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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-13 世子尚寧の、進貢謝恩のため長史鄭俊等を遣わす符文(一六〇五、一〇、二〇)
琉球国中山王世子尚(寧)、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に長史・使者・通事等の官の鄭俊等を遣わし、表箋文各一通を齎捧せしむ。海船一隻に坐駕し、馬四匹・生硫黄一万斤・金結束黒漆鞘金起沙魚皮靶腰刀二把・銀結束黒漆鞘銀起沙魚皮靶腰刀二把・鍍金銅結束黒漆鞘沙魚皮靶腰刀二十把・鍍金銅結束黒漆鞘衮刀一十把・鍍金銅結束黒漆鞘鎗一十把・細嫩練光蕉布二十匹・紅花二百斤・土扇一百把を装載して京に赴き、進貢し謝恩す。所拠りて今齎捧する方物は、仍お礼部に赴き告申して進収せしむる外、今、洪字第三十六号半印勘合符文を給し、都通事阮明等に付し、収執して前去せしむ。如し沿途の経過の各該地方の関津把隘の去処及び駅逓・巡司等の衙門の官吏は、往廻して彼に到るに遇わば、即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋れ。須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
長史一員 鄭俊 人伴一十名
使者一員 毛鳳朝 人伴五名
都通事一員 阮明 人伴三名
存留在船使者二員 毛喜 馬三魯 人伴四名
存留在船通事一員 林世重 人伴二名
管船火長・直庫二員 鄭徳 嘉尼
貢謝の方物を除く外、附搭の土夏布二百匹
右の符文は都通事阮明等に付し、此れに准ぜしむ
万暦三十三年(一六〇五)十月二十日給す
符文
注*『明実録』万暦三十四年九月癸未・十月壬子の条に関連の記事がある。
(1)阮明 ?-一六〇七年。久米村阮氏(濱比嘉家)一世。福建漳州府竜溪県の人。万暦十九年に来琉、三十五年の進貢のあと北京から福建へ帰って没す(『家譜(二)』一七六頁)とあり、実際の没年は一六〇八年か。
琉球国中山王世子尚(寧)、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に長史・使者・通事等の官の鄭俊等を遣わし、表箋文各一通を齎捧せしむ。海船一隻に坐駕し、馬四匹・生硫黄一万斤・金結束黒漆鞘金起沙魚皮靶腰刀二把・銀結束黒漆鞘銀起沙魚皮靶腰刀二把・鍍金銅結束黒漆鞘沙魚皮靶腰刀二十把・鍍金銅結束黒漆鞘衮刀一十把・鍍金銅結束黒漆鞘鎗一十把・細嫩練光蕉布二十匹・紅花二百斤・土扇一百把を装載して京に赴き、進貢し謝恩す。所拠りて今齎捧する方物は、仍お礼部に赴き告申して進収せしむる外、今、洪字第三十六号半印勘合符文を給し、都通事阮明等に付し、収執して前去せしむ。如し沿途の経過の各該地方の関津把隘の去処及び駅逓・巡司等の衙門の官吏は、往廻して彼に到るに遇わば、即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋れ。須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
長史一員 鄭俊 人伴一十名
使者一員 毛鳳朝 人伴五名
都通事一員 阮明 人伴三名
存留在船使者二員 毛喜 馬三魯 人伴四名
存留在船通事一員 林世重 人伴二名
管船火長・直庫二員 鄭徳 嘉尼
貢謝の方物を除く外、附搭の土夏布二百匹
右の符文は都通事阮明等に付し、此れに准ぜしむ
万暦三十三年(一六〇五)十月二十日給す
符文
注*『明実録』万暦三十四年九月癸未・十月壬子の条に関連の記事がある。
(1)阮明 ?-一六〇七年。久米村阮氏(濱比嘉家)一世。福建漳州府竜溪県の人。万暦十九年に来琉、三十五年の進貢のあと北京から福建へ帰って没す(『家譜(二)』一七六頁)とあり、実際の没年は一六〇八年か。