{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
1-27-15 国王尚貞の、進貢のため耳目官毛起竜等を遣わす符文(一六八八、九、一五)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
旨の二年一貢を奉じ、欽遵せるは案に在り。査照するに、康煕二十七年(一六八八)は貢に当るの期なれば敢えて愆越せず。此の為に今、耳目官・正議大夫・都通事等の官の毛起竜・蔡鐸・蔡応瑞等を遣わし、表・咨を齎捧して前来し進貢せしむ。因りて海船二隻を備えて水梢を率領するに、毎船に均幇する上下の員役は共に二百人の数に盈たず。煎熟硫黄一万二千六百斤・海螺殻三千個・紅銅三千斤を載運して福建等処承宣布政使司に前赴して投納し、京に赴く。
拠りて差去する員役は、并びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に今、王府、義字第四十四号半印勘合符文を給して都通事蔡応瑞等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
耳目官一員 毛起竜 人伴一十三名
正議大夫一員 蔡鐸 人伴一十三名
都通事一員 蔡応瑞 人伴六名
在船都通事二員 金世銘 林正茂 人伴八名
在船使者四員 趙世勲 武国翰 方宏宗 豊忠勲 人伴一十六名
存留通事一員 蔡灼 人伴六名
在船通事一員 魏士哲 人伴四名
管船火長・直庫四名 阮維嶽 阮邦俊 汪可嘉 丙起才
右の符文は都通事蔡応瑞等に付し、此れに准ぜしむ
康煕二十七年(一六八八)九月十五日給す
符文
注*この進貢については『清実録』康煕二十八年十月甲子の条に記事がある。
(1)汪可嘉 この時の執照〔三五-一一〕では汪可喜。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
旨の二年一貢を奉じ、欽遵せるは案に在り。査照するに、康煕二十七年(一六八八)は貢に当るの期なれば敢えて愆越せず。此の為に今、耳目官・正議大夫・都通事等の官の毛起竜・蔡鐸・蔡応瑞等を遣わし、表・咨を齎捧して前来し進貢せしむ。因りて海船二隻を備えて水梢を率領するに、毎船に均幇する上下の員役は共に二百人の数に盈たず。煎熟硫黄一万二千六百斤・海螺殻三千個・紅銅三千斤を載運して福建等処承宣布政使司に前赴して投納し、京に赴く。
拠りて差去する員役は、并びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に今、王府、義字第四十四号半印勘合符文を給して都通事蔡応瑞等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
耳目官一員 毛起竜 人伴一十三名
正議大夫一員 蔡鐸 人伴一十三名
都通事一員 蔡応瑞 人伴六名
在船都通事二員 金世銘 林正茂 人伴八名
在船使者四員 趙世勲 武国翰 方宏宗 豊忠勲 人伴一十六名
存留通事一員 蔡灼 人伴六名
在船通事一員 魏士哲 人伴四名
管船火長・直庫四名 阮維嶽 阮邦俊 汪可嘉 丙起才
右の符文は都通事蔡応瑞等に付し、此れに准ぜしむ
康煕二十七年(一六八八)九月十五日給す
符文
注*この進貢については『清実録』康煕二十八年十月甲子の条に記事がある。
(1)汪可嘉 この時の執照〔三五-一一〕では汪可喜。