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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-25-09 国王尚敬の、中国の難民徐惟懐等を護送するため都通事阮為標等に付した執照(乾隆七《一七四二》、三、七)
琉球国中山王尚(敬)、飄風の難人を解送し、以て部文内の奉旨の事理に遵う事の為にす。
切照するに、乾隆六年十二月初八日、江南蘇州府呉県の商船一隻、敝国轄属の大島地方に漂至す。彼の地方官、其の船を験視するに、損痛して発漏し、修理して堅固ならしむるに非ざれば、則ち風濤の大海、再た渉ること能わず。但だ大島には桐油・黄麻等の物無く、実に修理し難きに因りて修理する事の為に官に委して押送し、中山に転到するの時、風又不順にして葉壁山に漂至し、礁に衝りて已に破らる。葉壁山地方官、急ぎ土民を発して人名を救活し、及び貨物を撈収し、海船二隻に分載して押送し山北運天港に転至す。即ちに館に発りて安挿し、官に委して例に照らして養贍し、日に按じて廩餼等の項を給与す。
茲に査するに、康煕二十三年八月内の礼部の咨に称すらく、今、海禁已に開けば、各省の人民、海上に貿易行走する者甚だ多し。応に浜海の外国王等に移文し、各々該管地方に飭し、凡そ船隻の漂至する者有れば収養して解送せしむべし、等の因あり。欽遵して案に在り。随いで難人徐惟懐等共に五十三名、併びに帯せる所の貨物等の件を将て、特に都通事阮為標等を遣わし、船一隻に駕し、梢役共に五十二員名を率領し、咨文を齎捧して福建等処承宣布政使司に解送す。煩為わくは施行せられよ。
但だ差去せる員役は、若し文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に執照を給発し、以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第四十号の半印勘合執照を給し、都通事阮為標等に附し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開す、難商名数
徐惟懐 駱西菴 程万元
沈帝書 顧振廷 顧兼三
許建玉 鄭覃山 倪自天
胡耀明 沈瑞三 黄四官
張三官 陸華官 王分官
徐四官 陳福官 蔡五官
胡三官 周十官 陶福官
顧喜官 徐聖官 金寿官
厳其官 曹二官 劉漢文
張聖嘉 郁六官 余昆官
鄭啓禎 黄二官 顧徳順
范三官 栄元発 雷方原
王斗元 朱仲昭 陸賢康
張啓龍 陳寿官 曹志義
鄭允理 鄭修進 徐助官
林家金 王四元 張明元
厳伯図 陳啓裕 徐君兆
劉良郷 余発官
護送都通事一員 阮為標 人伴四名
司養贍大使一員 諭信 人伴四名
管船夥長・直庫二名 金節 司得功
水梢共に四十名
右の執照は都通事阮為標等に附し、此れを准ず
乾隆七年(一七四二)三月初七日 給す
注(1)山 校訂本にはないが類例により補った。
(2)該 校訂本にはないが類例により補った。
琉球国中山王尚(敬)、飄風の難人を解送し、以て部文内の奉旨の事理に遵う事の為にす。
切照するに、乾隆六年十二月初八日、江南蘇州府呉県の商船一隻、敝国轄属の大島地方に漂至す。彼の地方官、其の船を験視するに、損痛して発漏し、修理して堅固ならしむるに非ざれば、則ち風濤の大海、再た渉ること能わず。但だ大島には桐油・黄麻等の物無く、実に修理し難きに因りて修理する事の為に官に委して押送し、中山に転到するの時、風又不順にして葉壁山に漂至し、礁に衝りて已に破らる。葉壁山地方官、急ぎ土民を発して人名を救活し、及び貨物を撈収し、海船二隻に分載して押送し山北運天港に転至す。即ちに館に発りて安挿し、官に委して例に照らして養贍し、日に按じて廩餼等の項を給与す。
茲に査するに、康煕二十三年八月内の礼部の咨に称すらく、今、海禁已に開けば、各省の人民、海上に貿易行走する者甚だ多し。応に浜海の外国王等に移文し、各々該管地方に飭し、凡そ船隻の漂至する者有れば収養して解送せしむべし、等の因あり。欽遵して案に在り。随いで難人徐惟懐等共に五十三名、併びに帯せる所の貨物等の件を将て、特に都通事阮為標等を遣わし、船一隻に駕し、梢役共に五十二員名を率領し、咨文を齎捧して福建等処承宣布政使司に解送す。煩為わくは施行せられよ。
但だ差去せる員役は、若し文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に執照を給発し、以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第四十号の半印勘合執照を給し、都通事阮為標等に附し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開す、難商名数
徐惟懐 駱西菴 程万元
沈帝書 顧振廷 顧兼三
許建玉 鄭覃山 倪自天
胡耀明 沈瑞三 黄四官
張三官 陸華官 王分官
徐四官 陳福官 蔡五官
胡三官 周十官 陶福官
顧喜官 徐聖官 金寿官
厳其官 曹二官 劉漢文
張聖嘉 郁六官 余昆官
鄭啓禎 黄二官 顧徳順
范三官 栄元発 雷方原
王斗元 朱仲昭 陸賢康
張啓龍 陳寿官 曹志義
鄭允理 鄭修進 徐助官
林家金 王四元 張明元
厳伯図 陳啓裕 徐君兆
劉良郷 余発官
護送都通事一員 阮為標 人伴四名
司養贍大使一員 諭信 人伴四名
管船夥長・直庫二名 金節 司得功
水梢共に四十名
右の執照は都通事阮為標等に附し、此れを准ず
乾隆七年(一七四二)三月初七日 給す
注(1)山 校訂本にはないが類例により補った。
(2)該 校訂本にはないが類例により補った。