琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-04-19 国王尚貞の、進貢のため耳目官向英等を遣わすむねの符文(一七〇八、一〇、□)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕四十七年の貢期に当り、特に耳目官向英・正議大夫毛文哲・都通事陳其湘等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第八十六号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第八十七号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第八十五号半印勘合の符文を給して都通事陳其湘等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 向英 人伴一十二名
正議大夫一員 毛文哲 人伴一十二名
都通事一員 陳其湘 人伴七名
在船都通事二員 曾暦/紅永祚 人伴八名
在船使者四員 毛承詔 徐天柱/姚元柱 伊善遴 人伴十六名
存留通事一員 蔡温 人伴六名
在船通事一員 梁天驥 人伴四名
管船火長・直庫四名 玩継南 金章/池徳美 長立功
右の符文は都通事陳其湘等に付す。此れを准ず
康煕四十七年(一七〇八)十月 日 給す

注(1)毛承詔 生没年不詳。石川親雲上安政(『家譜(二)』八〇・三九六頁、金振・曾信の譜ほか)。
(2)蔡温 一六八二-一七六一年。久米村蔡氏(具志頭家)十一世。具志頭親方。法司官に陞る(『家譜(二)』三六五頁)。さまざまな政治的功績のほか政治・経済・哲学・科学などにわたる多くの著書がある(沖縄歴史研究会編『蔡温選集』一九六七年、参照)。
(3)梁天驥 程順則『廟学紀略』に訓詁師として名がある(『家譜(二)』五五三頁、程順則の譜)。
(4)阮継南 一六八七-一七〇九年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。この進貢の際、康煕四十八年六月十三日、福建を出航して帰国の途次に暴風のため船が沈没して死去した(『家譜(二)』一六〇頁)。
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