琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-03-12 国王尚貞の、赴京の使臣の接回のため都通事陳其湘等を遣わすむねの執照(一七〇五、一〇、一九)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の官員を接回する事の為にす。
切照するに、康煕四十三年、乃ち当に貢すべきの期なり。特に耳目官温開栄・正議大夫蔡肇功等を遣わし、梢役を帯領し海船二隻に坐駕して表文・方物を齎捧せしむ。已経に貴司に移咨し、起送して京に赴き、恭しく四十三年の貢典を進むる外、都通事毛文英・使者夏降安等を摘回するに至りては、仍お原船二隻に坐し、本年七月内に于て国に還るを見るを得たり。但だ入覲の官伴及び存留の官伴は、向例として該国、船を発して接回す。久しく閩の地に淹りて以て天朝の廩餼を糜すに至らず。此の為に特に都通事
陳其湘・使者明啓賢等を遣わして、水梢・人伴共に八十員名を率領し、海船一隻に坐駕して前来し、皇上の勅書併びに欽賞の物件を迎接し、貢使温開栄等と同に一斉に国に回らしめんとす。
茲に所拠の差去する員役は別に文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に理として合に執照を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第八十号半印勘合の執照を給して存留通事毛士豊等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
都通事一員 陳其湘 人伴四名
使者二員 明啓賢・益子義 人伴八名
存留通事一員 毛士豊 人伴四名
管船火長・直庫二名 楊宗易・長立功
水梢共に五十八名
右の執照は存留通事毛士豊等に付す。此れを准ず
康煕四十四年(一七〇五)十月十九日給す

注(1)都通事 「都」の字、校訂本では欠落。
(2)毛士豊 一六七三-一七一〇年。久米村毛氏(与世山家)四世。和宇慶里之子親雲上。都通事(『家譜(二)』七一〇頁)。
(3)楊宗易 校訂本は「揚宗易」とするも、家譜等により「楊宗易」とす(『家譜(二)』七八二頁参照)。
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