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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
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- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-31-17 国王尚敬の、中国難民を護送するため都通事陳以桂等を派遣するむねの執照(乾隆十五《一七五〇》、三、二十)
琉球国中山王尚(敬)、難民を解送し、以て原籍に還す事の為にす。
切するに、乾隆十四年十一月間、福建省泉州府同安県の商人・舵工李順等、共計二十四名、船一隻に駕し、前みて山東に至りて貿易す。時に搭客七名及び汀漳道爺家の人一名、漳州府龍溪県の商船の水手五名有り。本船に附搭するもの共計三十七名なり。彼の地を放洋するに、陡かに颶風に遭い、由論島地方に飄到し、礁に衝りて打破す。其の内、二十名は失水して溺死す。又、江南蘇州府常熟県の商人・船戸沈恵等、共計十二名有り。船一隻に駕し、徳島地方に飄到し、礁に衝りて破壊す。又、江南蘇州府常熟県の商人・船戸陶寿等、共計十七名有り。船一隻に駕し、永良部地方に飄到す。海礁の破るる所と為る。又、直隷順天府天津県の商人・船戸田聖思等、共計二十人有り。大島地方に漂到す。本船甚だ古く修葺加え難し。乃ち已むを得ず、便ち其の船を将て焼化す。幸い宝山県の商民瞿元茂の船隻の飄来して大島に在りて風を俟つ。是に由り田聖思の船上の夥長桑国祥を瞿元茂の船上に附搭し、以て原籍に還らしむるの外、共計するに現在するは一十九名なり。又、福建泉州府晋江県の商人・船戸王源利等、共計二十六名有り。船一隻に駕して大島に飄到し、礁に衝りて擱破す。又、福建漳州府龍溪県の商人、船戸林順泰等三十二名有り。船一隻に駕して大島に飄到し、礁に衝りて打壊す。幸いに鎮洋県の江全美の船隻、飄して大島に在りて風を候つ。因りて客人程其倫等十名を将て全美の船上に附搭し、以て本国に還らしむるの外、共計するに現在する商民は二十二名なり。
切想するに、六船の難民、共計一百一十三名は、回すべき船無し。因りて各地方の官をして各難民を将て解送せしめ、転じて中山に至り、即便に館に発りて安挿し、廩餼を給与して収養す。応に部文内の奉旨の事理に遵いて解送して閩に至らしむ。茲に風の便なるに遇えば、特に都通事陳以桂等を遣わし、梢役共計五十二員名を帯領して海船一隻に坐駕し、難民一百一十三名を将て解送して前去せしむ。若し文憑無ければ、所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に王府、礼字第五十六号の半印勘合の執照を給し、都通事陳以桂等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
護送の都通事一員 陳以桂 人伴四名
司養贍大使一員毛開烈 人伴四名
管船夥長・直庫二名 鄭鴻勲 安克昌
水梢共に四十名
同安県の舵工 李順 水手 陳有 洪才
李増 陳捷 蔡喜 洪福 銭発
陳利 許吉 林元 林申 李貴
金茂盛の船の水手一名 溥得
陳合盛の船の水手三名 陳武 張富 林福
已上、共計十七名
計開、所撈の物件
一、粉乾二包 一、棕索十三綑
一、麻索一条 一、木箱一―内に衣服を蔵す
一、包衣袱一十七綑 一、棉花三包
一、青豆一包 一、雨傘一枝
一、木箱一個―内に神身五位を蔵す
一、竹箱一個―内に棉花を蔵す 一、馬包三件
一、棕衣四領 一、柳𥴊九個
一、鉄輪并びに鉄釘―共に重さ一千七百九十四斤
一、斧頭一柄
常熟県の船戸 沈恵 舵工 王二
水手 劉三 管五 呉卯 曹二 曹八
田四 陞関 馬寿
客人 邵誉士 劉寅官
已上、共計十二名
計開、所撈の物件
一、黄豆六十包 一、竹箱一隻
一、金鑼一面 一、棕索三条
一、衣服袱十二包 一、被褥十二付
一、鉄釘并びに鉄輪―共に重さ二百十五斤半
一、鉄鍋二個
常熟県の船戸 陶壽 舵工 李天祥
副舵 張御龍 総鋪 王楚臣
水手 周殿臣 楊駕龍 張憲臣 徐爾福 呉廷秀
張君彩 孫天貴 郭聖恩 遠景福
客人 蔡立三 巳宏培 客伴 徐貴郷 張二孝
已上、共計十七名
計開、所撈の物件
一、行李―共に十四付 一、包袱―共に十四付
一、竹箱一隻 一、扁竹箱二隻
一、小木箱一隻 一、金鑼一面
一、水線鋾一個 一、斧頭一把
一、鉄錨一個 一、犬一隻
一、厨刀二把 一、棕縄二根
一、鉄圏十二個―共計九十七斤
一、鉄釘共に八包―共計一百九十五斤
一、火盆一個 一、鉄鐽一把
一、鉄連一条 一、釘靴一双
一、鉄鍋鉄釘―共計十二斤
一、車索一根 一、秤跎一個
一、火鉗一把
天津県の船戸 田聖思 舵工 辺宗堯
夥長工 叚儀雲 水手 耿六 李傑
楊起義 孫士煥 張世得 郝文挙
田西白 寇自富 叚振青 羅仙
李自本 田克昇 楊起祥 耿子和
貨客 李秀芝 趙倉雲
已上、共計十九名
計開、所帯の物件
一、九聖菩薩一幅 一、鋪蓋十九個
一、瓜子九百九十三包 一、薏仁米五袋
一、元豆八百零一包―加掌水手 元豆三百八十在内
一、小米七袋
一、秫米三包 一、庫米二包
一、鉄釘九十三包 一、鉄錨一個
一、棕索一条 一、大小麻索七根
晋江県の船戸 王源利 舵工 李旺
水手 王申 王福 王任 楊三 候乾
王増 万中 趙旺 洪功 邱瑞
紀仁 柯賜 王興 万愿 陳尚
李恩 王盛 万科 楊助 陳茘
客人 李聡観 李徳順 小厮万福 千祥
已上、共計二十六名
計開、所帯の物件
一、菩薩四位 一、鋪蓋二十六個
一、棕索一条 一、旧鉄釘大小二十包
龍溪県の船戸 林順泰 舵工 王通
大繚 陳連 阿班 陳速
杉板 林琛 総鋪 郭㫜
頭碇 陳転 水手 郭勝 王徳
謝呂 王少 林崑 郭亨 張福
王壽 林若 謝腆 李光 林馮
鄭好
客人 李逢春 林若□
已上、共計二十二名
計開、所帯の物件
一、天后娘娘一座 一、聖公爺一尊
一、木甲万箱一個 一、米併びに爛荳九麻袋
一、木衣箱一個 一、鋪蓋六個
一、鉄釘十二包 一、腰籃一
一、竹衣箱十三個 一、羊皮二十八袋―内に繭紬有り
右の執照は、通事陳以桂等に附し、此れを准ず
乾隆十五年三月二十日 給す
注(1)礼字第五十六号の半印勘合の執照 「礼字○○号の半印勘合」は、勘合貿易方式の勘合を利用して交易船の確認を行っていることを意味している。本来勘合貿易は、日本など朝貢貿易以外の範疇での交易許可を指していたが、その方式が朝貢貿易を認められた琉球の場合においても援用されていることがわかる。「礼字」は勘合の用紙の束の名称が「礼」であることを意味する。
(2)執照 琉球よりの使節であることを証明するための割り印を付した執照。執照は琉球国王が外国に出航する船に対して発給した証明書。
(3)巡哨 回る。巡回する。
(4)管船 進貢船、接貢船など王府が派遣する船隻。『宝案』ではほとんど「管船夥(火)長直庫」の用例で「管船使者」「管船舎人」の例がわずかにみられる。
(5)直庫 管船直庫ともいう。直庫の中国における職掌については、万暦四十五年頃刊の長燮『東西洋考』巻九、舟師考に「其の(船の)戦具を司る者を直庫と為す」とある。近世の琉球における直庫は「船頭」に当る。
(6)鄭鴻勲 康煕五十五~乾隆四十四(一七〇六~一七七九)。久米系鄭氏(真栄里家)六世。乾隆二年読書習礼のため福建に赴き八年間在閩。十五年遭難中国人の護送船の総管、二十年冊封謝恩の王舅通事、二十七年北京大通事、四十一年進貢副使正議大夫として中国に赴いている。乾隆三十八年読谷山間切伊良皆地頭職に任じられる(『家譜(二)』六八八頁)。
(7)所撈 撈は水中よりすくいとる。引き揚げたところの。
(8)棕索 シュロ製のなわ、ロープ。
(9)包衣袱 衣服を包んだふろしき。ふろしき包み。
(10)神身 神像。
(11)馬包 馬などの背に置くことのできるずた袋のようなもの。中央部に口を開け、両側は詰めて横長の物を詰め込むことのできる布袋。
(12)金鑼 どら。
(13)被褥 掛け布団と敷き布団。
(14)鉄圏 鉄輪、かなわ。
(15)火盆 火鉢。火入れ。
(16)鉄連 鉄のからざおか。唐棹(殻竿)は農具の一種で、麦や大豆など、穀物の脱穀作業に使用する道具。連枷とも称する。
(17)釘靴 底に鋲を打った長靴。雨天にはく。
(18)秤跎 秤砣か。秤砣ははかりの分銅、おもり。
(19)火鉗 火ばさみか。
(20)薏仁米 薏苡の実を混ぜた米か。薏苡は米に混ぜて粥飯とし、また粉にして麺とする。はとむぎ。
(21)小米 外皮をとった粟。米を大米というのに対して、粟を小米という。
(22)秫米 もちごめ。糯米。
(23)聖公爺 船舶の守護神。倪聖公ともいう。
(24)腰籃 籃はかご。腰につけるかごか。
(25)通事 校訂本は「通事」だが、ここは「都」脱か。
琉球国中山王尚(敬)、難民を解送し、以て原籍に還す事の為にす。
切するに、乾隆十四年十一月間、福建省泉州府同安県の商人・舵工李順等、共計二十四名、船一隻に駕し、前みて山東に至りて貿易す。時に搭客七名及び汀漳道爺家の人一名、漳州府龍溪県の商船の水手五名有り。本船に附搭するもの共計三十七名なり。彼の地を放洋するに、陡かに颶風に遭い、由論島地方に飄到し、礁に衝りて打破す。其の内、二十名は失水して溺死す。又、江南蘇州府常熟県の商人・船戸沈恵等、共計十二名有り。船一隻に駕し、徳島地方に飄到し、礁に衝りて破壊す。又、江南蘇州府常熟県の商人・船戸陶寿等、共計十七名有り。船一隻に駕し、永良部地方に飄到す。海礁の破るる所と為る。又、直隷順天府天津県の商人・船戸田聖思等、共計二十人有り。大島地方に漂到す。本船甚だ古く修葺加え難し。乃ち已むを得ず、便ち其の船を将て焼化す。幸い宝山県の商民瞿元茂の船隻の飄来して大島に在りて風を俟つ。是に由り田聖思の船上の夥長桑国祥を瞿元茂の船上に附搭し、以て原籍に還らしむるの外、共計するに現在するは一十九名なり。又、福建泉州府晋江県の商人・船戸王源利等、共計二十六名有り。船一隻に駕して大島に飄到し、礁に衝りて擱破す。又、福建漳州府龍溪県の商人、船戸林順泰等三十二名有り。船一隻に駕して大島に飄到し、礁に衝りて打壊す。幸いに鎮洋県の江全美の船隻、飄して大島に在りて風を候つ。因りて客人程其倫等十名を将て全美の船上に附搭し、以て本国に還らしむるの外、共計するに現在する商民は二十二名なり。
切想するに、六船の難民、共計一百一十三名は、回すべき船無し。因りて各地方の官をして各難民を将て解送せしめ、転じて中山に至り、即便に館に発りて安挿し、廩餼を給与して収養す。応に部文内の奉旨の事理に遵いて解送して閩に至らしむ。茲に風の便なるに遇えば、特に都通事陳以桂等を遣わし、梢役共計五十二員名を帯領して海船一隻に坐駕し、難民一百一十三名を将て解送して前去せしむ。若し文憑無ければ、所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に王府、礼字第五十六号の半印勘合の執照を給し、都通事陳以桂等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
護送の都通事一員 陳以桂 人伴四名
司養贍大使一員毛開烈 人伴四名
管船夥長・直庫二名 鄭鴻勲 安克昌
水梢共に四十名
同安県の舵工 李順 水手 陳有 洪才
李増 陳捷 蔡喜 洪福 銭発
陳利 許吉 林元 林申 李貴
金茂盛の船の水手一名 溥得
陳合盛の船の水手三名 陳武 張富 林福
已上、共計十七名
計開、所撈の物件
一、粉乾二包 一、棕索十三綑
一、麻索一条 一、木箱一―内に衣服を蔵す
一、包衣袱一十七綑 一、棉花三包
一、青豆一包 一、雨傘一枝
一、木箱一個―内に神身五位を蔵す
一、竹箱一個―内に棉花を蔵す 一、馬包三件
一、棕衣四領 一、柳𥴊九個
一、鉄輪并びに鉄釘―共に重さ一千七百九十四斤
一、斧頭一柄
常熟県の船戸 沈恵 舵工 王二
水手 劉三 管五 呉卯 曹二 曹八
田四 陞関 馬寿
客人 邵誉士 劉寅官
已上、共計十二名
計開、所撈の物件
一、黄豆六十包 一、竹箱一隻
一、金鑼一面 一、棕索三条
一、衣服袱十二包 一、被褥十二付
一、鉄釘并びに鉄輪―共に重さ二百十五斤半
一、鉄鍋二個
常熟県の船戸 陶壽 舵工 李天祥
副舵 張御龍 総鋪 王楚臣
水手 周殿臣 楊駕龍 張憲臣 徐爾福 呉廷秀
張君彩 孫天貴 郭聖恩 遠景福
客人 蔡立三 巳宏培 客伴 徐貴郷 張二孝
已上、共計十七名
計開、所撈の物件
一、行李―共に十四付 一、包袱―共に十四付
一、竹箱一隻 一、扁竹箱二隻
一、小木箱一隻 一、金鑼一面
一、水線鋾一個 一、斧頭一把
一、鉄錨一個 一、犬一隻
一、厨刀二把 一、棕縄二根
一、鉄圏十二個―共計九十七斤
一、鉄釘共に八包―共計一百九十五斤
一、火盆一個 一、鉄鐽一把
一、鉄連一条 一、釘靴一双
一、鉄鍋鉄釘―共計十二斤
一、車索一根 一、秤跎一個
一、火鉗一把
天津県の船戸 田聖思 舵工 辺宗堯
夥長工 叚儀雲 水手 耿六 李傑
楊起義 孫士煥 張世得 郝文挙
田西白 寇自富 叚振青 羅仙
李自本 田克昇 楊起祥 耿子和
貨客 李秀芝 趙倉雲
已上、共計十九名
計開、所帯の物件
一、九聖菩薩一幅 一、鋪蓋十九個
一、瓜子九百九十三包 一、薏仁米五袋
一、元豆八百零一包―加掌水手 元豆三百八十在内
一、小米七袋
一、秫米三包 一、庫米二包
一、鉄釘九十三包 一、鉄錨一個
一、棕索一条 一、大小麻索七根
晋江県の船戸 王源利 舵工 李旺
水手 王申 王福 王任 楊三 候乾
王増 万中 趙旺 洪功 邱瑞
紀仁 柯賜 王興 万愿 陳尚
李恩 王盛 万科 楊助 陳茘
客人 李聡観 李徳順 小厮万福 千祥
已上、共計二十六名
計開、所帯の物件
一、菩薩四位 一、鋪蓋二十六個
一、棕索一条 一、旧鉄釘大小二十包
龍溪県の船戸 林順泰 舵工 王通
大繚 陳連 阿班 陳速
杉板 林琛 総鋪 郭㫜
頭碇 陳転 水手 郭勝 王徳
謝呂 王少 林崑 郭亨 張福
王壽 林若 謝腆 李光 林馮
鄭好
客人 李逢春 林若□
已上、共計二十二名
計開、所帯の物件
一、天后娘娘一座 一、聖公爺一尊
一、木甲万箱一個 一、米併びに爛荳九麻袋
一、木衣箱一個 一、鋪蓋六個
一、鉄釘十二包 一、腰籃一
一、竹衣箱十三個 一、羊皮二十八袋―内に繭紬有り
右の執照は、通事陳以桂等に附し、此れを准ず
乾隆十五年三月二十日 給す
注(1)礼字第五十六号の半印勘合の執照 「礼字○○号の半印勘合」は、勘合貿易方式の勘合を利用して交易船の確認を行っていることを意味している。本来勘合貿易は、日本など朝貢貿易以外の範疇での交易許可を指していたが、その方式が朝貢貿易を認められた琉球の場合においても援用されていることがわかる。「礼字」は勘合の用紙の束の名称が「礼」であることを意味する。
(2)執照 琉球よりの使節であることを証明するための割り印を付した執照。執照は琉球国王が外国に出航する船に対して発給した証明書。
(3)巡哨 回る。巡回する。
(4)管船 進貢船、接貢船など王府が派遣する船隻。『宝案』ではほとんど「管船夥(火)長直庫」の用例で「管船使者」「管船舎人」の例がわずかにみられる。
(5)直庫 管船直庫ともいう。直庫の中国における職掌については、万暦四十五年頃刊の長燮『東西洋考』巻九、舟師考に「其の(船の)戦具を司る者を直庫と為す」とある。近世の琉球における直庫は「船頭」に当る。
(6)鄭鴻勲 康煕五十五~乾隆四十四(一七〇六~一七七九)。久米系鄭氏(真栄里家)六世。乾隆二年読書習礼のため福建に赴き八年間在閩。十五年遭難中国人の護送船の総管、二十年冊封謝恩の王舅通事、二十七年北京大通事、四十一年進貢副使正議大夫として中国に赴いている。乾隆三十八年読谷山間切伊良皆地頭職に任じられる(『家譜(二)』六八八頁)。
(7)所撈 撈は水中よりすくいとる。引き揚げたところの。
(8)棕索 シュロ製のなわ、ロープ。
(9)包衣袱 衣服を包んだふろしき。ふろしき包み。
(10)神身 神像。
(11)馬包 馬などの背に置くことのできるずた袋のようなもの。中央部に口を開け、両側は詰めて横長の物を詰め込むことのできる布袋。
(12)金鑼 どら。
(13)被褥 掛け布団と敷き布団。
(14)鉄圏 鉄輪、かなわ。
(15)火盆 火鉢。火入れ。
(16)鉄連 鉄のからざおか。唐棹(殻竿)は農具の一種で、麦や大豆など、穀物の脱穀作業に使用する道具。連枷とも称する。
(17)釘靴 底に鋲を打った長靴。雨天にはく。
(18)秤跎 秤砣か。秤砣ははかりの分銅、おもり。
(19)火鉗 火ばさみか。
(20)薏仁米 薏苡の実を混ぜた米か。薏苡は米に混ぜて粥飯とし、また粉にして麺とする。はとむぎ。
(21)小米 外皮をとった粟。米を大米というのに対して、粟を小米という。
(22)秫米 もちごめ。糯米。
(23)聖公爺 船舶の守護神。倪聖公ともいう。
(24)腰籃 籃はかご。腰につけるかごか。
(25)通事 校訂本は「通事」だが、ここは「都」脱か。