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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-30-20 世子尚元の、冊封の勅書を迎接するため長史梁炫等を遣わす執照(一五五八、一〇、一〇)
琉球国中山王世子尚元、勅書を迎接す等の事の為にす。
近ごろ長史蔡朝器等を差わし、請封の事もて奏聞せしむるに、已に、欽差の給事中・行人等の官の海船に坐駕し国に到りて封建せしむ等の因あるを蒙る。理として合に上年の封建の事例に照依すべし。今、特に長史梁炫、使者呉中城、都通事金昇・鄭憲等を差わし、本国の小船一隻に坐駕し、夷梢を率領して福建の処所に前去し、詔勅等の書を迎接し、船隻を導引して国に到らしむ。途に在りて事に悞れて便ならざるを得しむる毋れ。王府、除外に今、宇字六号半印勘合執照を給付し、都通事鄭憲等に付して収執せしむ。須らく出給に至るべき者なり。
今開す
長史一員 梁炫 人伴十名
使者三員 呉中城 馬慶 呉蒙達 人伴九名
都通事一員 鄭憲 人伴三名
副通事一員 鄭禄 人伴二名
管船火長・直庫二名 林泰 越都郎
使の船隻を導駕する都通事一員 金昇 人伴五名
看針舎人二名
風勢を慣知する夷梢二名
嘉靖三十七年(一五五八)十月初十日
右の執照は長史梁炫・都通事鄭憲等に付し、此れに准ぜしむ
天使を迎接/する事の為にす 執照
注*本文書に関わる冊封使郭汝霖には『使琉球録』(米国議会図書館蔵)の編著がある。〔二五-三二〕参照。
(1)蔡朝器等を差わし…奏聞せしむ 『明実録』嘉靖三十六年十二月丙申の条に蔡廷会等の入貢と請封の記事がある(蔡朝器は蔡廷会と同時に三十六年二月に派遣されている。〔二五-三一〕参照)。
(2)欽差の給事中・行人等の官…等の因あるを蒙る 冊封使派遣が決定したことをさす。郭汝霖『使琉球録』によると、三十七年二月二十六日に刑科給事中呉時来・行人司行人李際春が冊封使に任命されたが、四月二日に呉時来から刑科右給事中郭汝霖に変更となった。『明実録』は郭汝霖派遣の決定を四月戊寅朔の条に記し、三月丙子の条には呉時来の登用中止の事情を、九月壬辰の条には郭汝霖が吏科左給事中に陞ったことを記す。
(3)導駕 以下の看針舎人、風勢を慣知する水梢らと共に冊封使の船隻に同船して航海を補佐すること。
(4)二名 〔三〇-二一〕には二十名とあり、他の冊封使の迎接や護送の夷梢(〔一九-〇六〕〔三〇-二七〕〔三三-〇五〕)も二十名である。正しくは二十名であろう。
琉球国中山王世子尚元、勅書を迎接す等の事の為にす。
近ごろ長史蔡朝器等を差わし、請封の事もて奏聞せしむるに、已に、欽差の給事中・行人等の官の海船に坐駕し国に到りて封建せしむ等の因あるを蒙る。理として合に上年の封建の事例に照依すべし。今、特に長史梁炫、使者呉中城、都通事金昇・鄭憲等を差わし、本国の小船一隻に坐駕し、夷梢を率領して福建の処所に前去し、詔勅等の書を迎接し、船隻を導引して国に到らしむ。途に在りて事に悞れて便ならざるを得しむる毋れ。王府、除外に今、宇字六号半印勘合執照を給付し、都通事鄭憲等に付して収執せしむ。須らく出給に至るべき者なり。
今開す
長史一員 梁炫 人伴十名
使者三員 呉中城 馬慶 呉蒙達 人伴九名
都通事一員 鄭憲 人伴三名
副通事一員 鄭禄 人伴二名
管船火長・直庫二名 林泰 越都郎
使の船隻を導駕する都通事一員 金昇 人伴五名
看針舎人二名
風勢を慣知する夷梢二名
嘉靖三十七年(一五五八)十月初十日
右の執照は長史梁炫・都通事鄭憲等に付し、此れに准ぜしむ
天使を迎接/する事の為にす 執照
注*本文書に関わる冊封使郭汝霖には『使琉球録』(米国議会図書館蔵)の編著がある。〔二五-三二〕参照。
(1)蔡朝器等を差わし…奏聞せしむ 『明実録』嘉靖三十六年十二月丙申の条に蔡廷会等の入貢と請封の記事がある(蔡朝器は蔡廷会と同時に三十六年二月に派遣されている。〔二五-三一〕参照)。
(2)欽差の給事中・行人等の官…等の因あるを蒙る 冊封使派遣が決定したことをさす。郭汝霖『使琉球録』によると、三十七年二月二十六日に刑科給事中呉時来・行人司行人李際春が冊封使に任命されたが、四月二日に呉時来から刑科右給事中郭汝霖に変更となった。『明実録』は郭汝霖派遣の決定を四月戊寅朔の条に記し、三月丙子の条には呉時来の登用中止の事情を、九月壬辰の条には郭汝霖が吏科左給事中に陞ったことを記す。
(3)導駕 以下の看針舎人、風勢を慣知する水梢らと共に冊封使の船隻に同船して航海を補佐すること。
(4)二名 〔三〇-二一〕には二十名とあり、他の冊封使の迎接や護送の夷梢(〔一九-〇六〕〔三〇-二七〕〔三三-〇五〕)も二十名である。正しくは二十名であろう。