琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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3-13-07 琉球国中山王尚泰より関係当局あて、同治六年の接貢船および謝恩使者接回船の派遣に当たり、便宜を図られたき旨、蔡大鼎等に付した執照(同治六《一八六七》、□、□)

琉球国中山王尚(泰)、恭しく勅書を迎え、併びに国使を接回する事の為にす。
照らし得たるに、同治五年、叨くも皇上の隆恩を蒙り、天使を選差して本国に按臨せしめ、詔勅を宣読し王爵を襲封せしむ。業に正使の法司王舅馬朝棟・副使の紫金大夫阮宣詔・使者向承儀・都通事蔡呈楨等を遣わし、表章・礼物を齎捧して官伴を率領し、進貢頭号船に坐駕して閩に来たらしめ、已経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き叩きて天恩に謝せしめて案に在り。
茲に査するに、遣わす所の謝恩の使臣は、例として応に来夏に於て進貢使と同に各々勅を捧げて帰国すべし。若し接貢船一隻を遣わして迎接すれば、勢として必ず謝恩の官伴を容載して一斉に帰国する能わず。接貢船隻を遣撥するを除くの外、特に都通事の蔡大鼎等を遣わし、梢役共に六十七員名を率領せしめ、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至り、恭しく皇上の勅書・欽賜の物件を迎え、併びに京より回るの謝恩使の馬朝棟・阮宣詔等を接りて国に還らしめんとす。
但だ、差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第三百四十二号半印勘合の執照一道を給発し、都通事の蔡大鼎等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開す。
在船都通事一員 蔡大鼎    人伴四名
在船使者一員  真承恩    人伴四名
管船夥長・直庫二名 鄭啓勲 西常裕
水梢共に五十五名
右の執照は都通事蔡大鼎等に付す。此れに准ぜられよ
同治六年(一八六七)  月  日

注*語注は〔三―〇二―〇四〕参照。
(1)鄭啓勲 嘉慶七年(一八〇二)~?。久米村系鄭氏(池宮城家)十七世。道光十一年黄冠、同治八年都通事に陞る。道光十三年読書習礼のため閩に赴き、十九年帰国。同治六年接貢船の総官(管船夥長)を務める(『家譜(二)』五八七頁)。
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