〕の注(4)を参照。
(74)要荒 要服と荒服。国都を離れた遠方の地をいう。
(75)匍匐 力をつくしていそぐ。
(76)怙冐 たよりいただく。
(77)涓滴 しずく。小さなもののたとえ。
(78)夷夏の防 夷夏は夷狄と中国。防はつつみ(堤)。
(79)牙儈 仲買人。転じて悪徳商人。
(80)稽詰 取り調べて詰問する。
(81)影射 いつわる。他人の名儀をかたる。
(82)主持 責任を負って処置する。
(83)等の縁繇あり 注(72)の巡視海道帯管福州兵備道副使徐の牒呈の終り。
(84)巡視海道兼理辺儲副使徐(応秋) 理辺儲は、辺境の倉庫に貯えた糧食を管理する役。道員は必ずしも一人がただ一つの職務を有するのでなく、多くの場合は兼管した。この副使徐は注(72)の徐と同一人。その巡海道としての牒呈は以下の「福州府海防館の…」より注(93)まで。
(85)批拠 批をもって命じた結果、その回答をうけること。この批は注(53)の巡海道の批である。また省略されている海防館の査詳は注(53)の呈と同内容。
(86)覆幬 おおいそだてる。
(87)彝章 常に守るべき法則。
(88)此の中の ここの。ここでは福建の。
(89)悞遣 あやまって派遣する。
(90)開端 きっかけ(を作る)。
(91)郵伝 駅から駅へ馬を継ぎ立て荷物などを送ること。駅伝に同じ。
(92)濫觴 事の初め。みなもと。
(93)等の因あり 注(84)の巡視海道兼理辺儲副使徐の牒呈の終り。
(94)都司李(〓(幺+月))の咨 以下の「布政使の咨を…」より注(102)まで。李〓(幺+月)は『同治福建通志』巻一〇六に名がある。
(95)都司 明では都指揮使司およびその長官の都指揮使を都司と略称した。一省の軍制を掌り、衛と千戸所を統轄した。布政司(行政)、按察司(司法)とならんで都布按三司といわれる。都指揮使の下に都指揮同知と僉事がいてこれを補佐する。なお清制の都司については〔〇九-一〇〕注(20)参照。
(96)絡繹 往来が続いて絶えないさま。
(97)甸服 この場合は、九服の一つ、王畿から四方へ去ること五百里から千里の間の五百里の地、すなわち郊外の地。
(98)邸報 京報ともいい、官報にあたる。諭旨・題奏やその他の公の事項を兵部から地方へ送達したもの。
(99)守臣 諸侯。
(100)節 ほどをわきまえる、の意。
(101)行李 手荷物。
(102)等の因あり 注(94)の都司李(〓(幺+月))の咨の終り。
(103)伝宣 勅命を伝達する。
(104)借端 あることにかこつけて事を起こす。
(105)森憲 おごそかなのり。おきて。
(106)海氛 本来は海辺の気のことであるが、倭寇を婉曲にいう。
(107)衣袽 ふつうの着物と綿入れの着物。
(108)統て 切に。請願の強調に用いる。
(109)疎玩 おろそかにし軽んじる。
(110)憲断 断は判断。憲は上官の言動に対する敬辞。
(111)戢奸 奸悪をおさめる、とどめる。
(112)等の縁繇あり 本文書の冒頭の「案照するに崇禎八年…」からここまでの全文は、布政司が巡撫に提出した呈詳であって、以下、巡撫はこれに批を下す。
(113)批 巡撫の批。注(112)参照。
(114)属弁 文武の官吏。
(115)当年 当時。あのとき。
(116)貢疏 〔〇八-一八〕に巡撫沈(猶竜)の題がある。
(117)繳す 注(113)の巡撫の批の終り。
(118)福防館 福州府海防館。
(119)貢期・海禁の明旨の申飭〔〇八-一八〕。