琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-39-08 満剌加国王より琉球国あて、返礼の咨と、琉球船の乗員に非行があり今後の人選を求める追記(一四七〇、三、□)
満剌加国王、琉球国王殿下に回咨す。
恭しく審らかにするに、賢王、福禄の無疆なるは浩天の庇なり。曷んぞ永昌に勝えん。毎に貴国の聘する所を受くるも、未だ微物もて酬称せざるを愧ず。歳歳貿易に来往するに、未だ曾て毫厘の軽んずる所あらず。四海の内皆兄弟なり。本より遣使し前来して聘を致し交通せんと欲するも、奈んせん、水途を熟らざるは未便なり。卑咨、以て聞す。望むらくは為に喜納せよ。今、微物有り、貴舶に就寄し聘を致し回礼す。具して後に開す。須らく咨に至るべき者なり。
今、回聘の礼物を開す
喏哪哩一匹 細紹達布四匹
苾布五匹  紹達布四十匹
右、琉球国に咨す
復た賢王殿下に奉る
毎歳差来の使臣・通事は俱に好し。只だ是れ以下の頭首、甚だしきは非を為すに至る。勧諭を聴かず争闘を行わんと欲す。実に是れ州府を攪擾す。後年には乞う、的当の人員を差わし前来し交通せしめんことを。両便を得るに庶からん。卑咨もて復た聞す。
成化六年(一四七〇)三月 日
咨

注(1)回咨 〔四一-一四〕への返事の咨。
(2)貴舶 〔四一-一四〕を携えた船。
(3)喏哪哩 未詳。A.Kobata,M.Matsuda.1969.Ryukyuan Relation with Korea and South Sea Countries.Kyoto,p.197.は、『諸蕃志』蘆眉国の条にある越諾布(西アジアの各地で作られる上等のモスリンの一種)か、とする。
(4)細紹達布 〔三九-〇四〕注(4)参照。
(5)苾布 インド産の綿織物の一種の、ベイラメ(トメ・ピレス『東方諸国記』一九七頁および一九八頁の訳注)。『島夷志略』朋加剌(ベンガル)の条にその物産として「苾布」がある。また『瀛涯勝覧』榜葛剌国(ベンガル)の条には「蓽布。番名卑泊。闊三尺余。長五丈六、七尺。此布匀細如粉箋一般」とある。『万暦会典』によれば苾布は暹羅、爪哇、満剌加、三仏斉などの国々が中国への貢物とした。
(6)以下の頭首 通事よりも下のもの。〔四一-一六〕では「下人」とある。
(7)攪擾 かきみだす。
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